第9話 起請文七枚の意味
彼らは、伊賀の八幡の社前で起請文七枚を三度まで書かされた。武士では、八幡に起請すると絶対を意味するのだ。
譜代の臣は、真っ青な顔になって家に帰り一同を集め
「皆のもの、よく聞け。上さまを岡崎に入れ申しまじき七枚の起請を書かされたぞ。上さまを一度ご本意させ申さんためこそ、我々はお跡に残ったのじゃ。その心がなくばともを申しておる。七枚の起請の神罰
を蒙ってこの世にて白癘黒癘の病を蒙るともまたはせがれ、女房を八つ裂き、牛裂きにもすよ、来世にては無限の往家ともならばなれ、是非とも一度は上さまをここに入れ申さでおくものか、皆もその覚悟ぞ」
と言い親戚、同僚同輩を語らって苦心惨澹のすえ、ついに広忠を引き入れることを成就した。三河武士の武骨は、まことに一途であった。酒井忠次は、その三河武士と徳川家の調整役に自分の活路を見いだそうとしていた。忠次は、この件を自分と同じ立場にいる於大の方に相談した。於大の方は、家康の実母である。彼女は広忠と離婚して家康以上も岡崎を離れて生活しており岡崎での立ち居ちは居候にすぎなく、実権もなかった。
しかし、彼女は徳川家にとって重要な役を果たした人物と自負していた彼女の実家は三河国刈谷城主水野氏で松平氏と同様、今川家に従属していた。
だが、於大の父水野忠政が死去すると跡を継いだ嫡男信元は織田方に寝返って今川氏と敵対した。そのため広忠は水野氏の血を引く於大を離縁した。於大の方は竹千代を残して実家に帰った。
その後於大は、久松俊勝と再婚して三人の男子をもうけた。家康はこの母を慕い続けているがっただけだが、家康は渡りに船と水野信元の仲立ちで織田家との同盟は成就した。
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