第七章 いちご姫②

 秋晴れの中決行された体育祭予行練習。季節は秋も深まるころだが、動いていればそれなりに熱い。半袖の体育着にハーフパンツの俺の隣には、長袖長ズボンジャージに身を包んだ彼女が膝を抱えて座っている。「熱くないの?」と問えば、「むしろ帆澄君が寒そうです」なんて返される。校庭の隅っこに佇む木々の下、木漏れ日の中堂々とサボる。普段は綺麗に腰あたりまでおろされている髪が今日は頭の後ろでまとめられている。彼女の普段の髪質的に、きっとほどいても跡など残らず綺麗に靡くのだろう。先ほどまでここには、俺と彼女を挟むようにして中嶋先生が座っていた。今は教師陣の呼び出しに応じている。校庭のど真ん中では騎馬戦の予行練習が行われており、その中心では白峰風虎が無双していた。桜城さんは出番ではないことをいいことに友人たちと応援席で自撮りを楽しんでおり、夜永さんは見学のため養護教諭とテントの中にいる。こうして見ると、よくもまぁこんなに系統の違う人たちがつるめるものだなと思ってしまう。ばらばらな俺たちの中心となっている彼女は、無関心な瞳で騎馬戦の勝負の行く末を見守っている。


「今日先生と『いちご姫』の話をしました」

「あぁ、山田美妙か」


視線は騎馬戦に向けたまま、彼女はおもむろに話し始めた。彼女の口からこぼれたその作品は、題名だけは知っていた。内容は裏表紙に書かれているあらすじだけ読んで、自分にはまだ早いからとそっと本棚に戻した記憶がある。話を聞くと彼女はその本を小学生の頃に読んだというから驚きだ。しかも読書感想文も書いたらしい。小学生の彼女があまりにも衝撃的で、俺はしばらく脳内で情報処理を行った末に「流石だね」というなんとも薄っぺらな相槌を零した。


 「『いちごお姫』という名前に似合わず、かなり強烈な内容になっています。そもそも「いちご姫」の「いちご」は果物の「苺」ではなく、「一期一会」の「一期」になります。零落公卿の娘で絶世の美女、しかし性格は男勝りで勝気、武士の世を憎んで、侍相手にもずけずけものを言う…そんな娘です」

「少年漫画に出てきたら主人公よりも人気が出るタイプのヒロインって感じ?」

「すみません、漫画はあまり読まないので分かりません」

「あ、ごめん」


 少し気まずくなってしまった空気の中続きを促せば、彼女は一度こちらを一瞥してから続きを話し始めた。彼女の口から語られた内容は、あまりにもぶっ飛んだものだった。まずいちご姫はうっかり敵方の男に恋をしてしまう。落ちたとたんに暴走し、向こうは気がないのに追い掛け回す。あげく両親をほったらかして家出をし、なりゆきで盗賊に攫われる。ここまででもかなり内容が濃いのだが、その先がもっと凄かった。


「彼女はそこから逃げ出て恋した男性と再会します。けれどやっぱり振られてしまいます。まぁその後は別の男性と肉体関係を持ってしまったりするのですが…。その…あの、それで彼女はその…。な、なんて言ったらいいんでしょう…」

「いやあの、無理に話さなくても大丈夫だから」


 視線を彷徨わせて、だんだん俯いていく姿が見ていられない。本の内容を話すこと自体は楽しいのだろう。しかしその内容がいかんせん白昼堂々話していいものではない。普段本のこととなるとその語彙力をふんだんに使って、どんなことでも言語化してしまう彼女でも、流石に配慮と理性は働くみたいだった。しばらくまた気まずい沈黙が流れる。どうにか打開しようと口を開いた時、頭上から彼女の言葉を引き継ぐように声が降ってきた。


「まぁ、要は男を知っちまったいちご姫がそのあと男をとっかえひっかえするようになる。まぁ言葉を選ばずに言うと、ビッチになる」

「そこは言葉を選んでほしかったなぁ」


 招集から戻ってきた中じぃは先ほどと同じように彼女の隣に座った。校庭にホイッスルが鳴り響き、騎馬戦が終わったことを告げる。湧き上がる歓声に一旦気を取られて視線を向ければ、和の中心には仲間たちと肩を組んで喜ぶ風虎がいる。彼女もそれを見て、「流石ですね」と表情を緩めた。どうやらあの瞳は無関心ではなかったらしい。彼女を挟んだ向こう側で楽しそうな風虎を見つめて、声を上げて豪快に笑う中じぃ。まだ本番ではないのにこの熱気。明日の本番が今から少し楽しみになった。「話の途中ですがごめんなさい」と彼女は入場門へ向かっていった。どうやら次の徒競走に参加するらしい。俺と二人っきりになった中じぃは、何食わぬ顔で続きを話し始めた。


「いちご姫は面食いでなぁ、次々と新しい若い男にのりかえて、古い男は新しい男に殺させる始末だ」

「…ファム・ファタールですか?」

「おお、知ってたか」


 中じぃは嬉しそうに笑って、「まぁ破滅させていくって点だとそうだなぁ」と視線をっ遠くに飛ばして言った。男を狂わせるどころか、どうやらいちご姫は女友達も見してるらしく、人として終わっている部分が、話を聞いただけだが多々見受けられた。いちご姫は最終的に、やっとイケメンで性格も良い男と恋に落ちるが、それが実は既婚者で正妻とバトルを繰り広げることになるらしい。母親が再登場して、実は恋した男とは腹違いの兄妹だとか言い出すご都合展開で幕を閉じる。乾いた破裂音が響き、女子の徒競走が始まる。緊張した面持ちで自分の順番を待っている彼女が目に留まる。視線を会場中に巡らせれば風虎も桜城さんも。夜永さんも中じぃも。そして俺も。みんな違う温度違う色で、でも確かな事情を抱いて彼女を見つめている。別に狂わされたわけでも破滅させられたわけでもない。でも彼女は確かに、誰かにとって何かの「宿命の女」なのではないかと思う。彼女の出番になってゴールライン目掛けて走り出す。お世辞にも早いとは言えないその様子を見守っていると、中じぃがボソッと「アイツも大概だと思わないか?」と問いかけてくる。俺は俺なりの確かな確信をもって。「そうですね」と一言返した。つくつくと笑った中じぃは、いちご姫の最期について語り始める。彼女が他のファム・ファタールと少し違うところについて。


 「まぁ最期にいちご姫は死んじまうんだが」

 「え、死ぬの?」

 「死ぬぞ。しかも狂乱して池のほとりで死ぬ。全裸でだ。その亡骸を二・三匹の犬が舐めている描写で幕だ」

 「惨いな」


 他者だけを狂わせていき、何食わぬ顔で生きる花はさぞ妖艶で魅力的だろう。自分すらも破滅させていく様もまた、強く鮮烈な美しさを伴う。「お前たちのファム・ファタールはどちらだろうな」と、中じぃは隠しもせずに大変楽しそうに笑った。

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