第40話 最高の今

 熱気は雲となって、天井に渦を作り。

 さっきまでの狂騒が、ウソのように静かになった。

 サーブ準備、そしてポイントが決まるまでの間、沈黙を守る。

 マナーであり、そしてそれ以上に、騒いでなどいられない。

 見逃さずにいたいのだ。卓球のスピードに取り残されず、すべての試合を。


 打つ。打つ。

 荒々しく、感情をむき出しで、それでも調和の取れた試合で。

 カコン。カコン。

 ピンポン玉を打つ音は、こんなにも耳に心地いい。

 まるで儀式のようだ。汗の雲でほのかになった照明の下、打球音と靴底が床をグリップする音、そして流しそうめんが織り成す水のせせらぎがその場にある。


(気持ちいいなあ)


 ガーディアンからペッパーへ。そしてヒメへ。ソルトへ。

 ラリーはめぐる。

 そして打ち合いの中で、思うのは。


 ――ぼくたちが・ボクたちが・あたしたちが・オレたちが。


(絶対に勝つ!!)


 最高速の打球!

 ここまでのゲームで見せてきた最高の打球が当たり前に飛び出し、最高を塗り替えてゆく。

 疲労はあるはずだ。それがどうした? 今最高の戦いができなくて、いつするというのか。

 四名がそれぞれに、自分の持てる限りをぶつけゆく!


 ガーディアンは打ち合いの中で、過去の自分の幻影を見た。

 遠慮することを覚え、勝ちきれなくなってしまった自分を。

 その幻影がはがれ、しかし確かに今のガーディアンにつながってゆく。

 その過去があって、それを越えて、今があるのだ。

 遠慮した分だけ、今こそわがままに、勝ちにゆくのだ!


 ペッパーは打ち合いの中で、親の背中を見つめる幼い自分の幻影を見た。

 親の忙しさに遠慮して、引き出しの中に封印した授業参観のお知らせや、その他のいろいろ。

 今、ペッパーが勇気を振り絞ったほんの少しのわがままがあって、観客席に母親がいる。

 そちらを見る余裕はなくとも、見てくれている実感があった。

 なら今ここで、自分のすべてを、さらけ出してやる!


 ヒメは打ち合いの中で、背中に死んだ妹のぬくもりを感じた。

 あれほどずっとしがみついてきた死神の幻影は影をひそめ、今は穏やかな幻がヒメを支える。

 ヒメは振り返らない。振り返る必要もない。

 死んだ悲しみは消えるわけではないけれど、思い出がそこにあり続けて、そしてそれ以上に、今の卓球が楽しい。

 悲しみに暮れるヒマなどない。あってたまるか、こんなに楽しいのだから!


 そしてソルトは打ち合いの中で、観客席から見守る妹の眼差しを感じた。

 別に何も気負ってはいない。誰かが何かに責任を感じることなど、何もない。

 ただ、妹や、先輩や、いろいろな人が応援していて。勝ったときに喜ぶのは、自分たち二人だけじゃない。

 なら、勝ったらうれしい。

 勝つ理由など、それだけあれば、上等だ。


(だから勝とうぜ、ペッパー!)


 澄み切った集中力の中で、ソルトは返球する。

 軽やかな打球音をすら残響にし、ピンポン玉は飛ぶ。

 青色の卓球台、低く跳ねる白い玉の対空猶予時間は一秒にも満たない。

 即応。ラケットの面を合わせる。高速の応酬。

 汗が散り、蒸発して白く舞い上がりながら、男たち、ピンポン玉の往復、幾度と、幾度と、幾度と。

 視界が白くスパークする。高みに登る感覚。針先のように垣間見えた隙に、打球を鋭く――


「きィッ!!」


 ヒメの打球。力任せに見えるような破壊力ある無回転ナックルは、大気圧との衝突でブレて軌道を見誤らせる。

 とらえたと思ったソルトの感覚が、裏切られる。


「こなくそッ!」


 それでも返す。

 精一杯の回転、精一杯のコースで攻める。

 それを受けるガーディアン!


「ふんがッ!」


 パワーある回転球!

 ペッパーは追いすがる、迎え撃つ、その目はずっと虹を見続ける、筋肉が律動する!


(先輩……ボクに力を!)


 真正面から叩き込む筋肉卓球順回転ドライブ

 強打を打ちながら、ペッパーは背中が冷えた。


(ダメだ、これでは決まらない!)


 ヒメ!

 心臓を強く拍動させる、周囲の耳に聞こえるかと思うくらいに。

 繰り出される強打、超速球でありながら蛇行しブレる異次元の魔球、ソルトはラケットを振る、返せない、ラケットのフチとピンポン玉がバタフライ・キスを交わすように軽く触れて、そのまま後方に飛び去っていった。


 球威にぶつかった湿度は圧縮されて、プラズマ放電を軌跡に残した。

 卓球台の向こうで、ヒメは挑発するように、舌を出してみせた。


(そりゃそうだよなァ、簡単に勝たせてくれる相手じゃねぇよ)


 ソルトは、だから笑った。

 簡単に勝てる相手じゃないから、勝ったらうれしい。

 そんな相手が、今目の前にいるのだ。

 敬意を込めた殺意を、ソルトは正面に吐き出した。


「コノヤロウ、ぶっ殺してやんよ」


 喜色満面の笑みで、ヒメは返答した。


「やれるもんなら、やってみなさい。愛してあげるわ」


 ソルトの横、ペッパーは肩をすくめるポーズだけしながら、目は獲物を狙う猛禽のように鋭い。

 ガーディアンはマイペースに、ラケットを左手に持ち替えて右手をグーパーしていた。


 五対四。ヒメ・ガーディアンペアのリード。

 最終ゲームに限りこのタイミングで行う、コートチェンジとラリーローテーションの変更。

 最短で、あと六点あれば、試合は終わる。

 そして最短で終わるワケがないと、リードするヒメらが感じていた。

 それはつまり、最高のことじゃないか。ヒメはんだ。


「ゴホッ」


 誰かの咳。

 あえて気にはしない。

 疲れを意識するのは、最後の最後で十分だ。


 天井に張る雲が、黒さを帯びてゆく。

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