第2話 ソルト、つきまとわれる

 日が変わり、昼休み。


 ソルトは教室で、黙々とサンドイッチを食べていた。

 聞こえるのは、ポンポンとピンポン玉をラケットにはずませる、玉突きの音。


 ソルトはうんざりと言った。


「何も言わないって、オレは確かに聞いたんだけどなァ」


「ああ。退部のことは何も言わない。好きに腐ればいいと言った。

 だから何も言わず、ただキミの横でこれ見よがしに玉遊びをするだけにとどめている」


 ペッパーはさも当然のように言い、玉突きの手を止めない。ちなみに彼は違うクラスである。クラスメートも、異様なものを見る視線を向けていた。


「いい性格してやがるな」


「ありがとう。そんなほめ言葉は初めてだ」


「本気でほめられてると思ってるなら、一度一般常識を学び直してこいよ」


「それが卓球に役立つのなら、検討しよう」


「この卓球バカが。昼休みまでラケット持ってきやがって、昼メシはどうしたよ」


「重要性を感じない。ここでこうして玉遊びをして、キミのリアクションを見る方がよほど有意義だ」


「マジでいい性格してるよ。オレの落ちぶれた姿を見てそんなに楽しいか」


「楽しいか、だと?」


 ペッパーは玉突きの手を止め、視線をソルトに向け、冷ややかに言った。


「この状況が、キミと卓球をしているときよりも楽しそうに見えているなら、本気でキミの感性を疑うよ」


「人の感性を疑える身の振りをしてるか、一度自分で振り返ってくれねえかな?」


 ソルトは言って、うんざりと頭をかきむしり、立ち上がって教室を出ていった。

 ペッパーはその背中を、ただ冷たく鋭く見ていた。

 クラスメートの一人が、そこ僕の席なんだけど、とペッパーに声をかけた。




 行くあてはない。時間も中途半端だ。

 ソルトはけだるげに、ただ廊下を歩いた。

 その正面から、声をかけられた。


「ごきげんよう、ソルト君」


「……ハカセ先輩」


 三年生、泥田でいた博士ひろし、通称ハカセ。卓球部の先輩。


「残念ですよ、ソルト君。あなたが退部してしまうとは。

 キミとペッパー君とのコンビは、一年生ながら卓越していました。

 この炎陽高校えんようこうこう最強のダブルスペアである私たちをして、私のデータが正しければ、三十四パーセント程度負ける可能性がありました」


「先輩も退部を止めようってクチっすか」


「まさか」


 ハカセは眼鏡をくいっと直した。


「あなたが卓球をしないのなら、私たちが敗北する可能性はゼロパーセントです。

 ああよかった、私たちに勝つ可能性をみすみす手放してくれて、私はなんと幸運なんでしょう。

 きっとこのままズブズブと沈んでいって、私たちの最強伝説は安泰となるのでしょう、なんともよかった」


 大仰に、芝居がかって言ってのけた。

 ソルトは舌打ちした。


「ハッパをかけてるつもりっすか」


「そう思うのは、それを期待しているからではないのですか?

 戻ってきてと周りの人間が泣きついてくるのを期待しているのでは」


「しゃらくせぇ」


 ソルトはハカセを押しのけ、廊下の先へと去っていった。

 ハカセはその背中を見送った。


「……どう思いますか、シノブ君」


 天井から、覆面の男がぶら下がった。

 三年生、志野しのたけし、通称シノブ。ハカセのダブルスパートナー。


「もののふの目でござるな」


 覆面の奥から、くぐもった声を出す。


「部活動を辞めた程度では冷めやらぬ、刃物のような鋭さをたたえているものよ。

 戦国の世に生まれていれば、さぞ名だたる武将になったでござろう」


「その時代、経験していないですよね、あなた」


「経験しえないからこそ、夢想するものでござろう?

 ハカセ、おぬしがソルトとペッパーに、拙者たちが未だ成しえぬ、全国制覇の栄光を夢想するがごとく」


「……ゼロパーセントではない、とだけ申しておきましょう」


 ハカセは眼鏡を直し、床に着地したシノブとともに、歩き去った。

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