第21話 強者崩壊

 暮れる夕日が、河川敷を赤く染め上げていた。


 遠く体育館を背にして、河川敷に沿って、ソルトとペッパーは歩く。

 その手に賞状の筒を持ちながら、表情は、冴えない。


 立ち止まる。顔を上げる。

 正面に、人影が二人。

 ヒメとガーディアンであった。

 一瞬、なぜ参加しなかったのかと詰め寄りたい衝動に駆られ、しかしソルトは、彼らの格好を見て、察した。

 黒ずくめの服……喪服。誰かが、亡くなったのだ。


「優勝、したみたいね」


 冷たい表情で、ヒメが歩み寄ってきた。

 以前見た、殺伐とした冷たさではない、感情が閉じて冷え切ってしまった表情だった。


 二人に手の届く距離でヒメは立ち止まり、言葉を続けた。


「おめでとう、と言ったら、喜ぶのかしら、それとも怒るかしら。

 あたしたちが不参加で、物足りなかったかしら」


「いや……」


 ソルトは目を泳がせ、言葉が見つからず、苦し紛れのように言った。


「その……なんつうか。事情があったんだろうし、あの、仕方ないんだろうから」


 ソルトの胸ぐらを、ヒメは締め上げた。

 ギリギリと筋肉を緊張させ、ソルトの顔を下からにらみ上げ、それはまるでみずから強いて怒りの炎を焚きつけるように、らんらんと見開かれた目でヒメは吐き出した。


「仕方ないワケがないでしょう……!

 人一人が死んで、それが仕方ないなんて言葉で、済むワケがないでしょう……!

 仕方ないで済むと思ってるの、アンタはッ!?」


 ソルトは困惑した。

 ガーディアンが後ろから、ヒメを止めようとした。

 それより早く、ヒメの腕を、ペッパーがつかんだ。

 ヒメがペッパーに目を向けた。

 見返すペッパーの目は、黒炭のように冷えていた。


「そうやって、わざわざケンカを吹っかけに来たのか?

 そんな格好で、いかにも人が死んだと見せつけるように、わざわざボクらの前にやって来た?

 同情して欲しいのか? 大会不参加の言い訳がしたいのか?

 それともまさか、動揺を誘って、次にボクたちと試合をするとき勝てるよう、布石を敷いているワケではないよな……!」


 ペッパーの手が、ギリリとヒメの腕を握り締めた。

 冷えたヒメの目が、冷えたままゆがみ、笑った。


「もしそうだったら、どうするのかしら?」


 ペッパーは顔筋を強張らせ、噛みつくように返した。


「心底軽蔑する。

 死者の有効活用、ここに極まれりだな……!!」


「おいペッパー!!」


 ソルトは突き飛ばすようにペッパーの肩をつかんだ。


「言い過ぎだ! オマエ言っていいことと悪いことがあるぞ!」


「ボクは!!」


 ソルトと向き合い、ペッパーは顔をぶつけるように突き合わせた。

 ひるんだソルトはそして、ペッパーの表情に息を呑んだ。

 ペッパーの唇はわなわなと震え、瞳は複雑に揺れ動いていた。


「なあソルト。ボクは今、どんな顔をしている?

 怒っているのか? 悲しんでいるのか?

 試合ができると思ったら肩透かしを食らって、その不満をぶつけるにぶつけられない状況で、その状況すら、どうやらボクらをコケにするために利用するらしい……!

 この感情を、ボクはどうやって発散したらいい?」


 引きつるような笑い声が響いた。

 ソルトは顔を向けた。ヒメの笑い声。

 ただただ笑い、目は見開き、そこから涙が流れているのも気づかないように、ヒメはあざけった。


「ああ!! いいわその顔!! ねえペッパー君!! 最ッ高にいい顔してる!!

 その顔が見れて、本当によかったッ!!

 やっぱりあなたたちを敵に据えて、巻き込んで、正解だった!!

 ああ、ゾクゾクする……! 来た甲斐があったわ……!!」


「貴様ァ!!」


 ペッパーが吠えた。


「よくも!! よくも無用の感情を持ち込んでくれたな!!

 こんな気分でどう卓球をすればいい!!

