竹林の特訓

第15話 いざ、秘密特訓

 目覚ましのアラームを止めて、ソルトはぼんやりと目を開けた。

 汗をかいているのが、自分で分かった。

 また、あの試合の夢を見てしまった。

 あと何日、あの敗北の味を思い出せばいいのだろう。


「……クソあちぃ」


 ソルトは身を起こした。

 遠くで、セミの鳴き声が聞こえていた。




 待ち合わせのバスターミナルに、ペッパーはすでにいた。

 今すぐにでも運動できるような軽装と、旅行カバン。


「……遅いぞ、ソルト」


 じとっとした視線の、そのまぶたは少し腫れぼったい。


「ちゃんと寝れてるかよ、ペッパー。それともまた泣いてたか」


「泣いてなどいない。そんな無様をボクが見せるわけがないだろう。

 いつなんどき試合があろうとも万全の状態で戦えるよう、体調管理は完璧だ」


「そうかい。テメェの言う体調管理っつーのは、まぶたを腫れ上がらせることも含まれてるのか?」


「腫れてなどいない!」


「やめるでござる、二人とも。朝から痴話ゲンカを見せつけられてはかなわん」


 パンパンと手を叩いて、間に割って入られた。

 覆面の男、卓球部のシノブ先輩である。


「おぬしら、これから秘密特訓を行うのでござろう。

 長い時間を一緒に過ごすのに、今からこんなにケンカをしていて、やりきれるでござるか?」


「卓球をしている限りはボクらのペアに瑕疵かしなどありえません。

 シノブ先輩、移動のバスに卓球台を置かせてもらえませんか」


「オマエやれることとやれないことを考えて言ってるか?」


 シノブは肩をすくめ、それからこっちでござると先導を始めた。

 ソルトとペッパーは言い合いながらついてゆき、途中で思い出したように、ソルトが言った。


「そうだ、これ、オマエの分」


「うん?」


 差し出されたものを、ペッパーは受け取った。

 カラフルに編まれた紐状の物体。


「ミサンガか?」


マァリが編んだんだよ、不本意だけどおそろいでな」


 ソルトは自分の左手首を指し示した。

 同じデザインのミサンガが、巻かれていた。


「応援されてんだよ、そんだけな」


「そうか……」


「ったくマァリのヤツ、自分で来て渡せばいいのに押しつけやがって。

 どっかの誰かさんが意識させるようなこと言うから、めんどくさいったらありゃしねぇ」


「……」


「どうしたペッパー?」


 ペッパーは、ミサンガに視線を向けて、切なげな目をしていた。


「ボクはただ、ボクが満足するために、卓球をしているに過ぎないんだ。

 でも、こうやって応援されるのは……うん。悪い気は、しないな」


 ソルトはその顔をながめ、所在なさげに首を回し、それから前を向いた。

 先導するシノブに追いつき、声をかけた。


「先輩たちにも、これ」


「お?」


 ソルトはシノブに、また違う色をしたミサンガを二本手渡した。


「シノブ先輩とハカセ先輩の分っす。

 大会はもうないのかもしれないっスけど、受験の願掛けにでもしてもらえれば」


 シノブもまた、切なげにミサンガを見つめた。


「ああ。そうだな。先日の総体で、拙者らの大会は終わった。

 全国のレベルは、やはり高かったでござるよ」


 シノブはミサンガを、ポケットにしまった。


「ハカセにも、今度渡しておく。

 ハカセは受験勉強で忙しいゆえ、次に会うのは夏休みが明けてからになるがな」


「シノブ先輩は……」


「拙者は大学にはゆかぬ。家業を継ぐゆえ」


 歩きながら、シノブは遠い目をした。


「高校に入学してからこの夏まで、ハカセとはずっとペアを組んできた。

 それもこれから、離れてしまうのだなあ」


「それは……」


 ソルトが言いよどんだところで、シノブはふっと覆面越しにも分かる笑みを見せ、気を取り直して歩き出した。


「おぬしらを鍛えるのは、拙者のエゴでもある。

 拙者らが果たせなかった夢を、勝手に懸けているのでござるよ」


 そして立ち止まった。

 これから乗る予定の、古ぼけた貸切バスの前。

 黒装束を着た運転手が、軽く会釈した。


「これっスか、先輩?

 オレらが乗るだけにしちゃ、ちょっとデカすぎるんじゃ」


「乗れば分かるでござる」


 シノブにうながされ、ソルトとペッパーは乗り込んだ。そして理解した。

 バスの座席、そのほとんどが取り払われ、代わりに鎮座するのは、卓球台だった。


「目的地につくまで、これで打ってもらうでござる。

 ノルマはラリー百回継続。当然バスが走る中でござる。

 この狭さゆえフットワークはろくに出来ぬし、年季の入ったバスゆえサスペンションにも期待しない方がよい。

 そして百回ラリーが続かぬようなら、これからの特訓はさせぬ。トンボ返りしてもらうでござる」


 シノブはそして、ソルトとペッパーの肩に手を置いた。


「当然、拙者とハカセは、成功した」


 二人はしばらく、沈黙した。

 そしてソルトが、口を開いた。


「先輩。このチャレンジは、何球・・でやったらいいんスか?」


「なに?」


 シノブは二人の顔を見た。

 ソルトは不敵な顔で、ペッパーは真面目くさった顔で、シノブを見ていた。

 二人の両手にはラケット、そしてピンポン玉が、それぞれ握られていた。それぞれに。


「ひとまず二球で、いいっスかねぇ?」


 ペッパーが奥に入り、配置についた。

 バスが走り出す。

 車体が揺れ動く中、ソルトとペッパーは同時にサービスし、二球同時のラリーが始まった。

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