第五章 銀河鉄道の夜③

 三


 先生が運転する車に揺られてやってきたのは、軽井沢にある洋館だった。そのあまりの大きさと雰囲気に皆口を開けて暫くポカンとしていた。沈黙を破ったのは先生で、「入るぞー」なんてお気楽な声を上げながら、私たちを置き去りにして屋敷の中へ入っていく。今回参加したメンバーは予定通り、白峰君、桜城さん、帆澄君、夜永さん、そして私の五人だ。割り振られた部屋の中はまるでドールハウスのようで、自分たちの家ではまずお目にかかれないアンティーク調の家具の数々に、眼に見えてテンションが上がっていく。はしゃいだ様子でベッドへ体を勢いよく沈ませた莉子ちゃんに、肩を跳ね上げて驚く夜永さん。正直この二人が同じ部屋という事実に、不安を隠せない自分がいる。

 荷物を置いて必要なものを持って合宿の舞台となる広間へ向かう。屋敷の広間は吹き抜けとなっていてこれまたアンティーク調に統一された家具たちが綺麗に並んでいる。人数分の一人掛けソフーとローテーブルがコの字に置かれ、円形になっている広間の壁は全て本棚へと改造されている。先ほど持ってきた必要なものという名の一冊の本を携えて、各々好きな席に座る。誕生日席のように真ん中に座らされてしまった私を中心に、私から向かって左側に女子。外側から夜永さん、莉子ちゃん。向かって右側に男子。外側から帆澄君、白峰君の順番に座った。順番が決まってから、先生が私の向かい側に席を増築して座る。吹き抜けの天窓から注ぐ優しい自然光を囲むように、私たちは文字通り顔を突き合わせて話すことになった。最初は自己紹介を兼ね自分が持ってきた本を紹介することになった。一番外側から時計回りということで、最初は帆澄君だ。


 「帆澄海璃です。有休がとれたので来ました。よろしく」


 端的な自己紹介の後に彼が取り出したのは、私があげた『蟹工船』だった。彼は家にはこの本しかないと語ったのち、『蟹工船』について少し語った。


「蟹工船っていう船でも工場でもない、法の穴を突いたような劣悪な環境で働かされている人たちの話で。上官の機嫌次第で自分の命の重さとか、仲間の明日が決められるような状況で、それでも自分たちの尊厳とか誇りを取り戻すためにストライキを起こした男たちの話なんだけど。話が一貫して胸糞悪い分、男たちのカッコよさが引き立つというか。とりあえずハチャメチャにカッコいいので読んでほしいです」


 「よろしくお願いします」と締めくくって帆澄君は自己紹介を終えた。とりあえずの拍手が場を包む。『蟹工船』はカッコいい男たちのドラマであると同時に、「人を蔑ろにする社会に未来はない」という当時の社会情勢を風刺的に暴き出した作品と言えるだろう。それは今の現代社会でも言えることだ。初めから重い内容が持ち出されたため、場の空気は少し重い。そんな空気を切り裂くように、白い虎が鳴き声を上げる。


「白峰風虎だ。よろしく」


 静かに強かに名前を告げたのち、彼も小説を一冊取り出した。その小説は東野圭吾による探偵ガリレオシリーズの中の一つ。『容疑者ⅹの献身』だった。まさか彼がこのシリーズを選んでくるとは思わず、口を半開きにして驚いてしまった。そんな私に彼は「間抜け面」と鼻で笑った。


 「この話はあの有名なガリレオシリーズの一つなんだけど、主人公湯川の友人が容疑者として挙げられてさ。最初は傍観決め込んでた湯川が謎ときに加わってからがまぁ面白くて。しかも今回は犯人が頭いいからトリックとか、全部含めて謎が謎を呼ぶ感じで面白い。最後の湯川の解説の場面はマジで誰にも邪魔されずにノンストップで読んだ方がいい。俺は母に邪魔されてキレ散らかした」


 彼の最後の一言に莉子ちゃんが「えぇ、そんなにぃ?」とニヤニヤしながら聞けば、真剣な眼差しで彼は一言。「マジ」、と圧力をかけた。その態度からは彼がどれだけこの小説を気に入っているのかが見て取れた。ガリレオシリーズは2002年に文春文庫から文庫版が発売され、ドラマ化もされている話題作だ。その中でも初の長編となる『容疑者ⅹの献身』は第一三四回直木賞を受賞し、日本人として史上二作目となるエドガー賞候補となった、国内外で「面白い」と評価されている作品である。「次はお前だ」というメッセージを彼の視線から読み取り、私は持っていた本のブックカバーを外して目の前のローテーブルに置いた。皆が本の題名を覗き込んで確認しているのをいいことに、自分に視線が向かないタイミングを見計らって自己紹介をした。


 「星野和香です。よろしくお願いします」


 視線を集めていた本の表紙を全員に見えるように掲げて見せる。その本の題名を見るなり、先生はニヤニヤよいつもと同じ品定めする目を向ける。その目にはもう流石に慣れたので、冷静にかつ慎重にその本の説明をするべく口を開いた。私が持ってきた本。それは、友人の死から目をそらす彼女のために選んだ本。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だ。


 「『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治による童話作品です。孤独な少年のジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語で、宮沢賢治童話の代表作のひとつとされています。一九二四年ごろに初稿が執筆され、晩年の一九三一年頃まで推敲が繰り返された後、一九三三年の賢治の死後、草稿の形で遺されました。今私たちが手にしているものは、賢治の死後に編纂され徐々に形になっていったものです。内容は全部で九つの章に分かれていて、「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」という言葉が有名なのではないでしょうか?」


