ナバラ州

~ ロンセスバリェス①

 カミーノの途中には、巡礼者のみが安価で利用できる、巡礼宿アルベルゲっていう宿泊施設がたくさんある。その形式は、「一晩に数人しか泊まれないけど、すごいアットホームな雰囲気でくつろげるもの」だったり。「収容人数だけなら一流ホテルにもひけをとらないほど大規模だけど、その実態は体育館に二段ベッドをたくさん並べただけ」とか……とにかく様々だ。

 共通していることといえば、その多くがいわゆるドミトリー――複数人がごちゃまぜになって同じ部屋に泊まるタイプの宿泊施設――であること。そして、特別な理由がない限りは、同じ人が同じアルベルゲに連泊することはできないということだ。


 多くの巡礼者は宗教的な――あるいは単純に金銭的な――理由から、一般の旅行者みたいに普通のホテルに泊まることをなるべく避けて、そういう不自由さがあるアルベルゲを利用することが通例になっている。いや、むしろそういう各地のアルベルゲの特色を楽しみながら旅をするのも、カミーノの楽しみの一つってことらしい。


 私がその日到着したロンセスバリェスのアルベルゲも、そういうアルベルゲの特色の一つをよく表している場所だったってことになると思う。だってそこは、かつての修道院を改装してつくられた、二百人近くが泊まることのできる超巨大な宿……まあ要するに、前述の「体育館に二段ベッドたくさん」スタイルだったわけだ。




 ★☆★☆★☆★☆★☆




「ね、ね、ね⁉ チカちゃんって、魔女っ娘なんでしょ⁉ だったらさ、何か魔法使ってみせてよ!」

 そのアルベルゲでの夕食は、指定された時間に併設のレストランへ行って、他の巡礼者と相席で食事をとるスタイルになっていた。まあ、夕食なしのとこも珍しくないから、ご飯があるのは普通に助かる。

 ただ、そうなると自然にレストランの同席者同士で自己紹介なんかをするような流れになるわけで……。このカミーノで自己紹介って言ったら、「名前」と「自分の国」は当然として、「あなたはどうしてカミーノを歩いているの?」っていう質問は避けられないわけで……。

 そんなわけで、夕食の席で私が「魔女の修行でカミーノに来ました」なんて言ったもんだから、隣の日本人のお姉さんが食いついてきちゃったのだった。



「い、いやあ……。でも魔女って言ってもあたし、まだまだ見習いのペーペーなもんで……」

「え、え、え? もしかして、一人前になるまでは他人に魔法使ってるとこ見せちゃだめとか、そういう感じ? あー。なんか魔女とか魔法使いとかって、そういうの厳しそうだもんねー? 掟とか、ルールとか」

「あ、いや。別にそんなことはないっすよ。うちのお師匠様、基本的に放任主義だし。バルセロナじゃあ、あたしも魔法使って観光客相手に小銭稼ぎしてたくらいですから。ただ……」

「ただ?」

「ただあたし……まだまだほんとに未熟で、全然大したことなくって……」

 なんて言いながら、懐からコインを取り出して準備を始める。実はあたし、こういうこともちゃんと想定していて、結構やる気満々だったりして。

「あたしができることって言ったら……ただ、小さくて軽い物を、こうやってほんの少しだけ動かせるくらいで……」

「お……? お、おおーっ⁉」

 あたしが力をこめると、手のひらの上に乗せた何の変哲もないコインが、フワフワと数センチだけ浮上した。声をかけてきたお姉さんはもちろん、周囲のテーブルの巡礼者たちからも歓声が上がる。

 ぐふふ……気持ちいい……。

「えー、何これ何これー⁉ ホントに浮いているのー? すっげーっ! 触ってもいーい⁉」

「いやいやー。こんなの、全然大したことないっすよー? うちのお師匠様なんか、もっともっとすんごい魔法をバンバンつかえちゃうんですからーっ! あはははー!」

 謙遜するような口調だけど……実際には、結構まんざらでもない気分。バルセロナの大道芸通りで同じことやったときは、地味すぎて無視されることも多くって、こんなに拍手喝采の話題の中心になれたことなんてなかったから。あたしのは本物の魔法なのに、隣のおっさんがやってる、タネも仕掛けも「ある」手品の方がウケちゃったりするんだから、正直やってらんなかったんだよね。

 まあ、実のところマジでこれ以上のことは出来ないから、飽きられるのも早いのは事実なんだけど……。


 その二分後。

 さっきの拍手喝采は、隣のテーブルでギターを弾き始めたイケメン巡礼者にあっさりと持っていかれちゃっていた。あたしのショボい魔法唯一の特技のことなんて、もうみんなきれいさっぱり忘れちゃったみたいだった。

 ……なんだよ、くっそぉ。


 そんなこんなで、食事を終えたあたしたちはレストランを解散して、そこからは各々自由行動となった。

 レストランで気の合う友達を作れた人は、そのまま場所を移して二次会に突入。あるいは、初日からだいぶハードなコースを歩いて疲れもあるし、次の日も歩き続ける英気を養うために、早めにベッドに戻る人とかもいる。

