第20話 十二ヶ条
家康は、忠次がいい良馬が手に入ったとの報告をうけた後、すぐ信長が良馬を捜しているとの手紙が届き、忠次にその良馬を信長に譲ってもいいかと訊ねた。忠次が了解し、自分が信長に送り届けると連絡してきた。
忠次は、西三河の旗頭として個別に信長とのパイプを作りたかった。忠次は全ての準備をおこない、家康は娘婿の奥平信昌を監視役として同道させた。こうして奥平と酒井の両名は良馬を送り届ける使者として安土城へ赴くことになった。家康は信長への書状を奥平に持たせて、大した疑念ももたず送り出した。
天正七年六月十六日、酒井忠次と奥平信昌の両名は徳川家より織田信長へ良馬を献上する使者として安土城で織田家に謁見して信長から感状を承った。
しかし、ことはそれだけにとどまらなかった。忠次は、謁見後すぐに別室に呼ばれた。そして、忠次に例の徳姫の手紙のうち十二ヵ条のみを見せた。その内容は、忠次にしても信じられないものだった。
一、築山殿は悪人にて三郎殿との仲をさまざまに悪く云い、仲違いさせたること
一、私が姫ばかり二人産んだのは何の用にもたたぬ。大将たる者には男子こそ大事なもの、妾を多く召して男の子を設け給えと築山殿がおすすめになり勝頼の家臣、日向大和守の娘を呼び出し三郎殿の妾にされたこと
一、築山殿は甲州の唐人医師減敬という者と密会され、あまつさえこの男を仲介として勝頼に一味し、三郎殿を誘って甲州の一味にしようとしていること 一、織田、徳川両将を滅ぼし三郎殿には父の所領のうえに織田所領の国を参らせ築山殿をば小山田という侍の妻とする約束の起証文を書き築山殿に送ってきたこと
一、三郎殿はつねづねもの荒き所行が多い。私の召使の小侍従という女を私の面前で刺し殺しそのうえ女の口を引き裂いたこと
一、先ごろ三郎殿は踊りをお好きで御覧になったときに踊子の衣装がお気に召さずまた踊りかたもへたくそだというのでその踊り子を弓で射殺されたこと
一、勝頼の手紙のなかには三郎殿がまだ一味になられた御様子はないが何としてもすすめて味方にしてほしいとのことであるゆえ御油断なさいますなと末々はおん敵に組まるおそれがございますゆえわざわざ申し上げ候のこと
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