クライマックス、フェーズ2

第32話 狂熱の中

 その日もまた、すり傷だらけで帰ってきた妹を見て、ヒメはため息をついた。


「また、ケンカをして来たの?

 やめなさいって言ってるでしょう。死神を飼い慣らしても、それでケガしてたら世話ないわ」


 妹は――リッカは兄に目を向けて、勝ち気に笑った。


「そうは言ってもな。これに勝る楽しみって、なかなかないもんだぜ。

 自分が強いとカン違いしてイバり散らしてるヤローを、コイツの力でブン殴ると、スカッとするんだよ」


 虚空に手を伸ばし、そこにいるのであろう、自身に取り憑いた死神をなでるような仕草をした。


「アニキは卓球だっけ?

 アタシは性に合わなそうだけど、そんなんで死神を飼い慣らせるのか?」


「ええ。あたしは存分に使いこなしてるわ。

 うまくハマっているわよ、ケンカや格闘技と違って心臓より先に体が参っちゃうこともそうそうないし、それでいて相手との距離が十分に近いから。

 思う存分、心を削り切るほどに、殺し合いを楽しむことができる」


 うっとりと、ヒメは微笑む。

 リッカはもう興味なさそうに、ぶらぶらと上半身を揺らしていた。

 ヒメはまたため息をつき、それからリッカの後ろに回って、髪を整え、髪留めをつけ直した。


「せっかく髪質だっていいのに、台無しじゃない。

 正直うらやましいわ、あたしよりモテるんじゃない?」


 リッカは押し黙った。

 ヒメは首をかしげ、リッカの顔をのぞき込んだ。

 リッカは、赤面していた。


「……もしかして、イイ子がいる?」


「ばっかやろ、そんなんじゃ……」


 ヒメを押し退け、ぶすりと黙り、それからその顔は、切なげにゆがんだ。


「だってよ、かわいそうじゃんか。

 気持ちに応えてやったところで、アタシはどうせ早死にするんだ」


「そんなこと……」


 ヒメは言いよどんだ。

 そして、妹の体を抱きしめた。


「そうならないために、死神を飼い慣らしているんでしょう?

 大丈夫、死なないための殺し合いを続ける限り、あなたもあたしも死なないわ」


 リッカはしばらく、兄の腕の中にうずもれていた。

 ややあって腕を緩め、向き直り、リッカは笑った。


「……髪留め、ありがとな。

 オシャレは性に合わないけど、この髪留めは、気に入ってるよ」


 きょうだいは見つめ合い、それから笑い合った。

 むつみ合う二人のかたわらに、二体の死神は、消え去ることなくまとわりついていた。



   ◆



 会場内を、歓声が満たしていた。

 互いに一ゲームずつを取り、互角と言って差し支えない試合が繰り広げられた。

 熱気が包む中、ゲーム間の休憩、ヒメは。


「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……!」


 ひたすらに息を荒げる様子を、ガーディアンは心配げに見た。

 気遣おうとして触れた背中は、蒸気を吹くアイロンのように熱かった。


「追いつかれた。追いすがられた。振りほどけなかった……!」


 死の打球が、妹との約束が、命懸けの戦意が、打ち砕かれていく。

 妹との思い出がぐにゃりとゆがみ、死神の幻影がまとわりつく。

 ヒメの小柄な体に、その肢体を、甘い死の吐息を、絡ませていく。


 ガーディアンは心配して、ヒメの顔をのぞき込んだ。

 そして息を呑んだ。

 ヒメの顔は、仮面のように、限界まで吊り上がった笑顔を形づくっていた。


「アハハハッ、アハハハハッ……!

 楽しい、楽し、キヒッ、ケャハハヒハァッ、クキィ、ピヒィーアハハハァ……!!」


 笑う。笑う。

 両目をらんらんと開き、汗が流れ込むのもいとわない。

 ヒメはその勢いのまま、死神の幻影を引っつかんで引きはがし、床に叩きつけて踏みつけた。


「邪魔してくれるな死よ!!

 あんたはあたしに粛々と力を与えていればそれでいい!!

 あたしの命を刈り取れないまま、よだれを垂らす犬のようにあたしに従順にしていればそれでいいのよ!!

 死んでいるヒマなんて、あるワケがないでしょう!!」


 肌が赤熱する。めくれ上がるような感触がする。

 足の裏でびくびくと震える死神を、ヒメはうっとりとながめた。

 その視線はそのまま、卓球台へ、その向こうへ。

 顔を突きつけ合うソルトとペッパーへと、注がれた。


「最ッ高に楽しい……!

 これだから卓球は、やめられない……」


 舌なめずりをひとつ。

 そのままヒメは、ドリンクに口をつけた。

 ガーディアンは黙して、ヒメに寄り添う。

 そのガーディアンの闘気が、静かに黒く練り上がっているのを、ヒメはこの狂気の中でも、冷静に感じていた。




 高らかなハイタッチを、ソルトとペッパーはぶつけた。

 そのまま手を、強く握りしめる。

 相手を握り潰すのではないかというほど、強く締め上げた。


「やったな……! やったなペッパー!」


「ああソルト、やったぞ……! 一ゲーム、文句なしだ、奪い取った!」


 感極まり、震え、硬く目を閉じ。

 そして次に目を開くと、互いのひたいをぶつけ合った。


「このままガンガン行くぞ!!

 勝つには三ゲーム必要なんだ、あと二ゲームだ!!

 まだまだイケるよな、ペッパー!?」


「当然だ!! このまま戦い抜く!!

 勝利を手に入れるまで、一歩も退くワケがないだろう、ソルト!!」


 汗が床に飛び散る。

 二人はそのままにらみ合い、やがてふっと笑って離れると、ダメ押しに互いの手のひらを叩き合った。


「期待してるぜ、ペッパー」


「こちらのセリフだ、ソルト」


 それから汗を拭き、ドリンクを飲んだ。

 拭いても拭いても、汗の蒸気は止まらない。止まるはずがない。

 こんな熱気を、戦意を、そう簡単に止められるものか。




 スポンサー代表の旋風つむじかぜ嵐太郎らんたろうは、気遣わしげに天井を見上げた。

 広さのあるこのスポーツセンターの中で、雲が張ろうとしている。

 それは試合をする四名の汗や、見守る観客たちの熱気が結露したものだ。

 空調は働いている。いるが、狂熱による湿度上昇の方が上回っているのだろう。

 あるいは外の豪雨のせいで、もともとの湿度が高い影響もあるか。


「おい、キミ、キミ。ちょっと頼まれろ」


 嵐太郎はスタッフの一人を呼び止め、おもむろに財布を差し出した。


「ボクちんの財布、好きに使っていい。

 そこらの家電屋で、扇風機と除湿機、いやコンセントの方が足りないか。置いとくタイプの除湿剤でいい。買い占めてこい。

 あと飲み物だ、選手と観客、それにキミらスタッフにも、全員に行き渡るだけ大量に買ってこい」


 困惑するスタッフに、嵐太郎は財布で小突きながら詰め寄った。


「熱中症を出させるなと言ってるんだよ。

 いいか、ボクちんの出資するこの大会で、選手も観客もスタッフも、誰一人として体調不良者を出してくれるなよ!」


 嵐太郎はそれから、卓球台の方を見やり、言った。


「こんな試合、最後まで付き合えない人間がいたら、かわいそうだろうが」

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