第六章 友達の喜び③

「風虎どこ行くん?」

「野暮用」


文化祭当日を翌日へ控えた昼休み。一日中文化祭準備にあてられているので昼休みと言っても名ばかりだが、俺はこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。俺のクラスは出店をやることになっており、つい先程当日のシフト表が出たところだ。そんな出来たてホヤホヤのシフト表を握り込み、勇み足で教室を飛び出した俺に海璃が声をかけてきたがサラッと流させて頂いた。目的の人物がいるであろう隣のクラスへ足を運ぶが、そこに彼女の姿はない。デカくて重そうな箱を持ってちょうど出てきた夜永に声をかけた。俺の声に驚いて腕の中のものを全部落としそうな勢いだったので、それを横から掻っ攫う。

状況が上手く読み込めていない夜永に目的地を問えば、間抜け面のままボソッと近くの準備室の名前を零した。黙って歩き出した俺の隣に、夜永も併走して歩き出す。終始無言な空気が気まずかったので、本来の目的である彼女の所在を聞いてみた。しかし、どうやら夜永も知らないらしい。「昼ごはんを食べる」と告げたっきり何処かへ行ってしまったらしい。本能の赴くままにのらりくらりとフラフラどこかへ行く。まるで猫だ。

準備室へ荷物を届け終わる。俺に何か言いたげに若干オドオドしている夜永を、別に気にすることなく立ち去ろうとした。しかしやはり、それぜは本人の気がすまなかったらしく、俺の制服の裾を申し訳なさげに掴んで引き止めてきた。若干泣きそうな震えた声で紡がれた「ありがとう」に悪い気はしなかった。「おう」と短く言葉を残して、再び彼女を探す旅に出る。昼ごはんというヒントを元に食堂や購買まで向かってみたが、その姿を確認することは出来なかった。そして最後の希望として向かったのは、彼女の根城と化している「国語科準備室」だ。

扉を開けると少々埃っぽい空気が鼻腔をくすぐる。彼女は、星野和香はそこにいた。国語科準備室に備え付けられた長机に突っ伏して眠っている。彼女の頭の脇にはシンプルなデザインのランチボックスが置かれており、おそらく食べ終わって直ぐに寝落ちしたのだろうことが伺えた。ポケットの中でクシャクシャになり、もはや原型を留めていないシフト表をそのランチボックスの隣へ置き、彼女と向かい合うように長机に座った。年季の入ったパイプ椅子がなんとも不安になるような、けたたましい音を鳴らしたが彼女は起きる気配がない。


「…嘘だろコイツ」


今の音で起きない彼女の危機感に若干頭を抱えつつ、枕の代わりにと組まれた腕の隙間から除く寝顔を堪能した。肌白いなとか、睫毛長いなとか。髪綺麗だなとか。湧いてくる感想の気持ち悪さに自分で自分に辟易した。無意識のうちに彼女の髪を一束掬っていた。指先にくるくると絡めたりして遊んでいると、流石に彼女は眠りから覚めた。結構ガッツリ寝ていたようで、瞳はまだ微睡んでいるし、少し俯いた体勢から一向に起き上がる気配がない。その様子を観察していると、やっと覚醒した彼女の黒曜石が俺を捉える。眉間に皺を寄せて「なんでいる?」という疑問を視線だけでぶつけてくる。


「いちゃ悪いかよ」

「…何も言ってません」

「目が言ってる」

「…」


バツが悪そうにそらされた視線。俺を捉えるのをやめた瞳に、もったいないなぁなどと思ってみる。しばらく視線を彷徨わせていた彼女は、自分のランチボックスの隣に置かれたクシャクシャの紙に視線をとめた。それによって本題を思い出した俺は、クシャクシャの紙…シフト表を広げて、明日の自分の仕事を確認した。彼女のクラスは喫茶店をやるらしく、おそらく彼女にもシフトというものがあるだろう。努めてさりげなく明日のクラスでの仕事について問えば、「ないんじゃないですか?何も言われてないので」とあっけらかんとした答えが返ってきた。それでいいのか、お前は。再び頭を抱えてから、これはこれで好都合だなと顔を上げた。


「文化祭、一緒に周るぞ」


彼女は一瞬目を見開き、しばらく顎に手を当てて考えていた。まさか先約があったのかと身構えていると、どうやら本当にそうだったらしい。聞けば夜永にも誘われているそうだ。さっき会った色素の薄い三つ編みが脳内の端で揺れた。取るに足らないどうってことない存在だった筈なのに、一気に自分の中にある敵意というものが夜永に向くのがわかった。俺は以前、星野和香から面と向かって「嫌い」だと言われている。それでも関係を続けていられているのは、他でもない彼女が俺と「友人でいたい」と望んだからだ。「嫌いな男(しかし友人)」と「最近できた気の合う友人(同性)」なら選ばれるのはどちらかなんて明白だ。どうにかこうにか上手い誘い文句を絞り出そうと思考を巡らす。


「桜城のステージが、確か午後からだったはずだ。俺のシフトは午前中までだから…」


午後からでいいからと言いかけて止まる。分からない。こういうのはやはり、仲のいい友人とは一日中一緒に周りたいものなのではないだろうか?それとも彼女のことだから一人になれる時間が欲しいかもしれない。急に黙った俺の様子を観察して、彼女は数回瞬きをして顎に手を当てた。思考のための仕草ではなく、こちらを興味深けに観察する仕草だ。その仕草に「何だよ」と悪態をつけば、「いや」と少し微笑んで彼女は体勢を崩した。


「必死だなぁと思っただけですよ」


この女はどれだけ俺の思考と心を掻き乱せば気が済むのだろうか。俺の手の中からシフト表を奪ってしばらくそれを見つめた後、「では午後から周りましょうか」と俺の手の中にそれを返した。受け取りつつ彼女の言葉をゆっくりと咀嚼する。「…マジ?」という俺の間抜けな声に、彼女は一言「マジです」と返して笑った。続けて彼女が言うには、桜城のステージは見に行くつもりだったが夜永をそこへ連れていくつもりはなかったらしい。夜永の性質上、人が多い場所はあまりに好みでは無いのだろう。しかしそれで一人で見に行こうにも、彼女自身も人が多く音が大きい、周りとの温度差がある場所に一人で突っ込むのは嫌だったらしい。


「白峰君と一緒なら、たぶん大丈夫でしょうから。…誘ってくれてありがとうございます。助かりました」


そこからどうしたかははっきり覚えていないが、俺は気付いたら教室へ戻ってきていた。日本語になっていない「ん」的な一文字を発音したことはなんとなく覚えている。教室で呆けている俺の目の前に、ニヤニヤした表情で手をヒラヒラさせる海璃。その手を捕まえて親指を反対方向へ曲げてやれば、情けない声でギブアップを告げてくる。海璃の親指から手を離し、涙目で文句を垂れる様をぼーっと眺めて思う。心に湧いてきたのは妙な苛立ちで、その先はどうしようもなく彼女だ。なんであの女はこうも、ままならないのだろうか。

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