第35話 「徳川」は信長の娘のために

しかし二代将軍秀忠が妾の子で三男であるのに対し、五徳姫は正室の嫡男信康の嫁である。当時、妾の庶子より嫡男の嫁のほうが序列は上だった。格式的にも血筋的にも、格段に継ぐ権利はあった。さらに言うと五徳姫は、信長の嫡男信忠の同腹の姉である。一方将軍の御台所は信長の妹の次女であり、しかも再婚である。 五徳姫は、御台所よりも格段に序列は上位であった。五徳姫が江戸城に入れば、将軍家は下座で平伏しなければならない。

五徳姫は、十一歳より二十歳まで岡崎にいた。この時期は、徳川家にとって最も厳しい時だった。下手をすれば徳川が滅びるかもしれない大変な時期に、徳川家家族として徳川家を支えた。家康の敷いたレールを走っている秀忠とは、徳川家に対する覚悟や精神力はかなり違っていた。

五徳姫にとって、この岡崎で過ごした十一歳から二十歳というのは人生にとって最も多感な青春時代である。現代の小学校高学年から成人式までであり、成長期の重大な時期である。五徳姫の幼少期の記憶の大半は、岡崎時代のものであった。すでに彼女は身も心も徳川家に捧げるというより、徳川家の人間になりきって同化してしまっていた。

父の信長より義父家康のほうが真の父であり、徳川の家族が五徳姫の真の家族であった。それは五徳姫が織田に帰された後も、決して変わらなかった。五徳姫が帰った当時、信長はすでに天下人だった。信長が嫁に出すといえば、誰も逆らえない。妹のお市だけでなく、信長本人の実子すらも容赦なく政略結婚させた信長である。美しい美貌と気高い気品を兼ね備えた五徳姫は、信長にとって最強の道具だった。あの太閤秀吉ですら、美貌と気品の高さに手が出せなかったといわれる女性である。使えるものは天皇でも動かし、神をも恐れなかった信長が、五徳姫には再婚させなかった。

五徳姫は若くして後家となり、信康に操を捧げた。家康は、そんな五徳姫の性根に感謝した。いかなる者も、ここまで嫡男信康に忠誠を尽くしたものはいない。家康はそんな五徳姫が、徳川家を相続するのがふさわしいと考えた。妻の瀬名も、五徳を我が子以上に気を使って自分を育ての親と思っていた。信康も亀姫も、五徳が徳川家相続に異存はないだろう。亀姫は他家に嫁いで継げないし、徳川家の家族は徳川家を五徳が継ぐことに異論はなく、嫡男の嫁が継ぐことは普通に考えても順当だった。

もともと「徳川」という名字は、五徳のためにつけたものだった。


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