第16話 殺意清涼と

 一時間以上の道程を越え、バスは目的地へと着いた。

 ドアが開き、もくもくと水蒸気が吐き出され、シノブがよろよろと降り立った。


「よ、ようやくついたでござる……」


「なんで運動してないシノブ先輩がフラフラなんスか」


「おぬしらがクソほど本気で打ち合って、汗でバスが蒸し風呂状態だったからでござろうに……

 三球同時までムキになって成功させようとするなど、おぬしら加減を知らんのか」


「ボクはムキになってなどいませんよ、シノブ先輩。

 ボクらの仮想敵は、九十九高等部ツクコー黄金ペアなんです」


 ペッパーは答えながら、苦々しげに顔をしかめた。

 ほとんど無意識にほおに当てられた指は、痛みの記憶を呼び起こすようだった。


「以前二人に出会ったとき、ヒメは六球を同時に打った。

 そうしてボクらに手傷を負わせ、卓球台を分解までしてのけた」


「三球同時ラリーくらいできなきゃ、話にならねぇよなァ」


 ペッパーの言葉をソルトが継ぎ、シノブを見すえた。

 ソルトも、そしてペッパーも、その眼差しは真剣である。


「まあ、三球同時ラリーが実戦でどう役立つかは、議論の余地はあるでしょうが。

 ボクはソルトが挑戦したそうな顔をしていたので、それに応えただけです」


「あ? 誰がやりたそうにしてたって?

 そりゃテメェだろ、余裕しゃくしゃくで二球同時程度じゃ物足りねぇって顔にありありと出てたぜ」


「は? ふざけるなソルト、ボクがそんな不遜な態度をとるわけがないだろう、キミじゃあるまいし」


「ケンカ売ってんのかペッパー? やるか?」


「いいだろう、ちょうど卓球台があるんだ、決着をつけよう」


「やめんかーい」


 シノブは二人の脳天にチョップをした。


「わざわざバスの卓球台でやらんでも、これからイヤというほどやり合えるでござるよ。

 この、拙者の実家が所有する土地でな」


 シノブが示し、ソルトとペッパーは顔を向けた。

 同時に、風が流れた。


 広がるのは、深々とした竹林。

 夏の太陽に照らされて、生命力ある緑が、輝きながら葉ずれの音をささやいていた。

 葉をぬって風に乗る竹の香りは、高揚した彼らの神経をふんわりと包む。

 そして竹林の、そこここの影に、人工的な建築物の姿が見えた。

 そして清涼な空気の、隙間に異物のように混ざる、殺気。


 ソルトとペッパーは、顔の前に片手を掲げた。

 その手に収まるように飛来した、回転する球体、ピンポン玉。

 その玉は強く回転がかかり、シュルシュルと音を立てて手のひらを磨耗させた。


 朝霧のような冷ややかな視線を上げながら、ペッパーはつぶやいた。


「一、二、三……全部で六人か」


「だなァ」


 ソルトも同意し、牙をむくように口角を上げた。

 竹林の向こうから、はたして六人、現れた。

 どろりとした空気感を身にまとい、全員が片手にラケット、体に卓球ユニフォームと、顔には黒い覆面。


「紹介するでござる。

 我が志野家の血縁、および同業者から選りすぐった珠玉のスポーツマン集団、その名も志野六傑衆しのろっけつしゅうでござる」


「志野六傑衆ゥ?」


 怪訝そうに眉根を寄せるソルトとペッパーに、構わずシノブは説明した。


「おぬしらを鍛えるために集めた精鋭でござる。

 夏休みが終わるまで、ここでの訓練相手として存分に相手をするがよい。

 そして今回の特訓の目標は、彼ら六人、三組のペアと連続で試合をし、一ゲームも落とさずストレート勝ちすることでござる」


「へぇ……」


 ソルトは掲げた手を握りしめ、ピンポン玉の回転を止めた。

 ペッパーは手のひらを上向けて握りを緩めると、ピンポン玉が回転力でペッパーの腕を駆け上がり、肩口でダンスをした。


「五ポイント、ってトコか、ペッパー?」


「ああ、妥当なところだと思うよ、ソルト」


「なんの話でござるか?」


 首をかしげてのぞき込むシノブに、ソルトは歯をむいて笑ってみせた。


「その六傑衆とやらに与えるハンデのことっスよ。

 全ゲームに五ポイントのビハインド、そのうえで全員にストレート勝ちするくらいなら、目標として楽しめそうと言ってるんス」


「なっ……」


 シノブは絶句した。

 まだろくに実力を見せていない相手へのこの不遜に、志野六傑衆からむわりと殺気が広がった。

 そよ風を受けるような気楽さで、ペッパーは言い放った。


「ああ、そのくらい殺意を見せてくれた方がちょうどいい。

 先ほども言いましたが、ボクらの仮想敵は九十九高等部ツクコー黄金ペアです」


 ペッパーは一歩踏み出した。

 ペッパーの背後に、黒ずんだ戦意が蒸気のように巻き上がった。


「殺意ひとつもろくに膨らせられないまま、ボクらの障害として立ち塞がろうなどと思わない方がいい。

 半端な覚悟でボクらの前に立つなら」


 ペッパーは、肩口のピンポン玉をつかみ取った。

 親指で力をかけ、パキリという音とともに、言葉を吐いた。


「潰すよ」


 ソルト・ペッパーペアと、志野六傑衆との間に、ピリピリとした空気が流れた。


 パンパンと、シノブが手を叩いた。


「うむ、あれよ、なごやかな顔合わせの時間を設けられてよかったでござる。

 この辺りでお開きとして、早速特訓とゆこうではないか」


 シノブが目配せをすると、志野六傑衆は幽鬼のようにその場を去った。

 開いた前方、竹林へと入る道を、シノブは指差した。


「まずはソルト、ペッパー、この道をゆき、試練を堪能するとよい。

 ここには卓球に必要な筋力、持久力、集中力、殺気、反射神経、動体視力など、様々な能力を鍛えることができる仕掛けが満載でござる。

 すべての仕掛けを抜けて行き着く先に、炊事場があるゆえ、そこで昼飯としよう」


「シノブ先輩、質問いいですか」


 ペッパーが手を挙げた。


「この試練は、二人で協力するものですか。

 それとも個人で挑むものですか」


「個人競技でござるよ」


 ソルトとペッパーは、顔を見合わせ、それからにやりと笑った。


「そういうことなら」


「どっちが早く抜けるか勝負、だなァ」


 二人は前を向き、歩き出した。

 歩きながら右手を打ち振り、その手にラケットを握った。

 左手には、ピンポン玉を持ち。


 二人は駆け出した。

 笹の葉香る清浄な空気、その中で確かに感じる、刃物が風を切る音や、重いものが引きずられる振動。

 高ぶる気分を抑えたりはせず、ただ竹林の奥へ、奥へ!

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