第3話 愛ある政略結婚

三河物語に、


竹千代(信康)様をば駿府に置きまいられて、取り返すと

「三河伯耆守は大髭敢そあして若君を頸に乗奉りて」上下万民大勢が出迎えた


とある。

意外だったのは、瀬名姫である。

当時の大名どおしの結婚は、基本的に政略結婚である。両家の絆が失なわれば結婚は破談になり、嫁は実家に戻るのが常であった。

於大の方も、松平家と水野家が敵対することになったので於大の方は実家である水野家に戻った。戦国時代は両家が断交すれば、離縁するのが普通であった。

しかし家康は、離縁して実家に帰すどころかわざわざ瀬名姫を引き取る決断をした。家康自身が母と別れて寂しい思いをし、信康にはそんな寂しい思いを味あわせたくなかった。それ以上に家康は瀬名姫を愛し、頼りにもしていた。

家康は岡崎が故郷だが、もう十六年も留守をしていた。信頼できる身内が、一人でも欲しかった。瀬名姫は、その家康の思いをくんで岡崎にきた。

しかし瀬名姫のこの行為は、後に大きな確執の原因となってしまった。しかも瀬名姫の父は、後にこの件で氏真に切腹させられている。

家康は瀬名姫に多大な犠牲を強いてしまい、大きな貸しを作ってしまった。家康は、その代償をかえす責任を感じた。家康は、瀬名姫とその子供を大切した。

そして信康の嫁には、織田信長の長女五徳を娶らせた。

五徳は、信長の最愛の側室吉乃に産ませた娘である。吉乃は他に信長の嫡男信忠や次男信雄を産んだ信長の愛妾で、その娘との婚姻は織田家という強力なバックを信康がもつことを意味した。家康は瀬名姫に貸しをかえす一方で、信康を後継者として大事に育てた。 元亀元年六月家康は、本拠地岡崎を信康に譲り武田との最前線である遠州浜松に移った。武田は、当時家康にとって脅威だった。

武田との戦で、自分が信頼する身内が一人でも欲しかった。その前に十六年も古里を留守にすると、古里にも気心がしれた家臣や親戚は誰もいなくなる。

家康は、安心して相談きる相手が欲しかった。自身が戦死したり、父広忠や祖父清康のように暗殺される怖れもあった。

家康は、それでも浜松で頑張った。

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