第六章 友達の喜び⑥
文化祭終了を告げる空鉄砲が鳴った。放送委員の放送の音で、あまりにあっけなく秋の祭りは終わりを告げた。それぞれが自分のクラスへ帰っていく人混みを白峰君と並んで歩いた。莉子ちゃんのステージも見れたし、普段なら自分から行かないであろう屋台や出し物もそれなりに楽しんだ。廊下を歩いていると向かいから中嶋先生がやってくる。「星野!」と投げられた何かは、私の手の中で一回跳ねて床に落ちる寸前で白峰君の手の中に収まった。赤く色づき始めた視界の中で鈍い銀色が煌めく。「屋上」と書かれたタグがついたそれは、紛うことなき屋上の鍵。普段立ち入り禁止なその場所の鍵に、明らかにテンションが上がっているのは白峰君。「中じぃこれマジ!?」としっきり握った鍵を高く掲げてブンブン振り回す。どこかへ飛んでいかないか不安になった。
「後夜祭、花火があるぞ」
そう手を振って中島先生は職員室の方へ去っていった。「おい全員呼ぶぞ」とスマホを操作し始めた彼は、驚くべき速さと手腕で共に夏合宿へ行った五人を屋上へ集めた。一旦自分の教室へ帰り、後片付けとクラス会を済ませる。まばらながら帰る人も見受けられ、去年までの自分ならこの人混みの一部だったのだろうなと昇降口から正門へ伸びる人の列を、国語科準備室の窓から見下ろした。後夜祭開幕の放送が流れる。日は完全に傾き、空は茜から青へ変わった。体育館の方から響く音楽と歓声から遠ざかるように屋上を目指した。三年間開けることなんてないと思っていた屋上の扉を開ければ、そこにはもう私以外の全員が揃っていた。
「見て和香ちゃん!中じぃが花火買ってきたよ!!」
そう言ってはしゃいで飛び回る莉子ちゃんの足元には、五袋分程の手持ち花火が既にバラされて並べられている。学校内で花火をするというのは大丈夫なことなのだろうか。手持ち花火を覗き込んで集まる私達を少し離れていたところから見守っていた先生。疑いの視線を向ければまるで悪戯を仕掛ける子供のような笑顔で、人差し指を口の前へと持っていった。なるほど、どうやらダメなことらしい。みんなそれぞれ思い思いに自分がやりたい花火を選ぶ。あーでもないこーでもない、それがいいあれがいいだの繰り返していたら、頭上が眩く光って鈍い音が鳴り響く。どうやら花火が始まったようだ。先生が用意した小さな蝋燭の火種を囲み、みんな一斉に自分の持っている花火に火をつけた。手の中で揺れる煌めきは頭上の大輪の花とは違う、愛らしい美しさを持った花。
「楽しいな」と純粋に思った。火花と星空に包まれて、少し騒がしい非日常な夜。頬撫でる秋風が少しの寂しさと涼しさを連れてくる。この時間がずっと続けばいいのにと、柄にもなく考えてみたりする。この祭りはこれで終わる。今年で最後で二度とない。こんなことならもっと早く皆に出会っていればよかった。先生に出会っていればよかった。もっと早くに、「人間」になれていれば...。無意味なタラレバに縋ってしまうほど、今この瞬間が幸せだった。
「星野さん、火分けてもらってもいい?」
「どうぞ」
私の手持ち花火から夜永さんの元に火種が移る。私の花はそれで枯れてしまったけれど、夜永さんの手の中でまた咲いた。「綺麗」だと呟いた彼女に、「綺麗ですね」と頷く。花火に向けていた視線が彼女の瞳と合わさると、少し寂しそうに名残惜しそうに笑っていた。彼女も今日を楽しめたようで、こちらもなんだか嬉しい気持ちになった。私たちの花火よりも文化祭の花火の方が先に終わった。これで後夜祭も終わる。余った花火を片付けながら、それでは最後にと私が提案した。線香花火に火をつけてしゃがむ。皆それぞれのポジションを決めてしゃがみ込んだ。
だんだん大きくなる光の粒と火花を眺めて、じっと身を固くする。どうか落ちないで欲しい。終わらないで欲しい。けれど時間は残酷で、無情にも私の雫は地面に落ちてぼんやりとゆっくりその輝きを失った。
「あーあ」
そう笑った白峰君の声が耳元で響いて顔を上げる。どうやら私のすぐ近くに陣取っていたらしい彼は、未だその手の中に輝きを持ち続けていた。その光を覗き込むように体の向きを変えて座る。彼の喉の中で固い呼吸音が響いたのを聞いた。やがて彼の線香花火も終わりを告げた。結局みんな自分のものに夢中になっていて、誰が一番長かったとか、そういうことは一切分からなかった。誰が言うでもなく先生を含めて全員が、屋上のフェンスを背に並んで座った。後夜祭すら終わったのだと、校内放送が鳴り響く。無機質な電子音に乗った名残惜しそうな放送委員の声。帰宅を促す教師の声も後者の方からうっすら聞こえる。
「星エグイな」
と呟いたのはたぶん帆澄君だ。初めて足を踏み入れた屋上という箱庭から見上げる星も、月も、先程まで咲いていた大輪の花も、全てが愛しく思えた。今日体験した全ての初めてのことが愛し過ぎて、今こうして肩を並べてる全員を「友達」と呼びたくなった。自分はこの中にいる誰かの「何者」かになれているだろうか、「何者」かにふれられただろうか。未だに会話ははずまないし、笑顔なんて上手に作れやしない。心なんて合うはずがない。こんな個性的で面白い人たちと、思考が一致するはずもない。それでもこの人たちを、「友達」と呼んでもいいだろうか。もう居ない武者小路実篤に、少しだけ聞いてみたくなった。祭りは終わる。もう二度とない。ここにいる皆と、この先も一緒に居れる訳では無い。その事実が切なくて、苦しくて、そしてとても愛おしかった。
…あぁどうしよう、泣きそうだ。
参考文献
「もっと知りたい武者小路実篤 31」 2010/03/31 武者小路実篤記念館発行
「もっと知りたい武者小路実篤 16」 2004/07/17 武者小路実篤記念館発行
石井千湖 『文豪たちの友情』 講談社 2021
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