第31話 ずっと、続いている

(まだだ!)


 得点を決めたペッパーは、すぐに身を引き締めた。


 勢いを止めたものの、得点は九対七。

 ヒメ・ガーディアンペアのリードでゲーム終盤、もう得点を許すわけにはいかない。

 実際、向かい合うヒメもガーディアンも、すでに失点から気持ちを切り替えて、ゲームに挑む構えだ。

 その目にあった涙の跡は一瞬で蒸発し、残るのはただ、黒ずんだ死の瘴気だけだった。


「きィィ!」


 ヒメから強烈な横回転が襲いくる!

 ペッパーは強気で受け止め、順回転ドライブをかけた。


(キツい……!)


 打球の勢いに押され、汗が後ろに流れる感触がする。

 返球は成ったが、得点にいたる玉ではない。

 ガーディアンの打撃! ソルトが間に合う!

 厳しく伸びる玉を大きく後退して拾い、すぐにペッパーは次の打球に備える。


(相手の事情を斟酌しんしゃくするつもりなどないが、そもそもそんなことを言っている余裕はないな……!

 笑ってしまうくらい実力で押されてしまう、踏ん張らなければ……!)


 ヒメからの難しい返球、絶えずブレ続ける無回転ナックルに、ペッパーは強く当たりにゆく。

 攻撃、真芯をとらえていない。とらえさせてくれない。


「がぁッ!」


 ガーディアンの強襲を、ソルト、切るカット

 わずかに横回転が入ったのを、ヒメは見逃さない。もう回転を見誤ってはくれまい。

 回転を殺して対応する――その返球の絶好の位置に、ペッパー。


「ッ!」


 気迫とともに押し出した順回転ドライブ、文句なしに最高の一撃。

 ガーディアンの防御をかいくぐり、得点につないだ。


「っし!」


 ソルトは息を吐き、すぐに次に向けて構える。

 汗は霧となって空気に流れ、背景を白く染めた。

 ペッパーも気を引きしめ、構えた。


(ソルトがうまくつないでくれた!

 このまま、勢いに乗りたい……!)


 試合は続く。

 汗を散らし、ヒメからの殺人打球を、ペッパーは力一杯受ける。

 返球が危うすぎる、とても得点につながる打ち方ではない。


(本当に、うんざりするほど強いな!)


 肺が焼けるように苦しい。

 互いに強く打ち合う。緩みはない、実力差だってそこまで大きなものでもない。

 だからこそ、じわじわと追い詰められる。

 ヒメの無回転ナックルをとらえきれず、十対八。マッチポイント。


(厳しい戦いだ……戦えているからこそ、あと少しの差が如実に出る)


