第31話 センス抜群な信長の娘
しかし夫と姑を死に追い込んだ当の徳姫は二十一歳で未亡人となって以来、京都の寺で一人寂しく住み続けた。娘二人が大大名の正室となっても変わらず、寛永十三年島原の乱がおこる前年に亡くなるまで、彼女は京都を離れることなく信康の菩提ともらい続けた。
五徳姫は、家康にとって自慢の息子の嫁だった。彼女は、美しくしかも利発で信長の愛妾吉乃が産んだ長女で性格も信長によく似ていた。そして彼女は、幼い頃から徳川家の人質となった苦労人だった。人質の経験がある家康は、彼女を大切にし特別気遣った。妻の瀬名姫も人質とどう接すればいいか家康で経験しており、五徳姫を大層可愛がった。
五徳姫は、岡崎にきた最初は少し戸惑っていたがすぐに馴染んだ。彼女は適応能力だけでなく、他の住環境や待遇を無理なく自分に合わせる能力もあった。そして彼女は上手く徳川家となじみ、いつしか家族同様となった。家康はそんな彼女に感心し、徳川家繁栄のために嫁いでくれた女性と思うまでになった。
事実徳川家は、五徳姫に救われ大きく成長できたといっていい。五徳姫が嫁いでくる以前の徳川家は、まだ三河の全部を掌握できていなかった。桜川・長沢堀川松平などライバルの同族の豪族が多数存在し、また吉良氏や刈谷氏など対立的な勢力も多数おり情勢は混沌としていて、三河はドングリの背比べ状態だった。
そんなあやしい状態だった三河にも関わらず、五徳姫は安城松平家に嫁いできた。織田という力強い後援が、同盟という形式だけでなく人質として実物が岡崎にやっときたことは大きかった。内心草刈り場になることを恐れていた三河の土豪らはとりあえずのリーダーといて安城松平家を盟主と据えた。家康はそれを最大限に利用してついに三河を統一することに成功した。
安城松平が、三河で大名として自立できたのは五徳姫の存在が大きかったといっていい。徳川という名字は五徳姫の名前が入っているのは偶然でなく、五徳姫に忠誠を誓う家という意味もあった。家康はそれだけ五徳姫に感謝し本当は足を向けて寝られないほどの女性であった。
しかも五徳姫は信長の血を一番濃く受け継いだ女性で息子の嫁としてもったいない魅力とセンスを兼ね備えていた。
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