第28話 死神の幻影

「しゃッ!!」


 ペッパーが短く雄叫びを上げ、ソルトも呼応して小さくガッツポーズした。

 そしてすぐに、次の配置につく。

 まだ一点。最低でも三ゲーム三十三点取らないといけないうちの、まだ一点だ。


(とはいえ)


 ソルトは手の甲で汗を拭き、ヒメとガーディアンを見た。

 澄ましているが、先制点を取られては心穏やかでない……はずだ。


 ペッパー、初球サービスに移る。

 威力ある玉をヒメはさらに強めて返し、ソルトも重ねて威力を増す! ガーディアン、返球し損ねネットへ!

 二点連取!


 会場が熱気に包まれる中、ソルトとペッパーはむしろ、困惑した。


(マジか? まだたったの二点とはいえ、こうもすんなり取れる相手か?

 それだけオレたちのレベルが上がって……いや、でも……)


 なぜだか、背中にひやりとした感触が流れる。

 ソルトは向かいを見た。

 サーブ位置についたヒメの、その唇が、肉感的に動いた。


――迷ったなら、死ぬわよ。


 ぞくりと、背筋が凍った。


 ヒメの初球サービス。構え、ピンポン玉を投げ上げる、そのラケットの動きをソルトは見極めようとする。


逆回転カット……いや無回転ナックル……いや……いや……!)


 足音と共に打ち出される打球!


(横だ!)


 卓球台の右側へアウトになろうかという打球が、回転力で空気を蹴り飛ばして曲がる。入ってくる。もう進行方向は左だ!


(こ、のッ!)


 ラケットは間に合った! だが間に合っただけだ。

 あざ笑うようにラケットのラバーを蹴った玉は右にそれて、ネットに引っかかった。

 一連の軌道は、死神の鎌のようだった。

 死の余韻の中で、ヒメがフッと短く息を吐いた。


(チッ……そりゃ当然だよな、回転だってお手の物だよなァ。

 卓球台のネジを分解できる芸当がありゃ、このくらいの横回転なんて当然打てる)


 ペッパーがちらりと、ソルトの顔をうかがった。

 ソルトは不敵に鼻を鳴らし、視線を返した。

 この程度で心配されてたまるか。

 そりゃ冷や汗は出ているが、球筋にひやりとさせられただけだし……寄り添うように飛んできた、死神の幻覚も、幻覚に過ぎない。


 ヒメはサーブ準備に移る。

 きちんと静止を確認し、玉を投げ上げ、サーブ力を生み出すため、心臓を止める。


 そのときヒメは、自身にしなだれかかる死神の息づかいを、確かに感じた。


(いつも、そうだ)


 心臓を止める刹那、ヒメはいつも自分に取り憑く死神の存在を感じる。

 そのときだけの存在ではない。この特異体質のわずかなメリットと引き換えに宿る、大きなリスクだ。

 どんな現代医学でも見つからないが、見えなくともずっとそこにいて、命をいつか刈り取ろうとしている。


(あの子は、刈り取られた)


 投げ上げた玉が下降に転じる。

 ヒメは心臓を駆動させる。心臓から右肩へ、腕へ、手首を経てラケットへと、運動エネルギーを押し出す、打球に込めゆく。自身を呪う死神ごと!


「きィィァッ!」


 小細工なしの速球!

 先立って打った横回転球がブラフとなり、ソルトは対応に遅れて返し損ねた。

 死神の残響を、ヒメはうっとりとながめる。

 そして返ってくる、ソルトの挑戦的な視線をも。


(ああ、やっぱりあなたたちはいい。

 この殺人打球を相手取ってすら、それだけの敵意を保ち続けていられる。

 だからあたしは打ち続けられる。

 あたしを呪うこの死神を外に打ち出すだけの、卓球ころしあいができる)


 ゆがみにゆがんだヒメのその顔を、喜悦と読み取れるのが、ヒメ以外にいるだろうか。

 それともそれを喜悦と読み取る、ヒメ自身がおかしいのだろうか。

 ヒメの横で、ガーディアンはただ、静かに構える。


 カウント二対二。

 サーブを構えるソルトは、レシーブ位置のガーディアンを見やった。


(あからさまに、チキータを構えやがって……!)


 右手を逆手側バックハンドに置き、上半身を倒す。

 去年の試合でも苦しめられた、暗黒の魔技の構え。

 別に悪いことではない。ないが、単にムカつくだけだ。


 ペッパーの目配せに、ソルトはうなずいた。


(真っ向勝負、やってやろうじゃんよ)


 呼吸を整え。

 動く、目一杯のコースと回転力で攻めた初球サービス


「ッ!!」


 返球を、ペッパーは触れすら出来なかった。

 余韻だけが残る中、ガーディアンは振り抜いた姿勢のまま、ヒメにスペースをゆずることすらしていない。

 その一撃で決めるという自信であり、事実そうなった。


(冗談だろ……!

 去年より威力が段違いに上がってるじゃねぇか!?)


 ソルトは歯噛みして、ちらりとペッパーを見た。

 そして息を呑んだ。

 ペッパーは、冷静に、燃えていた。

 流れる汗がエタノールなのかと疑うほど、熱気がその肌にゆらめきながら、瞳は力強く定まっている。

 次に向けて。


(やれるんだな、ペッパー)


 ソルトは覚悟を決め、サーブ位置についた。

 ガーディアンは再度、チキータの構え。

 静止、そして動く、ピンポン玉を投げ上げ……!


 打球音は、合わせて三発。


 反応はして、しかし間に合わなかったヒメの向こう、ピンポン玉がテンテンと跳ねていった。

 ヒメは、そしてガーディアンも、信じられないという顔で向かいを見た。

 ラケットを振り抜いたペッパーは、そのままの姿勢で、場所をゆずらずそこにいた。


 観客席。

 ナルはハカセに尋ねた。


「今の、早すぎて見えなかったけど、ペッパー君がガーディアン君のチキータを返したんだよね?

 さっきは全然反応できなかったのに、なんで急に?」


 ハカセは、眼鏡を直しながら、言った。


「……例えば、野球でものすごい豪速球を投げるピッチャー。

 あるいはアクションゲームで、ものすごく速い攻撃を打ってくるボスキャラでもいいですね。

 どんなに速い攻撃でも、同じ速度の攻撃を単調に繰り返していたら、だんだん慣れて対応できるようになります。

 ゲームはそうやって慣れることで攻略する前提ですし、野球ではバッターに慣れさせないために変化球やボール球を織り交ぜるワケですが」


 顔は卓球台に向けたまま、ハカセは続けた。


「ペッパー君は、一球で慣れた。それだけです」


 カチリと、スイッチが入るような音を、会場にいた多くの人間が聞いた気がした。

 試合をする四名のボルテージが、一段階上がる、予兆だった。

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