第30話 寂しいのなら
ごくり、と喉が鳴る。
散々動き回って、いい加減体が熱くなってきたというのに背中を伝う汗は厭に冷たい。
ケイネスを喰らった狼はその毛並みを赤黒く染めながら、壊れたラジオみたいな声で俺達に語り掛けてきた。
「だかラ言っタだろう。引き金を引いテおけばヨカッタと……」
耳障りな声に俺とクロはただ黙っていることしかできなかった。
目の前で起きたことが未だに理解できない。
ケイネスはなぜ狼に喰われた?
あの白い物体は何だったんだ?
今のあいつは何者なんだ?
次から次へと疑問が湧いて出る。
けれど、一つだけはっきりしているのはここから先は『常識』なんてものが欠片もあてにならないってことだ。
「……今のお前は何なんだ? ケイネスか、それとも化け物か?」
「フム……。難しイ質問だナ。今ノ私はケイネス・ゼーラでモあり、テリーでモある。安直ダがケイネス・テリーと名乗っておこうカ」
鉄の臭いを纏わりつかせた化け物がニイ……と口角を吊り上げた。
ただの喋る魔物ならまだしも、それが人間の笑顔に見えるのだから質が悪い。
こいつほど不気味という言葉が似合う奴も居ないだろう。
「クロ、あれ元に戻れるのか?」
「……分かりません。でも、一度合成獣になった生物が元に戻れたという記録は私が知る限りじゃあ無いですね」
「……ちっ」
その言葉の通りならケイネスは死ぬまで化け物のままってことになる。
元々が自分の願いの為に無関係な人の命を奪うような奴が、本当の意味で人の枠を外れたら何をするのか。
想像することは難しくない。
「やるしかないか……」
「えぇ……残念ですが」
殺さずに済むのならそれが一番だと思っていた。
魔物ならともかく、人を殺すなんて御免だ。
いつだってそうだ、生きたい奴が死んで死にたい奴が生き残る。
あいつが、ケイネスが俺みたいな死にたがりならどれだけよかったか。
けれど、化け物になってしまった以上、覚悟を決めるしかない。
——ケイネスを殺す。
「やるぞ」
「はい」
もう、言葉を交わす必要はなかった。
もうあの化け物には何を言っても無駄だ。
奴はきっと死ぬまで己の願いの為に人を殺すだろう。
亡くなった唯一の友を生き返らせるために、禁忌を犯すだろう。
でも、それは少し羨ましい。
俺にはできなかったことだから。
——拳を握る。化け物も吠えた。
冷たくなっていく不二をただ見ていることしかできなかった。
命が消えていくあの感覚は今でも手にこびり付いている。
それが恐くて仕方がなかった。
不二が死んでしまう事が怖かった。
——クロが引き金を引く。化け物は避けた。
だから、あいつの気持ちはよく分かる。
分かるからこそ、俺の手であいつを止めなければならない。
——大きく踏み込む。化け物の牙が目の前にあった。
死んだ奴は生き返らない。
家族を失おうと、親友を失おうと、遺された者たちはその屍を乗り越えなければならない。
失ったモノばかりを数えていても何も得ることは出来ないのだから。
失いたくないのなら、失わないようにするしかない。
だから、悪い。俺は俺の為にお前の願いを踏みにじる。
——化け物の顔面に、俺の拳が突き刺さった。
……ごめんな。
****
終わりは酷く呆気なかった。
化け物と化したケイネスの牙が突き刺さるよりわずかに早く、タケルの拳がケイネスの顔面に突き刺さった。
肉を潰し、牙をへし折る確かな感触がタケルの拳から全身に伝わる。
がは、とケイネスは一度だけ息を吐いて地面に横たわった。
狼に取り込まれるより前に銃弾を受けていた体は、既に限界を迎えていた。
ケイネスの魔法は生き物の体を弄ることはできても治療はできない。
体から血が溢れる感覚を感じながら彼は静かに自分の最期を悟った。
「……今度こソ、私の敗北カ」
「あぁ、今度こそ俺達の勝ちだ」
「……最後に教えてくレないカ。私はどうすれば良かったノダ?」
徐々に光が失われていく瞳でケイネスはタケルを見つめた。
「寂しいなら、寂しいって言えばよかったんだ、あんたは」
タケルは最後にそんなことを言った。
……寂しい、か。思えばその言葉を口にした事がなかったとケイネスは瞳を閉じながら思う。
たとえ今からでも寂しいと言えるのなら、誰か自分を救ってくれるのだろうか。
……いや、それはない。自分は罪を重ね過ぎた。自分は人を殺め過ぎた。
自分の願いのために、命と屍で階段を築き上げた。
禁忌へとつながる階段を。
孤独に振り回された獣は静かに意識を落とした。
心に湧いた寂しさを飲み込むように。
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