第七章 いちご姫⑥

「せっかくの代休なのになんで学校来てんだろうね」

「アイスには抗えないよな」

「おい、俺の目の前で食うな」


体育祭が終わった次の日。本来は代休として学校は休みなのだが、中島先生がアイスを奢ってくれると言うので食べに来た。白峰君だけ部活中で食べられないのだが、グラウンドと駐車場を隔てる柵に背中を預けてその他の四人でアイスを堪能していた。白峰君は休憩時間らしく、柵の向こう側で恨めしそうにこちらを見つめている。中島先生から渡された紙幣を握りしめ、学校付近にあるアイスの自販機へ赴いたのがつい先程のこと。私と夜永さんはモナカを、莉子ちゃんは棒付きのチョコレート味、帆澄君はソーダ味のシャーベットをそれぞれ味わう。もちろん先生からは白峰君の分のお金も貰っているので、部活終わりに渡すことになっている。

秋の涼しい風の中、されど萌える灼熱の太陽の下。味わうアイスはまた真夏日に食べるものとは別の魅力があった。昨日行われた体育祭は白峰君と帆澄君のクラスが優勝、私と莉子ちゃん、夜永さんのクラスは最下位となった。元々そんなに前向きな生徒がいないクラスだったので、結果について揉め事などは起こらず平和に幕を閉じた。三等分の割れ目が入っているモナカを律儀に割れ目通りに割りながら食べる。一つ食べ終わったところで、そう言えばと帆澄君が口を開いた。彼のチューブ入りシャーベットはもう空だった。


「星野さん、中じぃとの話は決着したの?」

「…ファム・ファタールのことですか?」

「そうそれ」


私と帆澄君のやりとりを聞いて、その間に立っていた莉子ちゃんが柵の向こうの白峰君にファム・ファタールの意味について尋ねる。白峰君は渋々と言った様子で答えてあげていた。私はと言うと、その話題に興味を示した夜永さんにことの顛末を説明した。二個目の割れ目を割ってモナカに齧り付く。口の中が空になってから帆澄君の質問に答えた。「着いていません」と。潔く。

あの予行のあと話す機会がそんなになかったのもあるが、どうもこの話題に明確な答えが出る気がしない。そもそも答えを出せる気がしなかった。「ファム・ファタールは実在するのか?」なんて、曖昧で抽象的で、私の人生経験とは全く無縁のテーマ。しかし、「いちご姫」の主人公である彼女はファム・ファタールとして扱っても問題ないだろうということは満場一致だった。ファム・ファタールは実在する。確かにいる。物語の中に確かな存在感を持ってそこに居る。しかし現実はどうだろう。過去歴史上でそうだとされた人物はいたし、最近では犯罪者や女性詐欺師もそう呼ばれる人が見受けられるようになっている。


「皆さんはファム・ファタールは実在すると思いますか?」


モナカの最後の一欠片を口に運びながら問えば、皆一通り視線を交えてから口を揃えて「いる」と答えた。その根拠と具体例が欲しくて問いかけるが、途端に皆私と視線を合わせようとしない。その様子に首を傾げていると、帆澄君が「そのうち分かるよ」と答えを有耶無耶にしてまとめた。背後で白峰君が「タチ悪い」と呟いた気がしたが、特に追求する気にはならなかった。男を惑わし破滅させる女、運命の女とも言われるファム・ファタール。一度でいいから会ってみたいものである。

いちご姫は自分すらも破滅させてしまったが、そちらの方がリアリティのある結末でいいと思った。誰しもその行いには代償が付き纏うものだ。どこかで報いとお釣りが来るのは当たり前だ。だからこそ彼女の結末は、「生きている」感じがして素晴らしいものだと思った。モナカを食べ終わり袋と箱を丁寧に畳む。みんなもそれぞれ食べ終わったようで、いそいそと後片付けを始めた。グラウンドの中から白峰君を呼ぶ声がした。部活いつまで?という帆澄君の問いに今月末の県大会次第だと答えて、彼は部活へ戻って行った。「俺思うんだけどさ」と前置きを置いた帆澄君に残りの三人が顔を向ける。プラスチック製の空容器を手の中で弄びながら、彼は少し口に出すべき言葉を考えているようだった。透明な容器に反射した太陽がキラリと一瞬煌めく。その眩しさに目を細めて、彼の言葉の続きを待った。


「星野さんは、ちゃんとずっと傍観者で居そうだよね」


彼のその言葉に勢いよく莉子ちゃんが同意した。「分かる!」と叫んだ彼女につられて、夜永さんも首を縦に何度も振る。それは私が当事者意識が薄い人間だとでも言うのだろうか。確かに今まではそうだったかもしれないが、最近はマシになった方だと思うのだが。どうやら私のこと憶測は見当違いだったようで、口にしたら大袈裟なくらいに否定された。慌てた様子で私に否定の言葉をくれる莉子ちゃんとは違い、ひとしきり笑い終わった帆澄君は「じゃあこれからバイトだから」と帰って行った。

時刻は十五時半。サッカー分の練習が終わるまであと三十分だ。グラウンドの中から響いてくる喧騒と木の葉を揺らす涼風の音色に耳を傾けて、じっと時が過ぎるのを待つ。莉子ちゃんの鈴が転がるような声も、夜永さんの少し控えめな儚い声色も心地いい。いつか私も皆と同じように答えを出せる日が来るのだろうか。いつか出会うことは出来るだろうか。祭りの終わりの寂しさの中、自分だけ置いていかれているような焦りの中、少しだけこの先への扉が開けた気がした。今はいつか出会えますようにと、心から願うばかりだ。


参考文献


山田美妙 『いちご姫・胡蝶』 岩波書店 2011年

青井明 2001年 白水社ラルース仏和辞典 白水社

鹿島茂『悪女入門 ファム・ファタル恋愛論』講談社 2003年

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