第11話 雪の雫

「さっきは一点、今回は六点。悪くないと思うぜ」


 ドリンクを飲みながら、ソルトは言った。


「少しずつ対抗はできてるんだ。

 あと少し、決定打があれば、きっとゲームを奪取できるはず」


 そこでソルトは、ペッパーを見た。


「……ビビってるのか、ペッパー」


 ドリンクを持つペッパーの手は、わずかに震えていた。

 ペッパーは息を吐き、頭を振り、それから口を開いた。


「……いや。ああ。そうだな、どうやらビビっているらしい。情けないことに」


 ペッパーは相手サイドを見た。

 同じく話し合うヒメとガーディアン、そのヒメの視線と、ペッパーの視線はかち合った。


「次のゲーム、ボクがヒメの打球を受ける番だ。

 正直キミのように、うまく受けられる気がしない。

 とんだ笑い種さ、あれだけ大口を叩いて来たのに」


「ホントだぜ」


 ソルトはペッパーの額を小突いた。

 ペッパーの反応は鈍い。

 ソルトはペッパーの顔を見て、鼻で溜息をつき、それからややあって、言った。


「いつかの問いかけに、返事してなかったけどなァ」


 休憩時間が終わる。

 ソルトはドリンクやタオルを片づけ、卓球台へと足を向けながら、告げた。


「オレだって、楽しいと思ってるよ、テメェとの卓球」


 下を向いていたペッパーの目が、思いがけず大きく開いた。

 いつかの問いかけ。いつだ。

 ソルトが卓球部を辞めたと知った日。踊り場で揉み合い、去り際に自らが言った言葉。


“キミとの卓球を、楽しいと思っていたのは、ボクだけか――”


「――ははッ!」


 ペッパーは笑い飛ばし、手でぐじぐじと顔をぬぐい、振り払って水分を飛ばし、言い放った。


「なら、勝とう! 勝った方が、きっとずっと楽しい!」


「道理だなァ!!」


 追いついてきたペッパーと肘をぶつけ合い、二人並んで卓球台についた。

 第三ゲームが、始まる。


(ああ、勝とうぜ――ここまでやって来たんだろ、オレら、二人で!!)


 二対一。三対二。四対二。ヒメ・ガーディアンペアのリード。


(ソルトみたいに。胸を張れ。ボクだってきっとできるはずだ!

 殺意になんて負けるものか、ボクら、二人が!!)


 五対三。六対四。ヒメ・ガーディアンペアのリード。

 競り合いながら、しかし一度たりとて、優勢を明け渡しはしない。


(クソッ! このゲーム取られたら終わりなんだ!

 絶対に諦めねェ……! オレの!! 全部!! 血ヘド吐いたって出し切るんだ!!)


 これはスポーツであり、都合の良い魔法や超能力などはない。

 その場で新しい力に覚醒したりなど、ありはしない。


 だから、あるのは。

 それまで積み重ねてきた、努力や縁や想い、そんな何かの結晶だった。


 ソルトのラケットが、逆回転カットをかけた。

 この試合に幾度となく繰り出した玉で、ヒメも球威を理解している。

 ヒメはラケットを差し入れ、返球を行った。


 その玉が、舞い上がらず、ネットに引っかかって落ちた。


 一瞬、天使が通り過ぎたように、静けさが流れた。

 状況は、ソルト・ペッパーペアが一点取った、それだけではあった。

 ただ、それだけではない何かがあったと、その場にいた人たちは確かに感じた。


 逆回転をかけた玉は、ラケットに当たると、その回転に沿ってラケットを駆け降りるような力がかかる。

 だから打つ際には、ラケットの角度や振りで上向きの力をかけるのがセオリーである。

 ヒメも当然理解していたし、そうやって今まで返してきた。


 しかし、今回の玉は、落ちた。

 その感触は、まるで。


(溶けた――)


 まるで、舞い散る雪を手のひらで受けて。

 跡形もなく溶けて消えてしまうような、そんな感触だった。


「スノードロップ……」


 ペッパーが、呟いた。

 それは無意識に出た言葉だったが、その打球を表す言葉として、そこにいる全員の腑に落ちた。


 それは奇跡ではない。覚醒でもない。

 それまで培ってきた技や、会場の熱気による気流変化や、立ち上る汗の湿度や、どんなに苦しくても死力を振り絞った筋肉のブレや、様々な要因が複合して起きた、普段より回転が強くかかった玉というだけだ。


 狙って出せるわけではない。

 だが、ヒメはそうでない可能性を考える。

 だから、ソルトは笑った。不敵に。

 この打球が、いつでもまた打てるぞと。

 その空元気が、この試合に、確かに根を張った。


 試合は続く。

 ヒメは幻の打球を警戒し、その分だけ技のキレを削がれた。

 結局、雪の雫が二度舞い落ちることはなく。

 十一対九。この試合で初めて、ソルト・ペッパーペアがゲームを奪取した。

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