第29話 家康、責任をとる

家康は、築山殿が殺害された後、寝込んでしまった。彼は、築山殿母子が無罪であることをわかっており、それでも殺すという決断をするのは耐えがたい苦しみでひどい人間不信になってしまった。彼が後につくった徳川の幕藩体制は、その影響で恐ろしく内向きなものとなったほどだった。

九月十五日、信康は家康の命令によって切腹した。彼は、何の弁明もせず腹を切った。彼は信長に憧れ信長を目指したが、信長の考えかたや家臣に対する態度を三河武士は嫌い、信康を排除したのだ。愛していた信康を殺す決断をした家康は、家臣の力を見せつけられ、自分の無力を実感した。

この出来事は、家康にとって最大の試練だった。彼は、後に徳川家存亡に関わる大きな決断を何度も経験する。

しかし、この体験こそが家康の胆力となって、私情をはさまず冷静に正確な判断できる人間になったのだ。彼はこの徳川家臣団を率いて日本を統一するが、彼は誰も心から信用し、愛することができなくなった。それほど家康は、瀬名姫と信康を愛していた。人質時代と三河平定のもっとも苦しく辛かった時、瀬名姫は優しく家康に接して支えてくれた。家康にとって、瀬名姫と二人の子供は唯一の家族だった。

この後家康は、多くの妾をもつが形式的に妻と呼ばれたのは豊臣秀吉から押しつけられた朝日姫だけで実質的には家康はずっと独身をとおした。戦国時代は、多くの大名が政略結婚をした時代である。家康の子供もほぼ政略結婚させたのに、家康本人は一度しかしなかった。

体面的にも慣行的儀礼的にも不都合であったが、家康は意地でもしなかったのは家康の意思であった。家臣に最愛の妻と子供を殺された愚かな主人であることを後世にしらしめる為に家康は、敢えて無言で家臣に抗議したのだ。

しかし当の家臣は、それに対して罪悪感をもたなかった。

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