第九章 あらくれ④
なんとなく昼休みに国語科準備室に寄ってみた。そこにはやはり先客がいて、和香ちゃんが一人でご飯を食べていた。お弁当と一緒に並んでいるのは参考書。口の中をもぐもぐさせながら目だけで「何故?」と聞いてくる彼女に、「ご一緒しても?」と返事を聞く前に対面に座った。購買で買ったメロンパンの袋を開けて一口頬張る。彼女はこちらを気にする様子もなく黙々と咀嚼を続けた。二人とも口の中身が空になってから私から話始めた。これと言って特別な話などはなく、ただただ取り留めのない雑談を広げていった。ふと彼女の参考書が視界に入って進路のことについて聞いてしまった。全然そんな堅苦しい話をするつもりはなかったのに。彼女は特にいつもと変わらず、堅苦しい雰囲気を作ることなくサラッと言った。彼女に進路を聞いておいて自分は何も言わないのは卑怯だと思い、自分の進路も言っておいた。彼女のようにちゃんとしたものではないのだけど。
「私は就職かな。出席日数的に大学は厳しくて」
「…そうですか」
何も覚悟していなかったわけでない。自分のこの先に響くことは分かっていて、それでもあの時期は私には必要だったのだ。これからの人生よりもこれまでの人生に縋っていたい時は誰にだってあるのだと思う。だから彼女には感謝してもしきれない。もう一度前を向けたのは彼女のおかげだから。そんな彼女と今度は一緒にこれからの話をしていることがなんだか妙にむず痒い気持ちになった。大学生になったらやってみたいこと。就職したらやってみたいこと。一人暮らしをしたら、成人したら。皆でお酒飲みたいねとか、卒業しても集まりたいねとかそんな話をたくさんした。まだ卒業まで三か月くらいあるのに。取り留めなく何の根拠もなくこの先をあることない子と話すのが、こんなに楽しいことなんて知らなかった。この先も彼女と出会ってなかったら知ることはなかったのだと思う。
いつの間にか話に夢中になっていて昼休み終盤までご飯を食べ進められず、ギリギリになって二人でかきこんだ。ランチボックス片手に廊下を小走りする背中を追いかける。もう片方の手にある参考書を見つめては、「しばらく邪魔できないな」などと考える。少し寂しいななんて。そんなことを考えてしんみりしていたのに、その日の放課後莉子ちゃんに爆弾を落とされた。
「終わって…る?」
「うん」
「おめでとうだしお疲れさまだし、びっくりだけど、おめでとうございます」
「ふふ、だいぶ混乱してるね?…ありがとう!」
放課後一緒に帰ろうと誘ってもらえたのが嬉しくてのこのことついて行ったら、先月恋バナをしたカフェで盛大なカミングアウトを受けてしまった。美容系の専門学校だそうで、なんとも彼女らしい選択に笑顔になってしまう。「似合うね」なんて言えば、「それ結構言われるんだけど」と照れくさそうにはにかんだ。体育祭で彼女に髪を結んでもらったのが記憶に新しい。私の進路も聞かれたので和香ちゃんの時と同じ答えをした。頬杖をついて微笑みながら彼女は言う。「不思議なんだよね」と。
「他人に進路とかどうでもよかったんだけど、なんか皆のは気になっちゃうんだよね」
自分が誰かのどうでもよくない対象になれていることがシンプルに嬉しかった。柔らかい空気が流れ始めてケーキでも頼もうかなとメニューに手を伸ばすと、「でね、そんなことを思っていたらね」と柔らかくなった空気が一気に固まった。流れ変わったなとメニューから一旦手を引っ込めた。彼女曰く帆澄君の地雷を踏んでしまったらしい。しかし彼はお人好しで優しいから特に怒りもしなかったらしい。自分が悪いことをした自覚があるとき、怒ってもらえないことが一番効くこともある。「でもね」と少し声のボリュームを上げて彼女は続けた。
「私は人生妥協しない方がいいと思うの。自分の好きなことやるべきだと思うし。そう思えたのは皆に会えたからなんだけど、たぶん今までの私ならなぁなぁに周りに流されて進路決めてたと思うんだけど…」
「うーん…なんて言えばいいんだろう…」と頭を抱えながら言葉を探す。空気がまた軽くなったのを感じてメニューに再び手を伸ばした。ケーキのページを開いて探している間も彼女はしばらく悩んでいた。その間に店員さんを呼んでガトーショコラを注文した。今日は誰かと話していて嬉しく思うことばかりだ。誰かとこの先の話が出来るのも、誰かのどうでもよくない誰かになれたのも。そして私と出会ったことで変われたと言ってくれる誰かがいたことも。全部全部嬉しかった。やっと答えを出した彼女は顔を勢いよくあげた。鮮やかな栗色が強く光って、その眩しさに軽々と焼かれてしまいそうになった。
「もっと皆、自分勝手に生きればいいと思うんだよね!」
それを本人に言わないところに彼女らしさを感じた。「自由に」とか「自分らしく」とか小綺麗な言葉じゃなくて、少し幼い言葉を選んでいる言葉遣いも彼女らしい。案外自分勝手は難しいかもしれないけれど、そうあろうと生きる人生は楽しそうだなとどこか他人事のように思っていた。店員さんからガトーショコラを受け取る。ついでにと彼女はいちごのパフェを注文した。「まぁ何はともあれ」と無邪気に目を細める。「私も受験勉強しないから一人じゃないし、寂しくないよ」と笑いかけられてしまった。敵わないなぁなどと思いつつ、自分の幼稚な内心を読み取られていたことが恥ずかしくて、ガトーショコラを食べるのに夢中になっているふりをして視線を下げた。頭上に降り注ぐ軽やかな笑い声が、桜の花びらのようで心地よかった。
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