第38話 プリミティブに染まる
試合は続く。
ソルトが、ペッパーが、ガーディアンが白く汗を散らし、そしてヒメは黒い瘴気で侵略する。
彼らの耳には届かない遠く、スタッフたちの焦る声。
「室温は現在三十度、下がりません! 空調全開でもまだまだ上がってます!」
「扇風機も除湿剤も置いたけど足りてない! 氷だ、氷を買ってきて並べるんだ!」
「ドリンク、追加来ました! メーカーからトラックごと買い取ってこっちに回してもらってます!」
配りに行こうとしたドリンクを、旋風嵐太郎が引ったくった。
「貸せ! こんな雑用ボクちんがやる!
キミたちスタッフは、キミたちにしかできない仕事をしろ!
ボクちんは財布出したら後はザコなんだから、雑用はどんどん押しつけろ!」
卓球台!
湿度の塊のような真っ白い空気を裂いて、致死のピンポン玉が黒く飛ぶ!
死神の幻影をまといながら、空気抵抗の影響を受けて常に定まらずブレ続ける狂気の
ペッパーは玉の真芯をとらえ切れない、とらえ切れないながらも返す。つなぎ続ける。
ガーディアンは強打! ソルトは受け止める、鉄壁の守りを崩しはしない!
(射抜いてあげるわ!)
死神の鎌を打ち振るように、大胆に繰り出される横回転!
打球の衝撃波が散り、天井に張った雲が切り裂かれる!
雲に覆われていた照明がその瞬間だけ
その隙にピンポン玉は駆け抜ける――否――ペッパーの脳裏には七色の視界が焼きついている。ヒメの打つフォームから、玉の軌道は予測済みだ!
「はァッ!」
得点の余韻が、背中から汗の蒸気として噴き上がった。
(まだだ!)
それは四人全員の心の叫び。
試合はまだ終わらない。決着までまだ遠すぎる。
打ち続けるたび、気迫と汗は熱波となって飛び散る。
「うぅっ……!」
熱気にあてられ、観客席、マァリは立ちくらみを起こしかけた。
その体が抱き止められた。
「あ、ありがとうござ……ユキドリさん!? 来てたの!?」
「あ、あはは……奇遇だね、マァリちゃん」
あいまいに笑ったユキドリは、慌てて走り来たスタッフからペットボトルを受け取り、マァリの体を冷やした。
別の一角、ペッパーの母は電話中。
「うちの会社のシステム使える? スポーツセンターまでの物資輸送の最適化を計算して、各関係者への情報共有と連携を……」
別の一角、ハカセのたくましい頭脳明晰筋肉が汗できらめく。
「室温上昇が危険域に達しようとしていますね……!
大会スタッフが奮闘しているようですが、それだけでは――」
そのとき、一陣の風。
ハカセとナルは顔を向けた。
二人のすぐそばに、片手片足片膝の三点で着地した人間が一人。
傷だらけの体で、その人間は――覆面の男は、ハカセに視線を上げた。
「すまぬ。遅くなった」
「シノブ君!?」
「シノブ君!!」
ハカセとナルは慌てて抱き起こした。
「シノブ君、仕事で来られないのではなかったんですか!?」
「そうだよ、それにボロボロじゃん! 仕事大変だったの!?」
シノブは顔を上げて、覆面の奥、にやりと笑った。
「ソルトとペッパーが気がかりであったし、何よりハカセ、おぬしに会いたかったからな。
仕事に早くキリをつけて、馳せ参じたでござる。
そして状況はおおよそ把握した、実家の竹林から材料を調達して」
シノブに付き従う覆面の男たちが、手早く縦半分に割った竹材を組み立てた。
「流しそうめんの準備をしてきたでござる。これで少しは、涼を取れよう」
「でかしましたシノブ君! これなら――」
試合は続く!
ヒメは軽快に走り回り致死の打球を振りまきながら、内心で舌を巻いた。
(このゲーム、途中まであたしたちはノリにノって、一気に圧倒する勢いだった。
でも今はどう? 得点は九対六、勝っているとはいえ、確実に追いすがられている)
霧の中からの変幻打球を、ガーディアンは返しそこねた。
九対七。
(前のゲーム、この子たちは限界を超えて打っていたように思えた。
なのにいまだ対応してきている、進化している――!)
ヒメの口角は、裏腹に、上がった。
(打ちのめしても打ちのめしても、こんなに全力で死闘を返してくれるなんて!
ああ! なんという幸せ! あたしは今、楽しい!)
心臓を拍動させる。
死神の幻影を込める、その一瞬の間すら惜しい、ただ前へ! 前へ!
(すっトロいのよ死神! あんたなんかに構っているヒマはない!
いつまであたしの卓球の理由でいるつもりだ!
あんたを追い出すための卓球、そんな次元は、もう過ぎているッ!!)
死神の幻影が崩れる。
妹・リッカの死、二人で語った思い出、それすら後方に置き去りにして、ただ高揚の中に飛び込む。
汗が噴き出る。それは暗黒の死の瘴気すら吹き飛ばし、ヒメは今、白さの中へ!
(あたしは、卓球が楽しいから、卓球しているんだッ!!)
迫真の打球!
ブレ続けながらもその狙いは外れない、勝利につながる打球、ただその一点を実現するための侵略の打球!
汗の霧が吹き飛ぶ。
ヒメの正面、銀髪の男と黒髪の男、その姿がはっきりと見えた。
生まれて初めて、対戦相手の姿が、はっきり見えた感覚だった。
ヒメは牙をむき出し、張り裂けるように笑った。
「
ありがとう。あたしたちの敵でいてくれて、心の底から感謝するわ」
十一対七。
第四ゲーム、ヒメ・ガーディアンペアが奪取!
「アハハハハハハ! 取ったわ! 取ってやったわよソルト君、ペッパー君!
勝利が目前に見えてたのにお預けされて、ねぇ、どんな気分かしら!?
アハハハハハハ……!」
サウナのような炎獄の狂熱の中、ソルトもまた、牙をむいて笑ってみせた。
「最ッ高に楽しい気分だなァ!
オレはショートケーキのイチゴだって、最後に食べる派なんだぜ!
楽しみが最後の最後まで取っておけて、メチャクチャありがてぇ気遣いだよヒメさんよォ!」
審判は困惑した。
対戦相手への挑発行為はイエローカードだ。今出すべきか? 両方のペアに対して?
審判の肩が叩かれた。
旋風嵐太郎。手にマイク。
『ンッンンー、実に! 実に盛り上がってるねぇ!
この盛り上がりにブレーキをかけるのは、うまい行為じゃないとボクちんは思うワケでぇ!』
喋りながら、視線をあちらこちらに向ける。
天井の雲。ドリンク配りに尽力するスタッフ。観客席の外周に組み上げられる流しそうめん。他にも様々な人間の頑張り。
やれるか。やってやる。
責任は嵐太郎が取る。
そして取るべき責任などないくらい、トラブルなくやり遂げてみせる。
『ここからはイエローカードなんてヤボなことはナシだ!
乱暴な言葉を使おうが、相手の目を見てガッツポーズしようがお構いナシといこうじゃないか!
もうそんなことを気にする間柄じゃあないだろう!
存分に心の丈を表に出して、全部出し切って戦い切っちまえヤングメェーン!!
それでいいよな、観客の諸君ー!?』
いくらかの困惑の声。
そして熱気にあてられた、多くの人間の興奮する声。
ここからはもう、卓球ではない。
こんな乱雑で、乱暴で、原始的な試合など、卓球であるはずがない。
ただの、意地の、ぶつけ合いだ。
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