第30話 想いの力
ヒメはベンチに戻り、ぷはっと息をついた。
ゲーム間の、一分間の休憩。
この時間で水分補給をしたり、気持ちを切り替えたり、作戦を考えたりするわけであるが。
(今は……息を整えないとね……!)
肩で息をしながら、ヒメは釣り上がった口角を抑えるのに苦労した。
肉薄された。ここまで息を乱すほど、実力で迫られた。
その事実が、こんなにも、楽しくて、楽しすぎて、息ができない。死んでしまうほど、楽しい……!
ヒメは横を見上げた。
ガーディアンが心配げに、ヒメを見下ろしている。
そのガーディアンの全身も、もうもうと湯気を立てている。
「ハアッ、ハアッ、アハハハッ……! すごいわね、本当に……!
やっぱり強いわ、あの子たち……!」
ガーディアンはうなずいて、ヒメにタオルを渡した。
ヒメは受け取るまま汗を拭き、その間も笑い声はやまない。
「ああ、楽しい……!
楽しすぎて、このままあたし、死んじゃいそうだわ……! アハハハ……!」
「死んじゃダメだよ、ヒメ」
ガーディアンはヒメの背中を叩いた。
思ったよりも、強い叩き方だった。
ヒメは笑いやめ、タオルのふちを握った。
そこにくっつけてあるものに手を触れ、ヒメは落ち着いた。
「ええ。あたしは死なないわ。
ありがとう、ガーちゃん」
穏やかに笑っても、死の気配は、今もずっと消えない。
ヒメはタオルごと手を握りしめ、その中にあるもの――女性向けデザインの髪留めは、ひやりと存在感を与えた。
ソルト・ペッパーサイド。
「やっぱ、チクショウ、強えな……!」
目をぎゅっと閉じ、ソルトは冷たいボトルを手に取り、ひたいに当てた。
ペッパーもドリンクを飲みつつも、吐息は苦しげだ。
「オレら、強くなったよな。強くなってるよな。
でもあの人ら、マジで強え……!
自分が強くなるほど、相手の強さが身に染みて分かるって感じだ……!」
「ソルト」
声をかけられ、ソルトは目を向けた。
ペッパーは汗を流したまま、冷ややかな視線で、ソルトを見た。
「まさか、怖じ気づいてはいないよな?」
ソルトはしばらく、黙ってペッパーの目を見た。
それから不敵に、にやりと笑った。
「そう見えるか?」
「いや、全然」
ペッパーも穏やかに笑った。
二人はしばらく笑い合い、そしてひたいをぶつけ、声を張った。
「勝つぞペッパー!! まだ一ゲーム落としただけだ!!
次は絶対取るッ!!」
「ああソルト!! 次こそゲーム奪取するぞ!!
ボクたちは、勝ちに来たんだッ!!」
ひたいを離し、こぶしをぶつけ合い、ドリンクを飲み、汗を拭いて、ベンチにタオルやらを投げ置いた。
高ぶる気持ちのまま、卓球台へと戻る。
観客席からずっと見つめる
第二ゲーム。
二対ゼロ。二対一。三対一。四対二。ヒメ・ガーディアンペアのリード。
状況は悪い。初手で先制を食らったまま、じりじりと進む。
第一ゲームでは結局、最初の二点先制をひっくり返されて以降、互角の戦いを繰り広げたまま、ついぞ逆転できないままだった。
このゲームでも、互角では、負ける。
タオルで拭いた二人の顔に、さっき見せた余裕がなくなっているのを、マァリは見た。
再開。打ち合う。打ち合う。
二人の胸中にある焦燥が、外から見ても分かるようだ。
マァリはいてもたってもいられなかった。
彼女に今できることなど、限られている。
だから、ただできることを。
ラリーの切れ目、気持ちが一切の
「お兄ちゃーん!! ペッパーさーん!! 頑張ってー!!」
擦過音。
先日張り替えたラバーに鮮やかに
ヒメは手を伸ばす。返せない。
勢いのまま、次の手番、ペッパーの炎のような
点数が、並んだ。
