第19話 筋肉が求めている

 エアコンの効いた自室で、カリカリとノートにペンを走らせる音が響く。

 音の出所は、卓上スタンドに照らされるダンベル一体型鉛筆。

 それを支えるのは、ハカセのたくましい頭脳明晰筋肉である。


 脳筋という言葉が示す通り、脳と筋肉には密接な関係がある。

 脳とは筋肉であり、筋肉が脳となるその協奏こそ健全なる勉学。

 適切なる筋力トレーニングは、学力をアップする何よりの近道である。

 少なくとも彼は、ハカセはそう信じている。


 窓ガラスが叩かれる音がした。

 ハカセは顔を上げ、ダンベルを置いて、窓を開けた。

 ぬるい夜風の中に、伝書鳩がいた。

 ハカセはその足から手紙を受け取り、内容を確認した。

 走る毛筆は、シノブの字だった。


『志野六傑衆の試練を突破した。

 各ゲーム七ポイントのハンデを与えた上でな』


 ハカセは、ほうと声を漏らした。

 志野六傑衆の実力は知っている。決してヤワな相手ではない。

 踊る達筆は、シノブの興奮を物語るようだった。


 ハカセは学習机に戻り、スマートフォンでメッセージを送った。


hakase_muscle:志野六傑衆の試練をクリアしたそうです

hakase_muscle:七ポイントのハンデを与えてだとか


 返事はすぐに返ってきた。


naru_suger:やるじゃん

naru_suger:さすがわたしにホレるだけある


 ハカセはメッセージを続けた。


hakase_muscle:関係ありますかそれ


naru_suger:わたしにホレる男は強くなるのだよ

naru_suger:あなたが実例

naru_suger:崇め讃えよ

naru_suger:(きらめく神様のスタンプ)


 ふふっと、ハカセは笑った。

 メッセージは続く。


naru_suger:黄金ペアともう一回やったら勝てるかねー

naru_suger:秋に小さいけどダブルスの大会あるから

naru_suger:そこで再戦できるかな


 ハカセはカレンダーを確認した。

 秋の大会、ソルトとペッパーは出るだろうが、小規模大会なのでヒメとガーディアンは出ないかもしれない。

 もし出てくるのなら、観に行きたいが……模試の日程と重なっている。


naru_suger:どのくらい強くなってるんだろね


 メッセージに、脳裏から二人の姿が呼び起こされる。

 ソルトとペッパー、二人のダブルス。

 ソルトの逆回転カットが、ペッパーの順回転ドライブが、二人のフットワークが、二人のチームワークが、どこまで高まっているのか。

 二人に相対する自分の姿を想像し――隣にいる、シノブの姿も。


「ああ」


 筋肉がうずく。

 もう卓球部は引退したのに、ラケットを、握りたいと。


 そしてメッセージが届いた。


naru_suger:集合

naru_suger:駅前のアミューズメント

naru_suger:あそこ卓球台あるし夜遅くまでやってるから

naru_suger:ワタクシ様が相手してやんよ

naru_suger:それともシノブ君じゃないと不満かね?

naru_suger:(クスクス笑うスタンプ)


「はは」


 ハカセは笑い、それから少し、押し黙った。

 たっぷり時間をかけて、そしてハカセは、出口へときびすを返した。

 ラケットを拾う。卓球部は引退したのに、それはすぐに手に取れる位置にあった。

 筋肉がおもむくまま、ラケットのグリップを、強く握り締めた。


 脳筋という言葉が示す通り、脳と筋肉には密接な関係がある。

 筋肉がうずくのは、ハカセの脳が、心が、卓球を求めているからだ。


 夜は更ける。

 夏休みが、終わる。

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