第八章 金魚繚乱③

 「桜城さん、放課後暇?」


 そう声をかけてきたのは彼女の方だった。二つ返事でお誘いに快諾したことで、私と夜永さんの世にも珍しい組み合わせの放課後がスタートした。話題に困ってしまうかと思っていたら彼女も私が和香ちゃんに教えた漫画を読んでいたらしく、その感想で大変盛り上がった。駅前のカフェに入って夜永さんはココアを、私はカフェモカを注文した。季節のケーキがモンブランに変っていたのでついでに注文してしまった。彼女もつられるようにさつま芋のシフォンケーキを注文した。話題は漫画及び金魚繚乱の小説の内容になった。「真佐子は現実に居たら友達になれるか微妙だよね」とか、「復一ぐらい一途な男って現実にいないよね」とか。「でも好きな子をいじめちゃうところはガキくさいよね」だとか。現実にいない男女についてあれこれ好き勝手言う。可笑しいけれど楽しい恋バナ。


「桜城さんは、叶わない恋をしたらその恋を何に変えますか?」


 シフォンケーキを一口頬張って、完全に飲み込んでから彼女は言った。私はというと熱すぎて飲めないカフェモカを必死に吐息で冷ましていた。軽く飛んできた少し難しい話題にしばらく悩んだ。所謂「恋の代替え案」だ。この小説を原作もしっかり読んだ上で思ったことがある。主人公の復一って凄いなって。私は和香ちゃんみたいに語彙力ないし白峰みたいに頭良くないから、そんなありきたりな感想に納まってしまうけど。二人とも両想いでしがらみが身分だけながら、二人で駆け落ちでもなんでもしてしまえばよかったのにと思う。実際そういう流れに持っていく恋愛小説やドラマは多くある気がした。それでもそれをしなかった復一は、端からは恋を諦めて逃げたように見えてもおかしくない。でもそれは違くて、彼は諦めたわけでも逃げたわけでもなく、ただその熱を別の何かに変えた。それは実は凄いことで、なかなかできないよなって思う。

 そして考える。自分のことを。私は、例えば和香ちゃんにとっての「文学」だとか。白峰にとっての「サッカー」みたいな。帆澄君にとっての「バイト」とか。そういう風に心から熱を注げるものや、しょうがなくやらざるを得ず、それをしていることに必死になれるものはない。そう結論付けて中身のない答えを口にする前に、せめてもの時間稼ぎにモンブランを一口食べる。それをゆっくり咀嚼して口の中を完全に空にしてから、「どうしようね」と散々待たせておいて最低な答えを出した。誤魔化すように苦笑いした私に、夜永さんは控えめな笑顔を返してくれる。


「私何もないからなぁ」

「私も、何もないので困ってます」

「ね、困るよね…。……え?」


 目を見開いて固まる私。口からこぼれるのは「あ」とか「え」とか、「う」とかいうひらがな一文字だけ。言葉すら発せなくなった私に追い打ちをかけるように、彼女は瞳を曇らせて言った。「失恋しました」と一言だけ。私が気付かなかっただけだと思うけど、そんな素振り今までなかったからびっくりした。「誰に」なんて野暮なこと聞けなかった。彼女の表情があまりにも晴れやかだったから。彼女の中でたぶん何かがもう終わっている。突然落とされた爆弾をどう処理しようかと悩んでいて、悩んでいる間にどんどん彼女の表情が申し訳なさそうになる。確かに困ったけどそんな顔するほどじゃない。恋バナの延長。いつもやってるやつ。

 「そっかぁ」と間をもたせるためだけの相槌を打って、カフェモカを一口煽る。もうぬるくなり始めたそれに思考がクリアになっていく。カラ元気でも空気を読んだわけでもない、心からの笑顔と自分でも少し驚くほど明るい声が飛び出した。「その人見る目ないね」と、言葉のトーンに似合わず可愛くない言葉にはなってしまうけど。


「…望結ちゃん、可愛いのに。優しいし意外とノリいいし。良いとこいっぱいあるのになぁ」


 ぬるくなったカフェモカを飲み干して、カップを定位置にもどす。今にも泣きそうな夜空がこっちを見つめている。そんな表情を見てしまったらとことん甘やかしたくなってしまう。手を上げて店員さんを呼ぶ。「彼女に季節の果物のパフェを一つ」とカッコつけて頼んでみた。私の注文に驚きつつココアを飲み干した彼女は、夜空を柔らかく歪めて笑った。その拍子に一粒星がこぼれたけど、その輝きは決して悲しいものではなかった。


「少なくとも私は、望結ちゃんのそういうところが好き」


 ひとしきり笑い終わってから彼女は白状するように言った。本当はこんなつもりじゃなかったのだと。少し久しぶりに「恋バナ」がしたかっただけだったと。慰めてほしかったわけではないのだと。こちらも別に慰めたつもりはないけど。「恋の代替え案」について考える。自分はどうしようよりも、彼女がそれを見つけられたらいいなと思った。案外強い彼女のことだから、すぐに見つけられそうな気もするけど。私はまだ初恋もまだだから、考えるのは後でもいいやと投げ出した。


「今日、莉子ちゃんと話せてよかった」


 そんな嬉しい言葉に「私も」って返して、届いたパフェを彼女の希望で二人で半分こして食べた。もちろん支払いは全部私のおごりだ。

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