第一章 人間失格 ➁


 高校生活最後の一年、その人は私の前に現れた。年老いた現国教師だ。小太りな体型に白髭を無造作に生やしたその姿に、隣の一軍女子は「小汚い」と呟いた。確かに普通の女子高生が黄色い歓声を上げるような容姿の人では全くないが、何故か私はその教師と話がしてみたくなった。


「俺は中嶋。再任用で来た」


 簡潔に自己紹介したその人は、早速私たちに課題を出してきた。出された課題の内容は「読書感想文」。明日の現国の授業で提出とのことだった。皆口々に否定的な言葉や、ブーイングを発していたけれど、私にとっては何ら苦ではない。読んだ本の感想を、白紙の原稿用紙に落とし込むだけの作業に、どうして皆が毎回苦戦しているのか、私には理解が出来なかった。隣の一軍女子は原稿用紙で紙飛行機を作り始めた。その行動は本当に理解不能すぎたので、私は考えるのをやめ、早速配られたばかりの原稿用紙にペンを走らせた。ちょうどいいので、今日の一冊である「人間失格」で書くことにした。大庭葉蔵の芯にある美しさ、それは人間失格だったとしても、その醜い生き方こそ人間であると、思ったことを赤裸々に書いた。結果、四百字詰めの原稿用紙五枚以上の大作となってしまった。

 提出した読書感想文は、さらに次の授業で返されることになった。授業の中で先生は一人一人に感想を述べながら、手渡しで返却していく。ほとんどの人が「もっと真面目に書け」や「舐めてんのか」など、散々な評価を下されている中で、ついに私の番がやってきた。自信が無い訳では無いが、他人から自分の感想はどう受け止められているのか不安になった私は、恐る恐る先生の方へ近付いた。そんな私を一瞥するなり先生は言った。「お前さんとは気が合いそうだ」と。初めてかけられたその言葉に、なんと返したらいいか分からなかった私は、「ありがとうございます」と上辺だけの礼を返した。

 それからというもの授業で指される回数が増え、廊下ですれ違った時に話しかけられる確率が増えた。そして挙句の果てに今日、放課後「国語科準備室」に呼び出された。茜色に染まった校舎。運動部の掛け声と吹奏楽部が奏でる音色に包まれながら、私は一人その部屋をめざした。なぜ呼び出されたのか、なぜ私だけなのか。疑問は沢山湧いてくるが、どれもこれも行けば解決する話だったので、ただひたすらにその部屋を目指した。

 国語科準備室の中に入ると、先生は大変嬉しそうに私を迎え入れた。わけもわからず先生について行くと、机の上には様々な出版社から出版された「人間失格」。そして私が書いた読書感想文のコピーが広げられている、なんとも「人間失格」まみれの場所へと案内された。国語科準備室の隅、日当たりの悪いその場所は、まるでそこだけが日常空間から切り離されているような、不思議な雰囲気を纏っていた。その机の上に、さらに先生は白紙のルーズリーフを数枚広げてニヤッと笑った。


「放課後暇なら、今日からここで文学談義をしてみないか?」


「文学談義」という、高校生活を送る上で全く聞いたことの無い単語に息を飲む。「文豪」と呼ばれる方々がそのような事をしていたのはよく耳にする。だがしかし、私のような一女子高生と、この不思議な現国教師の間でそれが成立するわけが無い。それにこの人は放課後暇ならと言った。私は暇じゃない。本屋を巡って今日の一冊とするべく本を買い集めるという、大事な用事が毎日あるのだ。ここは丁重にお断りしようと口を開いた時、先生は言った。「成立しないと思っているなら、まずやってみればいい」と。その理屈はよくわからなかったが、私はその言葉で、「出来るかもしれない」と思っている僅かな自分自身に気付いてしまった。そして何より、この教師と話してみたいと思っていたのは紛れもない事実だった。黙って席に着く私を見て先生は満足気に笑い、私の向かいの席に腰を下ろした。

