第六章  友達の喜び①

九月。二学期が始まってからの校内の熱気は、一学期のそれとは段違いだった。なぜそうなのかと問われれば、答えはひとつしかない。もうすぐで文化祭がやってくる。出し物を決めるHRが夏休み前に行われていたらしいが、私は終始本を読んでいたせいで最近までクラスの出し物が何なのか、自分が何の係なのかを知らなかった。莉子ちゃんに教えて貰ったのだが、その時莉子ちゃんが今までにないくらい引きつった声で、「和香ちゃん、それは流石にヤバいよ」と言ったのを覚えている。どうやら私のクラスは喫茶店で、私の役職は雑務らしい。扱いに困る生徒をとりあえず集めたのが雑務係らしく、実質関わって欲しくないと言われているようなものだ。


いつもは静かで過ごしやすい放課後の空気が騒がしくて、私の好きな放課後の雰囲気が一気に壊されたような気がしてならなかった。先生もなんだかんだ忙しいらしく、二学期に入ってからまだ一度も会えていない。白峰君も莉子ちゃんも帆澄君も、皆文化祭準備やバイトで忙しそうだ。一緒に過ごす約束をしていなくても、一緒に過ごすことが出来る放課後を知ってしまった。そのせいで時々寂しさを覚える時がある。二学期に入って変わったことといえば、もうひとつ。夜永望結さんが教室へ通い始めた。夏休みの間に例の彼女の墓参りへ行けたらしく、少し泣きそうに、でも晴れた笑顔で報告してくれた。それがなんだか私は、自分の事のように嬉しかった。


そんな日々の中、文化祭開幕まで一週間となった日。先生から「見せたいものがある」と呼び出された。何日かぶりの道のりを少し早歩きで進む。黄金に染まる廊下が、いっそう輝いて見えて心が躍った。国語科準備室の扉を開けると、先生が「よ!」と片手をあげて出迎えてくる。いつもの長机へ近付けば、一冊の冊子がその上に置かれていた。その冊子を見た瞬間、脳内に稲妻が走った。体が硬直し、分かりやすく息が上がる。自分が興奮していることがわかって、なんだか恥ずかしくなった。高ぶる熱を抑えるように胸に手を当て、シャツの胸元にシワができるほど力強い力で握った。


「こ、これ、ど、どうしたん、ですか?」


どもって気持ち悪い声が出た。しどろもどろで情けない。目を開きすぎて瞳が乾いて痛い。そんな私のリアクションを先生はニコニコ、いや、ニヤニヤしながら見守っていた。冊子に手を伸ばしてはやめるを繰り返す私の代わりに、先生がそれを持ち上げて私の前へ掲げた。その冊子にそう易々と触れてしまえることに驚いた。それまでにこの代物は、貴重で、尊いものなのだ。その冊子の名は…。


「文芸雑誌『白樺』、大正六年の十月号だ」


この世で一番素敵な響きだ。間違いない。少なくとも私にとってはそうだ。文芸雑誌『白樺』は、一九一〇年四月~一九二三年八月まで刊行されていた文芸雑誌及び美術雑誌だ。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などの上流階級の青年達や学習院の関係者が集い、自分たちの作品や西洋の美術作品に対する特集記事を掲載したものだ。どの古書店に行っても大抵在庫無しになっている貴重な代物。なぜ持っているのかと問えば、知り合いが老い先長くないから譲り受けたと先生は言った。先生が亡くなる時には私が譲り受けようと心に誓った。


先生から手袋を借りて、薄い表紙に手をかける。パリパリパリと不安な音を聞きながら、慎重に慎重に、恐る恐る上から下へと堪能していく。ふと一つの詩に目が止まった。私の好きな詩だ。でもなかなか収録してある詩集に出会うことが出来ない作品。武者小路実篤によって紡がれた言葉。幼い頃はその優しい雰囲気が好きだった。今ならその意味も少しだけ理解出来る気がした。その文面を指でなぞって、題名をつぶやく。


「友達の喜び」


私が呟いた題名を聞いて先生はにんまりと笑った。その表情に何を述べるわけでもなく、私はその詩を読んだ。


「友達と話しして、

話がはずんで来て、

二人の心が、

ぴったり、ぴったり、あって、

自づと涙ぐむ時、

人は何者かにふれるのだ、

何者かに。」


そのページから一向に進まない私を見て、先生は優しいため息をついた。人間を失格した私は、人と関わることすらしなくなった。最近関わるようにはなってきたけれど、それでもきっとまだ私は「何者」にもなれないだろう。理解はできてもそうはなれない。


友達と話しをして、弾ませて、でも気があっているかと言ったらそうでも無い。私の話を聞いて相槌を打ってくれる優しい人たちなだけ。涙ぐむこともない。泣きそうになったことは無い。だから私はまだ、「何者」にもなれない。


「その詩に書かれている「何者」は、他の人から見ての話であって主観的な話じゃないだろう。心を通わせて、嬉しくて、泣きそうになる時に、ソイツは友達にとっての「何者」かになれる…。そんな詩だと俺は思うがな」


まぁ、解釈なんて自由で人それぞれだと先生は腕を組む。私は先生へ向けていた視線を『白樺』へ戻した。小説と違って詩という概念は抽象的だ。短くリズムのいい言葉の中に作者の思想が見え隠れする。武者小路実篤が友達をどう描こうとしたのか。彼はどう考え、どう感じ、どうしてこの詩を遺そうと思ったのか。答えは武者小路実篤本人しか知らない。「何者」とは何なのかの答えも、当然の事ながら彼しか知らない。


「友達の喜び」が記載されているページのコピーを先生から貰い、まだ賑やかさの余韻が残る廊下を早歩きで進む。文学談義と呼ぶには軽いものではあったが、久しぶりに先生と会えたことが嬉しかった。教室へ戻り、しっかりそれをクリアファイルに挟んで持ち帰る。他の人から見たら確かに一枚の紙切れ。でも私にとっては、幼い子供が色めきたつ宝の地図と同じくらいには貴重で心躍る代物だ。この紙切れ一つあれば、これからの文化祭という憂鬱な日々も乗り越えていけそうな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る