試合の流れを、マァリはただただ見ていた。
応援の声が届いたのか、マァリの方から確かめるすべはない。
ただ次のタオル休憩、タオルを取りに行きながら、マァリに向けて高く掲げられた二人の左手、それが答えだ。
二人の手首に、そろいのミサンガが、しっかりと巻かれていた。
ヒメは汗を拭きながら、頭を押さえた。
声が、耳鳴りのように離れない。
歓声も喧騒も、違う世界のように遠い。
「ヒメ……」
ガーディアンが、心配そうにヒメの顔をのぞき込んだ。
ヒメは、タオルの端。くっつけた髪留めを、握った。
そして声を、思い返した。
――アタシは、もう死ぬけどさ。
アニキは勝てよ。
勝って、勝って、死神になんか負けずに、思う存分生きてくれよな。
ヒメの目が、力強く、見開かれた。
卓球台に戻り、ソルトはいぶかしんだ。
向かいのヒメ、その前髪に、明らかに女性向けと分かるデザインの髪留めがつけられていて。
壮絶なほどの眼光が、ソルトとペッパーに向けられた。
「ああアアアッ!!」
悲鳴のような気迫とともに、ヒメの殺意が、強烈な打球が、卓球台を侵略した。
汗も涙も区別がつかないような顔で、ヒメは祈った――死んだ妹の名を。
(あたしは勝つ。勝ち続ける。
見ててちょうだい、
ガーディアンもまた、ヒメと並んで、悲壮な顔で、全力で卓球に挑んだ。
痛みを伴うような攻勢の中で、リッカから託された言葉が、ガーディアンの胸の中でうずいた。
――アニキはさ、ああ見えてさみしがりやだから。
ついててやってくれよ、
アニキをさ、なあ、よろしく頼むよ。
「があああアアアッ!!」
ガーディアンの大きな体が、豪快に振られ、打撃力を生み出す。
涙をこらえる。そんなものを流しているヒマなどない。
ただ押し込む、ソルトとペッパーの反撃も力でねじ伏せ、押し込む。
七対六。八対六。九対六!
強い想いを持っていれば、勝てるというものではない。
そんなことで勝敗が決まるなら、試合をする意味などない。
強い想いを持つ者が勝つのは、強くあり続けようとするからだ。
想いに応える強さを、持ち続けようとするからだ。
(――だから、負けない!!)
ヒメとガーディアンの力が、死の瘴気が、その奥からあふれ出すマグマのような熱意が、試合を塗りこめようとしていた。
雪の気配が、そのときした。
ヒメは目を見開いた。
ガーディアンの猛打を、ソルトは
その所作、空気、一年前にも見た、試合展開を変えたあの気配。スノードロップの気配!
(させない!)
ラケットを持つ右手を、ヒメは目一杯伸ばした。
溶け落ちようとする雪の雫を拾い上げんと。
消えゆく運命にあらがうように。
そうして打った玉が、ふわりと浮いた。
(回転が、弱い!?)
ゆるゆると返球された玉を見て、観客席、ユキドリは力強くうなずいた。
ゲーミング卓球台、移動するサークルを用いた特訓。
コースが予告された状態で得点を奪う、その課題への答えは、球威を打ち分けることだった。
同じフォームから繰り出される異なる回転威力の玉は、先に強烈な玉を見せるほど、その印象に引っ張られて対応が難しくなる。
ちょうど今、雪の幻に引きずられた、ヒメのように。
チャンスボールを、当然ペッパーは見逃さない。
幽霊のようにゆるく浮いた玉を、力強く
ピンポン玉は、ヒメとガーディアンの手元を抜き去った。
強い想いを持つ者が勝つのは、強くあり続けようとするからだ。
ならば想いを持つ者よりも、強くあり続けることができるのなら。
勝てない道理は、どこにもない。
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