 貴様の勝手な事情で、ボクらまで感情を乱すなどと!!」


「やめろペッパー!!」


「ヒメ、もうやめよう」


 ペッパーをソルトが、ヒメをガーディアンがつかんで、引き離した。

 過呼吸のように笑い泣くヒメを抱きかかえながら、ガーディアンはソルトらに目を向けた。

 数度と会っていないソルトをして、この男はこんな目をするのかと思うほど、泣き腫らした目は、暗く冷たかった。


「ごめんね。ペッパー君の言う通り、これはぼくたちの事情で、キミたちは関係ないのに。

 でも、こうしないと、ヒメがもたなかったから。

 変に同情されるより、こうやって剣呑で殺伐としてた方が、ヒメは潰れずに済むからさ。

 だから、キミたちは、ちょうどよかった」


「ちょうどよかったなどと……!」


 暴れようとするペッパーを抑えながら、ソルトは背筋が冷えるのを感じた。

 ガーディアンは、暗い目のまま、二人に向けて、言い放った。


「ありがとう。利用されてくれて。

 ぼくたちに敵意を向けてくれて、ほんとうによかった」


「貴様ァァ!!」


 両腕をソルトにつかまれながら、ペッパーはわめき散らした。


「ボクは!! ボクは本当に!! 楽しみにしていたのに!!

 全力の試合ができると、思っていたのに!!

 それを、こんな!! ボクらはその程度か!!

 誰が死んだか知らないが、その悲しみを紛らわすための、気晴らしにしか過ぎないと言うのかァ!!」


「抑えろペッパー……!!」


 止めながら、ソルトも感情がぐるぐると回る。

 この二人だって本心じゃない、そう思うソルトの感情すら、ただの願望だろうか。


 ヒメは涙を流したまま、顔だけはいつも見せた蛇のような笑顔を作り、宣言した。


「半年後。

 あたしたちが最初に戦った、ツムジカゼファイター杯。

 そこでやり合いましょう。あたしはそれまで、待ってるわ」


「ふざけるな!! 逃げる気か、今すぐだ!!

 今すぐ戦って、打ちのめしてやる!!」


「ダメよぉ」


 ヒメはねっとりと首を傾け、見下げるように、のたまった。


「踏み台は、しかるべき公式の試合で踏まなきゃ、意味がないでしょお?」


 ペッパーが押し黙ったのは、怒りで唇が震えるからだった。

 ヒメは血のような涙を流し、牙をむくように声を絞り出した。


「それまであたしは、潰れない……!

 悲しみに暮れてなど、いてたまるかッ……!」


 ソルトはそのとき、ここまで話してきて、初めてヒメの真の表情が見えた気がした。

 ヒメはそのままきびすを返し、ガーディアンもそれに続いて背を向けた。

 背を向けながら、ガーディアンはぽつりと、つぶやいた。


「……ごめんね」


 誰への言葉かは分からない。

 ただそのまま、二人は夕暮れの向こう側に、去っていった。


 静かに、ソルトとペッパーは、押し黙っていた。


「……どうしろっていうんだよ」


 ペッパーが、声を漏らした。

 泣いていた。


「ろくに事情も説明せずに、勝手に変な役割を押しつけられて、さんざんこっちの気をかき乱していって……!

 どう卓球すればいいんだ。

 これからボクは、どうすればいいんだよ……!」


「どうもしねぇよ」


 ソルトの声に、ペッパーは目を向けた。

 不意に伸びてきたソルトの手が、うなじをつかみ、引き寄せ、ひたいとひたいを荒く押しつけた。

 超至近距離で、ソルトの目が、静かに燃えた。


「テメェは今まで、相手の事情を考えながら卓球してきたのか?

 今まで倒してきた相手は、負けて当然だと、そう思って試合してきたのか?

 違うだろ。勝つ理由も負ける理由も、そんなモンどうだっていいんだ……!」


 ソルトは思い返す。

 失恋して退部したソルトを、自分も退部してまで追いかけてきたペッパーを。

 もっと前、中学のころ、初めて試合をして、ソルトをダブルスに引きずり込んだペッパーを。


「関係ねぇんだよ、相手の事情なんか……!

 どんなに重たい事情があろうが、どんなに負けられねぇ理由があろうが!

 オレたちが勝ちたいから試合するんだろ!!

 卓球が楽しいから卓球するんだろ!!

 そうだろう、ペッパー!?」


 ソルトの叫びは、河川敷を広がり、そして静かに消えた。

 ペッパーは涙も拭かず、ソルトを見つめた。

 その瞳に、確かに火が戻った。


「ああ。そうだなソルト。

 ありがとう。ボクはただ、戦って、勝つだけだ」


「そうだぜ」


 ソルトはペッパーを手放し、笑ってみせた。

 河川敷は、静かだった。


「……まあ、あれだ。ちょっと気が削がれちまったけど」


 ソルトは賞状の筒を掲げ、グラスを傾けるように、差し出した。


「まずは優勝、おめでとう。

 これから打ち上げにでも行こうぜ」


 ペッパーは、その顔を見つめて、それから微笑んだ。

 自分の筒を持ち上げ、傾けた。


「ああ。優勝、おめでとう。

 ボクたち二人のダブルスの、初めての優勝だ」


 こつり、筒と筒をぶつけ合った。


 重なる二人の影を、夕焼けが、長く長く、押し出していた。

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