第30話 日本一恥ずべき天下人

時代がその行為を疑問視しなかったし、家康もお家のために生きることが道理と理解していると信じていると思っていたからだ。そしてこの最愛の家族を部下に無惨に殺され、何も言えない武士としてもっとも情けない家康というのが徳川家の最大の武器となった。つまりこの性格ならば、決して家康は独裁者ならないと多くの大名が思ったことが徳川幕府が成立した大きな理由となったのだ。多くの大名が、独裁的な豊臣政権より徳川幕府のほうがくみし易いという印章を感じたからこそ徳川が天下をとることができたのだ。

家康は最悪の人間でクズという実績が、天下をとれた理由なのは歴史の皮肉である。家康は、日本一恥ずべき天下人となった。しかしこの公然の秘密は、徳川幕府にとって不都合であった。そのため瀬名姫は悪女とされ、信康は暴君と歴史に書かれることになった。

最愛の妻子を、そこまで恥ずかしめられても家康は何も言えなかった。家康にとって死ぬ以上に辛いことであったが、彼は耐えた。

瀬名姫が殺された後の家康の人生は、暗雲の恥辱の人生だった。彼は、ついに鬼となって天下をとったが虚しさしか残らなかった。

日本一好運と人々から祝福され羨望された家康だが、本当は愛する女性一人守れなかった惨めな人生だった。しかし家康は、築山殿や信康の忘れ形見は優遇した。

家康の孫で豊臣秀頼の正室だった千姫は、本多忠刻と再婚した。忠刻の母熊姫は、信康の娘だった。桑名の田舎でひっそり暮らしている熊姫の一家にも、何とか光をあててやりたいと家康は考えたのかもしれない。千姫を救出した坂崎が侍社会の陰湿ないじめで切腹されたのとは対照的に、本多家は桑名から姫路十五万石に移され、それに千姫の化粧料として十万石を与えられた。

千姫と忠刻との間には男の子と女の子が生まれたが、長男幸千代が三才で早世、夫も亡くなり千姫は娘の勝姫と供に江戸に戻った。そして娘の勝姫は、因幡鳥取城主池田光政の正室となり一族は繁栄した。

また同じく信康の娘福姫は、小笠原秀政に嫁ぎ子孫は豊前小倉藩十五万石となった。また築山殿との間にできた長女亀姫は、奥平信昌の正室であったが慶長六年に美濃加納十万石に加転となるなどいづれも出世した。

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