「知っているだろうが、『人間失格』は、太宰治によって著された中編小説だ。『ヴィヨンの妻』『走れメロス』『斜陽』に並ぶ太宰の代表作の一つでもある。」

 すらすらと人間失格の基本情報を述べていく先生。その表情からは一切の表情が抜け落ちている。その様子が少し不気味だなと思ってしまった。変わらぬ表情で先生はさらに続けた。


 「この作品は、主人公大庭葉蔵の手記と、作者による「はしがき」「あとがき」から成っている。葉蔵の手記を太宰自身の年譜などと照らし合わせて読むと、葉蔵が彼自身をモデルにして創られた人物であることは明瞭だ」


 補足を入れておくと、「はしがき」とは文章のはじめの序文のことだ。淀みなく低く、妙に心地のいい声で『人間失格』について述べていた先生の言葉が一旦止まる。視線だけで、「ここまでで何か質問はあるか」と問いかけてくる。私は少し考えてから、パッと浮かんだ質問をそのまま口にした。


 「『人間失格』の最初の一行は二つあります。「はしがき」の最初「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」というものと、有名な第一の手記の冒頭「恥の多い生涯を送ってきました」。先生はこの二つの最初の一行についてどう思いますか?」


 「お前はどう思った?」


 質問を質問で返されたことに多少腹が立ったが、一々突っかかるのも面倒なので、私はおとなしく自分の見解を述べることにした。


 「私は所謂最初の一行というものを二つ作ることで、太宰がこの話の構図を一方通行に仕立て上げようとしているように感じました。そこからくる曖昧さや、不安、自分の解釈はこれでいいのかという思いが無理やり引き出されました。引き出しておいて、そのもやもやとした気持ちが晴れるのは本当に最後の最後です。何だかとても、いやな感じがするなと思いました」


「構図についての見解は正解だ。それこそがこの本の狙いだからな。その狙いにまんまと引っかかっちまったから、気持ちが悪い感じがするんだよ。その感覚が晴れるのは、お前の言った通り、本当に最後の最後なんだよ。最初に読んだ時に感じる、「何か嫌な感じ」お前が『人間失格』を真面目に読んだ証拠だ」


 褒められているのかは正直微妙なところだったが、「真面目に読んだ証拠」という言葉に響きは、なんだか妙に嬉しかった。

 そんな調子でどんどん会話を進めていく上で気がついたことがある。この教師と私はおそらく、いや驚くほど確かに、気が合わない。「大庭葉蔵の生き方は美しい」と語る私に対して、先生は「大庭葉蔵の生き方は見ていてイライラする」と発言した。私の読書感想文の何を読んでこの人は、私と自分の気が合うなどという言葉をほざいたのか、全くと言っていいほど理解出来なかった。分かりやすく顔を顰める私に対して、先生はツクツクと笑った。「楽しいな」と笑った。こんなにも意見が合わない人と会話しているのに、何処をどうしたら楽しいと感じることが出来るのか、私には分からなかった。分からないから「分からない」と口にしたら、先生は顎に手を置いて何かを数秒考えた後、さっきまで浮かべていた笑顔をスっと消して言った。


「お前さん、人と関わるのが下手くそだな」


 まぁ、そうだろうなと思った。だって今までまともに関わって生きてこなかったのだから。先生は言った。人間というものは本来、寂しがり屋な生き物なのだと。誰かと好きなものについて話せているなら、たとえ意見が合わずとも無条件に楽しいと思えてしまう生き物なのだと。先生は足を組み直して背筋を伸ばす。その様が、私を品定めする体勢に入ったように見えた。私を試しているように見えた。ならばその挑発に全力で答えてやろうと、私は少し身を乗り出した。

「その誰かが嫌いな誰かだったり、あまり関係のない誰かだった場合、そこまで深く話すことが出来ずにもどかしい思いをするだけだと思うのですが?」

 なんとも幼稚で稚拙な反論に、先生はまたツクツクと笑った。まるで、そういう所がそうなのだと言われているようだった。それでも構いやしないのさと先生は笑い飛ばした。「もっと深く話せればもっと楽しいのに」と思う欲求も、人と関わることの醍醐味なのだと。ここまで来て思ってしまった。たどり着いてしまった結論がある。


「私、人間失格してませんか?」

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