 焼けつくような体を動かして、タオルで汗を拭く。

 拭きながら、ペッパーはソルトの顔を見た。

 ソルトも苦しげに、うつむきがちのまま汗を拭いて。

 そして――不意に、その口から、音楽が流れた。


「ルルルー、ルルルルルール、ルルルルールールー……」


 その旋律を、ペッパーは知識として知っていた。

 そしてそれをソルトが歌う様子も、見たことがあった。

 中学三年。最後の大会。ソルトと初めて会ったころ。

 ペッパーと対戦したあのときも、ソルトはその曲を、口ずさんだ。


 歌声は観客席まで届き、マァリはそれが、ソルトが時々聞いていたクラシックの一節だと気づいた。

 その他の観客にも、聞き覚えのある者は少なくなかった。

 そのメロディは現代にいたるまで、様々にアレンジをされて奏で続けられており、原曲がクラシックだと知らないまま耳にした人は多いだろう。


 そして、ハカセは。その曲について、思い当たるものがあった。


「組曲『惑星』より、木星、第四主題……」


 眼鏡を直し、そして視線を、隣に投げかけた。


「ナル。あなたがよく口ずさんでいた曲ですね。

 試合で苦しいとき、ここ一番のとき、コンセントレーションを高めるために」


「うん」


 ナルはうなずいて、ソルトを見つめた。


「うれしいなあ。覚えててくれたんだ」


 中学のころから、ナルはそれを口ずさんでいた。

 それをソルトが、どのくらい聞く機会があっただろう。

 卓球部に入っていなかったソルトが、どのくらい、ナルの試合を見ることがあったのか。

 そしてそのルーティーンが、今こうやって、ソルトに根づいているなんて。


「わたしの卓球が、そこにあるんだね」


 一節を歌い切り、ソルトは顔を上げた。

 それからペッパーに向けられたソルトの目は、空気を吹き込んだ炉のように燃えていた。


「やろうか、ペッパー」


 熱は、ペッパーにも伝わる。

 ソルトがこれだけ燃えていて、ペッパーが熱くなりきれないなど、どうしてできようか。


「ああ、ソルト」


 試合再開!

 強く打ち続ける、決して引かず、ソルトとペッパーは持てる力の限り、攻める、攻める、攻める!


(ここに来て、まださらにボルテージが上がるというの!?)


 ヒメだってガーディアンだって攻める、攻めきれない、あと一点が決まらない!


 戦いの中、汗が舞い上がり、蒸発して、白く包んでゆく。

 ソルトの手元が、霧に紛れ、見えなくなる。


(これは……!)


 ヒメは対応をしあぐねる。

 霧に隠れた手元から、千変万化の球種が飛び出る、この技は!


霧隠きりがくれ忍法……!」


 ソルトは鮮やかな回転球を繰り出す!

 竹林の合宿で学び取った、今は卒業して去った、シノブの技だ!


「くっ!?」


 苦し紛れのヒメの返球、逆手側バックハンド浅め。

 次の打球に備えたガーディアンは戦慄した。

 ペッパーの構え、右肘を上げ、手首を折り込み、上半身を伏せる、暗黒の魔技チキータの構え!

 その禁断の技を繰り出すために、右腕の、体幹の、両脚の筋肉は躍動する。

 竹林の合宿で鍛えた筋力だ。ハカセが構築しシノブに託した、筋肉卓球トレーニングの成果だ!


「はァッ!!」


 チキータが華麗に刺さった!

 勢いに乗ったまま、十対十、延長デュース突入!


 ハカセは眼鏡を外し、目元をぬぐった。


「すみません、ナル、試合をしっかり見ておいてください。

 私はしばらく、まともに見れそうにありません」


「無理だよ」


 ナルもまた、口元を手で押さえ、涙をにじませていた。


「無理。わたしだって無理。無理だってこんなん……!」


 試合は続く!

 決して引かないまま、競り合う、競り合い続ける、十一対十一、十二対十二、十三対十三!


(緩まない……振り切ることが、できない……!)


 ヒメが歯噛みするのと同時、観客席。


「負けないですよ、二人は。

 延長デュースになって、ソルト君とペッパー君が負けることは、決して」


 イッキューは、こぶしを握りしめ、熱く濡れた目を向けて、つぶやいた。


 竹林の合宿。志野六傑衆の試練。

 七点ものハンデをつけて行った試合、決して楽なはずもなく。

 三試合九ゲームのうち、実に七ゲームもが、延長デュースとなった。


「二人はあの試練で、劣勢からの逆転を、競り合いの中でもぎ取る勝利を、肌に覚え込ませたんです。

 すべては敗北からはい上がるためにです。

 一年前の敗北から、それを乗り越えて、ここにいるんです。

 負けるワケがない、絶対に……!!」


 鮮烈なほどの順回転ドライブが、落雷のように駆け抜けた。

 十七対十五、ソルト・ペッパーペアが、この二ゲーム目を、勝ち切った!


 息呑んでいた観客が歓声を炸裂させる中、その一角。


「吉平、あんた、そんな表情するんだねぇ」


 ペッパーの母は、目を丸くして、それから嬉しげに微笑んだ。


「見られてよかった。

 ありがとう、誘ってくれて」

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