第34話 虹を架けろ

 得点は五対二から、ヒメのサーブで継続!


「ぎッ!」


 毒蛇のような曲線軌道、ソルトは追いつく、防御に優れた逆回転主体カットマンに追いつけないはずがない、振るう、スノードロップ!

 ガーディアン、玉をよく見る、リスクは冒さず対逆回転短打ツッツキで引き伸ばす、その甘い玉を見逃さない、ペッパー強打! ヒメ追いかける、ソルトは構える、しかしヒメの打球は正確に打てずアウト!

 これで五対三!


「ッし!」


 振り向きながらソルトはガッツポーズする。

 この長くないラリーだけで、水に沈めたドライアイスのごとく汗が吹き出し、空気を白く染めた。

 二連続得点。しかし決して優勢ではないと、ペッパーは感じた。


(ソルト……! その打球はいつまで打てる?

 限界以上の打球ではないのか?

 仮に、このゲームの最後まで打ち続けて、ゲームを勝ち取ったとして、次のゲームはどうするんだ?

 必要なゲームはあとふたつなんだ……それまでソルトは、そんな打ち方をして、体力がもつのか!?)


 試合は続く。まだ続く。

 ガーディアンはリスクを避けた立ち回りをし、ヒメは平常運転。その平然と繰り出されるえげつない回転球にソルトは追いつき、スノードロップを打ち続けた。

 かつてない高揚感。ソルトは極度集中ゾーンに入っていた。

 瞳孔が開き、汗が白く噴き出し続ける。

 疲れはまったく感じない。

 それは実際に疲れていないことと、イコールではない。


(ソルト!)


 ペッパーはソルトの顔を見た。

 顔は高揚にゆがみ、限界を超えて振り抜かれる腕はきしむ音が聞こえるようだ。

 皮膚は紅潮し、赤黒いほどに。汗の白さの奥に垣間見える、それは死の気配、漆黒のオーラ。

 まるで、ヒメと鏡写しで。


(ソルトッ!!)


 ペッパーは打ち続ける。打ち続けるしかない。

 試合はまだ続く。ペッパーが得点を決めてしまえば、ソルトにだって負担はかからない。

 強く打つ。ヒメの無重力のような歩法が、暗黒の残像を引き伸ばして、得点を決めさせてくれない。

 ラリーが長引く。スノードロップ。降り積もる。負荷が、降り積もり続ける。


(ソルト! そうまでして打ち続けるのか!?

 ボクだって当然勝ちたい、勝ちたいが、今そこまで無理をしなくてもいいだろう!?

 ここを落としても、仕切り直してその後の二ゲームを頑張ったって、いいじゃないか!?)


 ソルトの必死な吐息が、距離などないように伝わってくる体温が、ペッパーをじれされて。


――テメェはさ。中学卒業したら、当然誰もが高校行くって、そう思ってんだろ。


 不意に思い出した言葉。

 背中が冷えて、足元がぐらつく感触がした。


 中学。出会ったころ。試合が終わって帰ろうとするソルトを捕まえて、質問攻めして、どこの高校に行く予定か問い詰めたときに返ってきた言葉。

 パズルのピースがつながってゆく感覚。ソルトの家に泊まったとき、両親は自分を、ソルトの「友達」を大歓迎してくれて。その母親は、中学のころ、体調を崩していたという話で。

 それがどの程度のものだったか、聞いてはいない。ただ中学生のソルトが部活動をしない選択をし、高校進学さえも定かでないと感じるほどのものだったのなら。


(何が、違う?)


 隣で死に物狂いで打ち続けるソルトと。

 正面、誰かの死を背負って打ち続けているのであろうヒメと。


(もし、何かが一歩、違っていたら。

 ソルトとヒメの立場は、逆だったかもしれないのか?)


 ガチリと、音が聞こえた気がした。

 全身のギアが強制的に上げられるように、ペッパーは極度集中ゾーンに突入した。


(今こうしてソルトと卓球をしていること、当たり前だと思っていなかったか!?

 どんな奇跡が積み重なって今があって、この先ずっとこうして卓球を続けられると、どこにそんな保証がある!?

 当たり前に思っていた将来が崩れる感覚を、ソルトは中学の時点で味わっていたのか!?)


 イマジネーション。七色の視界。打球を見通し、有効なコースを探る。ないなら作れ。隙を作り出せ。今を勝ち切るために!

 白く汗が散る中、ペッパーはあふれ出る感情を打球に乗せた。


 そこをどけ、ヒメ、ガーディアン!!

 ボクらの時間を邪魔してくれるな!!

 こんなにも満ち足りた奇跡を、易々と手放してたまるか!!

 ボクらの事情をあなたたちは知らないだろう!!

 ボクだってあなたたちの事情など知らない、知るつもりもない!!

 ボクは、ソルトと一緒に、ボクとソルトの二人で、勝ちたいんだ!!


 強い想いがあれば、勝てるわけではない。

 想いに応えるために、強くあり続けるから勝てるのだ。

 そして、強くあり続けるための強さを、ペッパーはもう持っている。

 ソルトと一緒に努力を続けて、ソルトが限界を超える中で、ペッパーがそうできない理由が、どこにあろうか。


 イメージが先行する。

 ヒメのカバー範囲をすり抜ける虹色の軌跡が、視界の中を走る。

 その軌跡をなぞるように、筋肉を躍動、ただ最高の一打のために前進ドライブさせる。

 打ち上げ花火のように高く上がる、その軌跡が折り曲がる、純粋で強烈な順回転ドライブが空気抵抗を転がって自由落下を超える速度で打球を落とす。湿度を含んだ重い空気が、回転力を軌道に変えるレールになる。ソルトの頑張りが生み出した汗のレールだ!

 バウンド! 高さと速さの両方を備えたアーチが、小柄なヒメが返すには高すぎる軌跡で飛び去った!


 ソルトは、その軌跡の残響を見た。

 打球の回転圧力で、湿度がその軌跡に沿って圧縮し、ほんのわずかな間だけプリズム発光した。

 それはまさに、虹のアーチのように。


「レインボードライブ、とでも名付けとくか?」


 ソルトは歯をむいて笑ってみせた。

 ペッパーは軌跡の向こうを、観客席にいる、自身の母の姿を見た。


(恵まれているな、ボクは)


 ペッパーは力強く、ラケットを握った。


 得点は現在、八対八。

 試合はまだ終わらない。終わりはしない。

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