 解説し始めた私の姿に先生は満足気に笑い、白峰君と莉子ちゃんは「いつものこと」だと言わんばかりのスンとした表情を浮かべ、帆澄君と夜永さんは目を見開いて固まっている。「抑えた方がいいか」と先生に目だけで問えば、「どうぞ続けろ」と先を促してくる。お言葉に甘えて言葉を紡いだ。


「SFファンタジーの世界観の中に、熱烈な仏教信者であった作者の宗教観が盛り込まれていて、「人の死」というものがあまりにも美しく自然に描かれています。主人公のジョバンニとその親友カムパネルラは、銀河鉄道の旅の中で様々な人々に出会い、「生きる意味」というものを学んでいきます。そして二人はみんなの本当の幸いのためにどこまでも一緒に行こうと誓い合いますが、カムパネルラは最後に消えてしまいます。現実世界に戻ってきたジョバンニは彼が死んだことを知り、銀河鉄道の旅の意味を理解する。…というような内容になっています。専門用語や不思議な表現は多いですが、「生」と「死」。その意味について深く考えさせられる作品なので、機会があったら読んでみてください」


シンっと静まり返った広間に、ただ気まずさだけが残った。皆の表情に目を向けることが出来ず、いそいそと本にブックカバーをかけて誤魔化した。一泊遅れて響いた拍手の音は先生のものだった。「良く調べたな」という誉め言葉を会釈で受け取り、他の人たちの反応をうかがった。白峰君からまず、「今度貸せ」という言葉が飛んできて、「その次俺」と帆澄君が続いた。「私この次やりにくいよぉ」と莉子ちゃんがうなだれる。そんな中夜永さんは俯いて何も言わなかった。前髪に隠されたその表情は私が座っている位置からは確認できず、覗こうと身をかがめたときに莉子ちゃんが元気よく手を挙げたためその行動は無駄になった。


 「どーも、桜城莉子です!よろしくね!!」


 元気よく立ち上がり自己紹介の流れが始まって史上一番の元気で、明るくはっきりとした声で自己紹介して見せた莉子ちゃん。「本日私がご紹介するのは~」と、通販番組さながらの勢いでトートバッグから取り出したのは、なんと絵本だった。やけに大きいのでまさかとは思っていたが、本当に「そう」だった事実に驚きつつ、先生に目配せすれば「一本とられた」と言わんばかりに自分の額を叩いていた。「それずるいだろ!」という白峰君の抗議の声に、「好きな本を持って来いって書いてあって、絵本はダメなんて書いてなかったもん。しかも、絵本も本じゃん」と、誰も何も言い返せないことを子供っぽく返してのけた。何も言い返せなくなった白峰君は唸り声を上げたのちに、頭を抱えてうなだれた。そのやり取りを見ていた帆澄君はお腹を抱えて震えている。夜永さんはポカンとした表情で、二人のやり取りを見守っていた。


「私が持ってきたのは『つみきのいえ』。絵も可愛いし、話もエモいの。水に沈んじゃう町で暮らしてるおじいちゃんが、どんどん積み木みたいに家を重ねていくんだけど、なんか色々あって下の家の方まで潜っていって色んな思い出に浸る…みたいな話!」


 莉子ちゃんは元気に話を締めくくり、満足げに笑った。かなり端折られて説明された絵本、『つみきのいえ』はもともと短編アニメーションだったものを絵本にした作品だ。主人公のおじいさんを中心に「つみきのいえ」でのエピソードが儚く、微笑ましく、優しく描かれた作品で、数々の賞を受賞している。莉子ちゃんらしいチョイスに破顔してしまう。広間に少し優しい雰囲気が流れる中、おずおずと夜永さんが口を開いた。


「夜永望結です。よ、よろしくお願いします」


消え入りそうなほどか細い声で紡がれた自己紹介。そんな彼女が取り出した本は、『星の王子さま』だった。「親友が好きな本なんです」と控えめな笑顔で語りだした彼女に、場の空気が固まり気配がした。念のためこの場にいる者全員は、今彼女が置かれている状況について共有している。楽しそうに語る彼女の話を、皆複雑な面持ちで聞いていた。


「とにかく世界観が可愛いし、話も凄く素敵なんです。箱根にある「星の王子さまミュージアム」には、親友と一緒にいたことがあって…。また行きたいなぁって思ってます。この話に出てくるキツネさんの「大切なものは、目に見えない」っていう言葉が好きで。とてもいい話なので、皆さんも読んでみてください」


 あくまで控えめに、されど楽しそうに語られた『星の王子さま』は、作家であり飛行士でもあったフランス人のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによって書かれた本だ。「大切なものは、目に見えない」を初めとした言葉の数々は、生命とは、愛とは何かといった、人生の重要な問題に答える指針として広く知られている。レイナル・ヒッチコック社による一九四三年の初版以来、作者自身による挿絵が使われ、素朴な主人公や脇役の姿は作品とともに世界中で愛されている。今大切なことから目をそらしている彼女が、キツネの言葉を大切にしているというのはあまりにも矛盾している気がしてならなかった。

 全部の話を聞き終わった先生が子気味よく一回手を叩く。「いやぁ、楽しかったなぁ」とニマニマしたかと思えば、「飯にするか!」と台所の方へと向かっていく。その背中に、「え、いうことそれだけ?」という視線を向けつつ、天窓から差し込む日差しの強さと、壁にかかった古い時計の針がもうお昼時だと告げているのを確認すると、育ち盛りの男子たちを筆頭に皆で台所へ向かった。向かう途中で夜永さんが、「『銀河鉄道の夜』、面白そうだね」と笑顔で話しかけてきた。何と返したらいいかわからなかった私は、とりあえず形だけ首を縦に振っておいた。

 

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