第2話 運命の桶狭間
当時の家康は、今川家に遠慮して質素に暮らしていた。
しかし、瀬名姫は違った。
彼女は誰憚ることなく生きており、自分の生活スタイルを変えることはなかった。彼女は、自分好みの服や家財道具を持ってきた。殺風景だった家康の生活は、一気に華やかになった。日常生活だけでなく春夏秋冬季節の様々な行事や食事、親族や家来との付き合い方や作法、主従関係の仕組みや仕方など今まで知り得なかったことを彼女を通して実際みることができた。
家康は、彼女によって後三河に戻った時大いに役にたつことを丁寧に教えられた。家康は彼女によって鍛えられ、充実した生活を送れるようになり将来にも希望がもてるようになった。
しかも国元でも今川義元の姪と夫婦になることで、一人前の武将と認められるようになった。瀬名姫も家康よりも気持ち的に身分的にも上位であったが、家康を粗略には扱わなかった。彼女は家康の慎重でおとなしい性格にも寛大に対応し、家康を夫としてたて支えた。
結婚したのは家康十六歳の時であり、二人の夫婦仲は良かった。長男信康、長女亀姫も生まれ家康にとって思いもかけず幸せな日々を暮らすことになった。家康は人質として暮らしていたにもかかわらず、駿府が好きになり晩年は古里の三河でなくこの思い出の駿府ですごした。辛いことも多かった青春時代や妻と子供とすごした駿府は、家康にとってかけがえのない場所となった。
生涯三河武士に遠慮していた家康も、居住地だけは譲らなかった。当時の主君であった今川家も高家として優遇し、瀬名姫の近い親族だった井伊家を取り立てたのも実力だけでなく最初のキッカケは瀬名姫の親族を取り立てて一族の強化をはかる人事だった。
しかし、この幸せは長くは続かず三年で幕を閉じた。永録三年五月十日、家康は西上今川軍の先発隊として駿府を出発した。見送る瀬名姫は、夫の無事を祈りながら見送った。
五月十九日今川義元は桶狭間で討ち死し、状況は一変した。家康は翌年二月末頃に今川と断交し、永緑五年正月には織田信長と清洲城で会盟したのである。
こうなると駿府の瀬名姫母子は、人質の形で残されたことになる。最悪の時は、死を覚悟しなければならない。妻子を犠牲にする決心をした家康を恨んだことで
あろう。
幸いなことに配慮と人質の交換がおこなわれ、永緑五年春瀬名母子は岡崎にいる家康の許に引き取られていった。
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