第33話 許すまじ、この男

“五徳姫危篤”という報告は幻で五徳姫はどこも悪くなく、ただ自分の声のような気がしてきた。そして家康は、五徳姫と事件のことを考えると彼女は最大の被害者だったと思い直した。

また家康は、この事件の責任者をまだ処分していないことに気がついた。彼は五徳姫が生きているうちに責任者を処刑し、五徳姫の無念を少しでも晴らしてやろうと感じ始めた。

彼は、その男を呼び出した。彼は、すでに観念したかのように神妙に正座していた。家康は、この男が動ずることなく何かほっとしているように感じた。そもそも信康と三河衆との確執は、この男が原因だった。この男ぐらい三河衆の好感をえようと、できもしない恩賞の空手形を乱発したことが、彼らの不和を誘発した。

しかしこの男は、そんなことも分からずにこの問題を放置して、しかも問題が大きくなり事件が起こると信康を見捨てたのだ。この男は、彼一人が責任をとって切腹すれば信康を救えただろう。跡取り二人のうちは長松丸まだ赤子で成人は信康しかいなかった当時、家名を残すには信康を殺すことはできなかった筈だった。しかしこの男は、徳川家のためなどとぬかして死ぬことをためらった。本当に、性根の腐った男だ。彼の性根は、坂崎を死においやった三河武士にも劣る。

この男は、その償いの人生を送ったのが唯一の救いだった。

彼は、二人の遺族を密かに優遇した。事件の影響でおおっぴらに厚遇することはできないが影で支援し、目立たないなかでの最大の大名に引き立てた。そして、幾人かのよく似た境遇の後家を側室とした。五徳姫のような立場の女性を支援するためだった。

この男は、このようにして密かに罪ほろぼしの行為をしてあの事件を忘れず、二度とおきないような体制にしようと心に誓って生きてきた。

それほど家康は、あの事件のことが忘れられなかった。

そして家康は、この男をついに許すことはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る