第4話 深まる確執
家康が危険を侵してまで浜松で頑張れたのは、信康のためであった。
信康の嫁は、信長の長女だ。
万が一、自分が最前線で討ち死にしても信長は自分の娘のために信康を助けにくるだろう。家康は、信康を守るために浜松で死んでも悔いはないとまで思っていた。
それに信康を岡崎に残した二つ目の理由は、自分が二十歳まで岡崎に居らず統治することに苦労したことから、信康には自分の苦労をしてほしくなかったからだった。信康は、身体も大きくいくさも上手だった。
天正三年長篠合戦の後、家康は遠江の武田勝頼の属城を攻め進み駿河に迫ったが、勝頼の出陣を聞き退却した。この時信康は、勇敢に殿軍をつとめ家康を賛嘆させた。信康は十二歳で岡崎城主となり、十四歳からいくさに参加した。彼は父と違って怖いもの知らず、年に似合わず知略にも長けていた。ただし、苦労しておらず人心に機微に疎く、政治力がなかった。この年齢では無理とも言えるが、岡崎城は魔の城であった。
土豪や国人が寸土の土地をめぐって争い、今川の下積み時代の反動で三河武士は管理されるのを好まず、上に対して疑い深く意固地となっていた。信康の悲劇は、彼の血の半分がその今川の血が色濃く入っていたことが始まりだった。
天正四年のまだ浅いある日、岡崎城主松平信康は奉行所に威勢の良い近習たちを従えて現れた。二人の年配の男が待ちかねたようにこれを迎え、中に招き入れた。二人は岡崎衆の代表として、その政務を助けるよう任命された最も優秀な側近史僚であった。彼らは他の国人と異なり信康に直接仕え、土地争いなど訴訟に携わっていた。
高力清長、天野康景、本田重次の三人は岡崎三奉行と呼ばれていた。
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