リハビリ、そして遭遇

第4話 マンツーマントレーニング、イン体育館

「まずはとにかく打つ」


 地域の体育館。

 ひとつだけ出した卓球台で向かい合い、ペッパーはソルトに告げた。


「キミがボクから逃げ回って無駄にした一週間、なまってしまった卓球センスを取り戻す。

 そのためにこの体育館を借りた。

 当面貸し切りにしてあるから、ボクら以外は誰もここに来ない。遠慮せず打とう。

 そして球は」


 ガシャン。ピンポン玉が満載のカゴを、ペッパーは置いた。


「ひとカゴ五百球。これを、ひとまず十カゴ。

 空になるまで打ち続ける。

 ラリーが途切れて床に落ちた球を、いちいち拾ったりはしない。無駄だからだ。

 当然水分補給やトイレ休憩など必要な休息は取るが、ボクら二人の貴重な時間を、球拾いのような雑用に割いてやる道理は、一秒たりとてない」


 ペッパーは、ソルトに正面向いた。


「質問は?」


 ソルトはラケットを肩に置き、言った。


「この打ち合いで、テメェを完膚なきまでに叩きのめしても、構わねぇんだな?」


 ペッパーは表情を変えずに返した。


「おや頼もしい。一週間みじめに逃げ回っていたキミが、その間ずっと卓球とキミのことを考えていたボクに勝てるつもりでいる。

 うれしいよ、ダブルスのパートナーとして、こんなに心強いことはない」


 そして二人は、構えた。




 まずひとカゴ。それから二個。三個。四個。

 ピンポン玉が床に散らばり、空にしたスポーツドリンクのペットボトルとともに足の踏み場をなくし、二人は汗をそのウェアからもうもうと立ち上らせ、体育館内に雲を作った。

 霧がかる視界も、フットワークのたびにカラカラと蹴飛ばされるピンポン玉も意に介さず、二人はさらにカゴを空にし、新しいカゴを横に置いた。


 そのとき、気配を感じた。

 ソルトとペッパーは、顔を上げ、出入り口の方を見た。

 雲をかき分け、姿を見せた、小柄な男。おそらくは男子高校生。

 にたにたと笑うその身から、いやに剣呑な気配が漂っていた。


「ずいぶんと、楽しそうなことしてるのねぇ」


「誰だ?」


 ソルトの問いかけに答えず、男はにぃーっと唇を割って、歩み寄った。

 床のピンポン玉。足を乗せる。そのまま歩く。巧みな体重移動で、ピンポン玉は潰れない。


「気前のいい卓球の音がしてぇ、聞けばこの体育館、貸し切りだっていうじゃない?

 興味がわくわよねぇ、それであたし、見に来たら、案の定こんな愉快なことになって」


「誰だって聞いてんだよ」


 そこでペッパーが、目を細めた。


姫川ひめかわ凛太郎りんたろう……」


「知ってんのか、ペッパー」


 顔を向けたソルトを見ないまま、ペッパーはうなずいた。


「通称ヒメ。九十九未来学園つくもみらいがくえん高等部二年。

 卓球の強豪校である九十九高等部ツクコーにて、去年は一年生でありながら団体戦ダブルスのレギュラーに収まり、全国大会で戦った。

 この地区で、卓球ダブルスにおいてもっとも注目されている選手さ」


 そしてペッパーは、淡々と言い放った。


「つまり、いい踏み台になる。ボクらの実力を知らしめるね」


 ぴくりと、ヒメの口角が動いた。

 笑い顔はつとめて崩さず、ヒメはペッパーに話しかけた。


「あらあら、ずいぶんと腕前に自信があるのねぇ?

 踏み台にできるかどうか、今すぐ試してみる?」


「断る」


 ペッパーはしれっと言ってのけた。


「踏み台にするなら、しかるべき公式の試合でギャラリーの面前でやらなければ意味がないだろう。

 そんなことも分からないのか? 思考能力が足りていないのか? 卓球以外のことを考える能力を忘れたのか?」


 ぴくぴく、ヒメの顔が引きつる。

 ペッパーはもはやヒメに顔を向けず、卓球台についた。


「そして、そもそも貸し切りと知ってて入ってくるなどモラルもマナーも欠けている。

 そのことを最初に指摘しなかったことと、そういったことに気づけないほど思考能力が欠如した人間だと察せられなかったことは、ボクの落ち度だ。

 申し訳ない、知能レベルを超えた話で、その貧相な脳に知恵熱を起こしているようなら、外の水場でボウフラとたわむれて冷やしてくるといい」


 ヒメから、ぶちりと血管が切れた音がした気がした。

 ソルトは、マジかよ、という顔でペッパーを見ていた。断じてほめてはいない意味で。


「さあソルト、続けよう」


「ちょっ」


 いきなりサービスを打ってきた。

 構えていなかったソルトは、ラケットを合わせるのに精一杯で、ピンポン玉はあらぬ方向に飛んだ。ヒメの方向に。

 狙ってやっただろ、ソルトはそう思った。


 その飛球に、大男が割り込んだ。

 無造作に振り抜かれたモップが、ピンポン玉を打ち、ソルトへと跳ね返した。


「っ!?」


 ソルトはラケットで受け、そのえぐり込むような感触に舌を巻いた。


(コイツ、ラバーも張ってないただのモップでここまでの回転球を!?

 ちゃんとしたラケットを使ったら、どこまでの威力を出せるんだ……!?)


 ペッパーはその大男を見上げた。


衛守えもり牙帝がてい。通称ガーディアン。

 九十九未来学園高等部二年、もう一人の昨年度一年レギュラー。

 ヒメとガーディアンの二人で、九十九高等部ツクコー黄金ペアと呼ばれている」


 ガーディアンは、だるまのような顔で、見下ろすようにソルトとペッパーを見た。

 そしてのんびりと口を開いた。


「ごめんね、ヒメがここに入るの、ぼくが止めないといけなかったのに。

 ヒメがあんまり楽しそうだったし、ぼくもちょっと、興味があったから」


 ガーディアンは、モップを掃除用具入れに返しに行った。

 ヒメはひとつ、鼻息を鳴らした。


「ま、勝手に入ったのは事実だし、もういいわ。

 とっても楽しい子たちがいるのが分かって、あたしは満足よ」


 そして、きびすを返した。

 背中を向けたまま、ヒメは問うた。


「来月ある、ダブルスの大会。当然出るわよね?」


「無論だ」


 ペッパーの返答に、ヒメは背中で笑った。

 そしてゆっくりと振り返り――その手には、ラケット。


「ッ!?」


 ソルトは、とっさに身をかわした。

 ほおを、ピンポン玉がかすめた。

 すさまじい回転球の圧に、ほおが切れ、血が流れた。


 振り抜かれた、ラケットの向こう。

 蛇のようなすさまじい笑顔を張りつけて、ヒメはのたまった。


「そこで、殺してあげる。

 ひりつくような試合の中で、あなたたちの命に触れるのが、今から楽しみだわ」


 そしてヒメは、いっそ軽やかな足取りで立ち去った。

 ソルトはその背中を、ただ見送り、そしてつぶやいた。


「なんでオレの方に打った……?」

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