第39話 最終話 死しても疎まれ家康は日光へ(最終話)

将軍家は、大御所の遺言を無視して徳川宗家を継ぐことになった。そもそも将軍秀忠は、大御所にうんざりしていた。秀忠が将軍になれたのは、大御所のおかげで感謝はしていた。また大御所が亡くなれば、自分は好き勝手ができるのでそれまでの我慢と耐えてきたのだ。

しかしこの一件で、大御所にはほとほと愛想がつきた。大御所は、大昔に自分が処分した瀬名姫達を今でも唯一の家族と思っており、自分は妾の子と思っていたのだ。秀忠は傷つき、また大御所を恨めしく思った。彼はもう、大御所の墓にまいるのさえ疎ましく感じた。

そして、彼は大御所の墓を関東の辺鄙な田舎に建立した。この場所が大御所の遺言だとしたが、本当は墓のことなど遺言には一切ふれられていなかった。彼は主要街道沿いでもなく、遠い場所ならたびたび行かずともよいと考えて、わざと辺鄙な場所に決めたのだ。

こうして日光に、豪華な日光東照宮が建立された。日本東照宮の名物見猿、聞か猿、言わ猿は三つの真実を隠す隠語である。つまり見猿(家康の切腹)聞か猿(五徳の徳川宗家の相続)言わ猿(家康は墓の場所を日光と指定していない)をあらわしているのだ。

徳川家は、本当の事は全て隠して歴史を封印した。こうして徳川二百六十年の平和は保たれ、徳川家は日本に君臨した。

徳川幕府は、この家康の情けない本当の姿までを書いていない。後世に残したくはない徳川の『恥』だから。


あとがき 

戦国最強の英雄は、誰だろう。多くの人は信長、秀吉、家康などと答えるだろう。五徳と答える人は、少ないだろう。さらに信長、秀吉、家康三英傑に一目おかれ、最後に家康に天下を譲るとまでいわせた五徳は、影の英雄といえるだろう。しかも彼女は、絶世の美女で気品と知略も富み信長も恐れた最強の女性だった。

しかし彼女は、天下を手中にしながら放棄してしまった。また、謎の多い美女である。彼女は大大名の奥方の母でありながら、あまり肖像画もなく資料も少ない。五徳は、信長似だったと思う。信長も、五徳から送られくる手紙をみて一番自分に似ていると思ったに違いない。

五徳を十一歳で徳川に嫁に出したので、嫁に出した時はまだわからなかった信長は、きっと焦っただろう。自分に一番似ている娘は、すでに他家の嫁に同化してしまっていたからだ。信長は、帰ってきた五徳を殺さなかった。多くの肉親を殺した信長だが、さすがに娘にまでは手をかけはしなかった。さらに信長は、五徳を他家に嫁に出さなかった。歴史に『もし』は禁止だが、『もし』五徳が他家に嫁げば嫁ぎ先から織田と戦ったかもしれない。淀君のようになったか、もしくは賢い五徳姫は義父家康を従えて天下を取ったかもしれない。

NHKでも『大奥』を放送しているが、女将軍五徳が日本を統治すれば日本は変わっていたかもしれない。五徳は、こういう意味でも隠れた英雄といえるだろう。

私は、五徳の現在版を期待している。 完

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信長の娘の手紙 @michiseason

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