 あたしは……正直まだ時間が早すぎて眠れそうにはないけど、後者のベッド組かなあ……なんて思ってたら。



「いっやー、あなたってすごいねー! さっきはホント、楽しませてもらったよー! ありがとねー⁉」

 巡礼宿アルベルゲに戻ろうとしたあたしに、さっき話しかけてくれた黒髪の日本人のお姉さんが、フレンドリーな態度で握手を求めてきた。

「あ、もう忘れちゃってるかもしれないから、あらためて自己紹介するね? 私、ヤイコ。長谷部はせべ矢伊子やいこ! いろいろあって、二十八歳でいまだに大学生やってる日本人。カミーノはこれで三回目なんだ! よろしくぅ!」

「え? あ、は、はい」

 さっきまでは、同じテーブルの巡礼者たち全員に分かるようにと片言の英語で話していたヤイコさん。っていうか、このカミーノだと巡礼者同士は基本的に英語で話すことが多い。

 でも今は、スペイン人のあたしだけに話しているからか、彼女の言葉はスペイン語だった。それも、だいぶ流暢な。

「ヤイコお姉さんは、さっきの魔法でチカちゃんのこと、すっごい気にいっちゃったよー! いやー、こんなに可愛らしい魔女っ娘さんに出会えて、今日はラッキーだなー!」

「あ、はい。あざーす」

「よし、決めた! 今日は飲もう! 朝まで一緒に飲み明かそうっ! ね! ね! ね⁉」

「いやいやいや……。明日も朝から歩かなきゃいけないのに、徹夜で飲むって……どんだけファンキーなんすか? まだ、カミーノ初日なんですよ? これから、一か月近く歩かなくちゃいけないんですよ?」

 馴れ馴れしく肩なんか組んでくるヤイコさんに、ちょっと呆れてしまうあたし。日本人って、もっと礼儀正しくて大人しいって聞いてたんだけどなあ……。

「だいたい……言っときますけどあたし、まだ十六歳ですからね? オネーサンの国じゃあどうか知りませんけど、スペインだと、十八まではお酒ダメなんですよー?」

「またまたー? そんなこと言って、どうせもう飲んでるんでしょー? っていうか、さっきだって夕食についてきたワイン、普通に飲んでたじゃーん?」

「ま、まあ……。『魔女の魔力を高めるためには、お酒の力が必要不可欠』とか何とか言って、ちょくちょくお師匠様の飲みの相手させられてますけどぉー……」

「よしっ! じゃあ決まりっ! 私、この町のいいバル知ってるんだっ! だから、行こうっ! 今行こうっ! すぐ行こうっ! ね! ね! ね!」

「もおー、強引だなー……。絶対、ただ単に自分が飲みたいだけですよね? でもまあ、分かりました。いいですよー。じゃあ、部屋から上着だけ持ってくるんで、ちょっとここで待っててもらえます?」

「はいはーい!」

「……つーかオネーサン、めちゃくちゃスペイン語上手いっすね。ホントに日本人っすか?」

 結局は、そんな風に。別の店に移動して、あたしたちは一緒に飲みなおすことになっちゃったのだった。



 ヤイコさんを待たせて、防寒用の上着を取りにアルベルゲに戻る道すがら……。

 あたしは、さっきの自分たちみたいな巡礼者たちをたくさん見かけた。さっきまでは初対面だったのに、あっという間に意気投合して、今では旧知の親友のように笑いあっている。あたしたちみたいに「別の店に移動してもっと話そう」とか、「明日から一緒にカミーノを歩こう」なんて約束している人もいる。


 旅先での、異国人との出会い。国籍をこえて育まれる友情。

 それも、このカミーノの大きな醍醐味の一つなんだろう。

 そんな「旅先でできた友人との楽しい思い出」は、辛く長いこの旅にいろどりを加えてくれる、ステキな記憶となって……。

 そんなふうに。

 酔っぱらって、ちょっとタガが緩くなってしまったあたしが、また残念なポエムをこぼしそうになっていたとき……、


「はあーっ⁉ なんでワタシだけ、中に入れないんですわよっ⁉ 人間のクセに、このハイエルフのワタシをバカにするとか、ふざけんじゃねーですわよっ!」

 頭から冷水をぶっかけるように、キンキンと耳に障る甲高い絶叫が聞こえてきた。


「でーすーかーらー……何度も言うようにー、ここは『巡礼者のための施設』なんですねー? だからー、巡礼者じゃない方は、ここに泊まることはできないんですー。いい加減、分かってもらえませんかー?」

「う、うるっせーですわっ! そんなもんどうでもいーから、ごちゃごちゃ言ってねーで、さっさとワタシを中に入れなさいよっ! ワタシは明日からもたくさん仕事をしないといけねーんですわ! だから、さっさと休みたいんですわよ!」

「もおー……。困った人ですねー……」


 アルベルゲの玄関で、若い女主人オスピタレイラと口論をしている少女。あれは、あたしと昼間「追いかけっこ」をしたエルフの娘だ。

「…………」

 あたしは、なぜかその場に立ち尽くして、動けなくなっていた。

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