第二章 山月記 ➂


 「『山月記』は、中島敦が著した短編小説だ。1942年に発表された中島のデビュー作でもある。唐代、詩人となる望みに敗れて虎になってしまった男の李徴が、自分の数奇な運命を友人の袁傪に語るという変身譚であり、清朝の説話集『唐人説薈』中の「人虎伝」が素材になっている。『山月記』の題名は、虎に変わった李徴が吟じる詩の一節「此夕渓山対明月」から取られている。」


 『人間失格』の時と言い、この人の知識量には毎度目を見張る。すらすらと『山月記』の基本情報を述べていく。普通、李朝が吟じた詩の一説なんか、そんなに簡単に出てこない。私も先生に予告されてから、山月記について色々調べたが、この分だと何の役にも立たなそうだ。

 この『山月記』という話は、端的に言ったしまうと、プライドエベレスト系男子の拗らせ変身譚である。昨今では高校の現文の教科書に必ず載っている名作だ。確か、中間考査の範囲がそうだった気がする。あと約一か月後の話だ。先生に求められて、私は『山月記』を読んだ初見の感想を口にした。


 「私は李徴という男お好きになれませんでした。プライドが高いくせに、極端に内向的な性格についていけません。『臆病な自尊心と、尊大な羞恥心』という言葉はとても印象的だなと思います。言葉にすると美しいのに、実際に現実に居たらと考えたときに、いやだな、面倒だなと思ってしまう感じが妙にリアルだなと感じます。最後に李徴が家族のことではなく、自分の詩を袁傪に託すところに芸術至上主義が垣間見えていいなと思いました」


 私の感想を先生は一語一句丁寧に、ルーズリーフにメモしていく。『人間失格』の時もそうだった。メモを見ながら先生は、「なるほどな」と小さく呟いた。


 「お前さんが李徴をよく思っていないことはよく分かった。では、袁傪のことはどう思う?」


 「袁傪ですか?」


 「うむ」


 袁傪とは『山月記』に登場する人物の一人で、李徴の旧友である。虎となってしまった李徴を発見し、なぜ虎になってしまったのかという顛末を聞き、最後に李徴から彼が作った詩を託される人物である。


 「虎になった李徴すら受け入れる、穏やかな性格が印象的でした。穏やかで柔らかい彼だからこそ、プライドの高い李徴とぶつからずにやってこられたのでしょう。虎となってしまった李徴も、袁傪の前では弱音を吐き、人としての心を持って接することができますし、袁傪は李徴にとって、かつて自分が人であったことの「証」のような存在だったのかもしれないと私は思います」


 読んでみて思う。この李徴という人間は、袁傪がいなかったらどうなっていたのだろうと。先生は私の話を、うんうんと大きく頷きながら聞いていた。


 「そうだ。恐らく、虎になってしまった李徴にとって、袁傪という人物は「証」であると同時に救いだったのだろうな。自分の話を聞いてくれる誰かは、いてくれるだけで救われるものだ。」


 それはなんとなくわかる気がした。嫌、分かるようになったのだ。この一か月で。自分の好きなことについて話せる。それを聞いてもらえる。それがとても嬉しいことだと最近分かった。最終下校時刻を告げる放送が、薄暗い校舎に木霊する。どうやら今日の文学談義はここまでのようだ。私は荷物をまとめて、国語科準備室を後にした。

 帰り道、鈍く光る月を眺める。大きさ的に明日は満月だ。帰りながら考えるのは、李徴と袁傪のこと。そして白峰風虎のことだった。李徴のような彼に、袁傪のような存在はいてくれたのだろうか。自分の弱いところを聞いて、受け止めてくれる存在が、果たして彼にはいたのだろうか。私が知っている限りだと、皆彼に逆らえず流されてばかりなように見えた。誰かが彼の袁傪になってあげなくては、彼は壊れてしまうのではないだろうか。人間を失格した私は、果たして彼の袁傪になってあげられるのだろうか。よくわからないし、もう関わりたくもない。でもなぜか今は、彼と話をしなければならない気がした。

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