~ アストルガ

★19日目★彡  ~ ビジャダンゴス・デル・パラモ(20km)



 ホテルのベッドで目を覚まして、すぐに膝の調子を確認した。少しでも調子が悪そうだったり、痛みがあったら、今日も休むつもりだった。でも。


 ……大丈夫だ。


 昨日の休養が効いたのか、膝の炎症はだいぶ収まっている。試しに、荷物を入れたバッグを背負ってホテルの階段を上り下りしてみたけれど、特に痛みはない。もちろん、いきなり全快したわけじゃないだろうから、今日もあまり調子に乗って長距離を歩くのはまずいだろう。でも、気を付けて進めば、旅を再開することは出来そうだ。


 荷物については、昨日の内にある程度は整理して、軽量化のために要らない物はホテルに頼んで捨ててもらった。

 例えば、雨具として持ってきた折りたたみ傘とか。防水ジャケットで代用する予定の、防寒用のジャケットとか。これからまた標高が高くなって寒くなるのに防寒を捨てるのは、ちょっと勇気がいったけど、その分重ね着できるようなフリースとかがレオンで手に入ったので何とかなると思う。

 あとは、カミーノのガイドブックも小さいのを二冊持ってきてたけど……これも、地図のページだけ切り取って、あとは捨てた。いざとなったらスマホでホテルとかは調べられるし。それに、今のあたしに必要なことは、あんまり書いてなさそうな気がしたから。


 実はカミーノには、荷物を次の日の宿泊地に送ってくれるサービスとかもあって、そういうのを使うと巡礼者は道中を手ぶらで歩くことだって出来る。主にお年寄とか足腰弱い人の中には、毎日それを使ってる人もいるみたいだ。でも、あたしはそれを使う予定はなかった。別に、使っている人を批判するつもりはない。それに、一回膝を故障してしまったあたしみたいな人は、むしろ使うべきだとさえ思う。

 でも……なんかもう少しだけ頑張ってみたいって思ったから。自分の力で、行けるとこまで行ってみたいって思ったから。



 ホテルだったので、朝早く出る必要もなく、今日は九時くらいに出発した。

 レオンを出発してからは、しばらく都会の街並みが続く。空港の近くとかも通った。それでも、しばらくするとまた畑しか見えないような、牧歌的な道になった。

 本当は、ヤイコさんに言われたとおり、十キロ過ぎたあたりで今日はやめにしたかった。だけど、ちょうどいい所に町が無かったり、あっても宿がいっぱいだったりして。結局、ニ十キロも歩いてしまって、ビジャダンゴス・デル・パラモという小さな町の小さなホテルに宿泊した。

 これまでみたくアルベルゲでもよかったんだけれど……やっぱりホテル泊だと、疲れの回復度が全然違う。とりあえず、今日のところはまだ病み上がりということで、大事を取った。




★20日目★彡  ~ オスピタル・デ・オルビゴ(12km)



 今日は、ちゃんと歩く距離をコントロールして、短い距離で終わるようにした。膝は、もうだいぶ治ってきている。体調も、特に問題はない。でも、一応明日行く予定のアストルガまでは、ペースをセーブしておこう。

 なぜなら、そこから先は今までの平坦な道が終わってしまって、まただんだんアップダウンが大きくなってくるから。特に、アストルガの先にある峠は、標高がこのカミーノでの最高地点にまでなるらしい。なるべく、万全の体調で望みたい。


 今日の歩きも、特に大変と思うようなところはなかった。

 相変わらず、空は雲に覆われていて真っ白で、雨も降ったり止んだり、小雨になったりしていた。でも、ツラいと思うほどの強い雨になることはそんなになかったので、レインジャケットをこまめに着たり脱いだりして対応した。

 目的地に着いたあとは、久しぶりにホテルではなくアルベルゲに泊まることにした。そろそろ快適な一人部屋から、学生の合宿のような寿司詰め状態のベッドにも体を慣らさないといけないと思うし。なにより……お金を節約したいって思ったから。

 雨に濡れているのと、だんだん肌寒い気候になってきているので、温水シャワーと洗濯&乾燥機が使えるかどうかが、結構重要なポイントだ。とりあえず、今日泊まったアルベルゲは問題はなかった。


 途中レオンで休んだり、ペースが遅かったこともあって、同じアルベルゲにこれまでに親しくなった人の姿はなかった。

 夕食のときに一緒になった人といろいろと話したのだけど、どうやらこの辺りが、「フランス人の道」での約五百キロ地点になるらしい。全長が七百五十から八百キロくらいだから、残りは全長の約三分の一。あと、今まで歩いた距離の半分くらいを歩けば、ゴールのサンティアゴなんだ。

 そう考えると、結構歩いてきたような……。でも、まだまだあるような……。不思議な感じだった。




★21日目★彡  ~ アストルガ(16km)



 雲は晴れていないけれど、幸いなことに今日一日は雨は降らなかった。そのおかげで、歩くのも楽。単調な道をしばらく進んで数十メートル程度の丘の上に行くと、石でできた十字架が現れる。そこから見下ろせる大きな街が、今日の宿のアストルガだ。あたしは、結構な力を残してそこに到着することが出来た。


 アストルガは、レオンみたいな立派な大聖堂と、やっぱりレオンみたいにガウディの建築した建物がある。同じアルベルゲに泊まる人が誘ってくれて、夕食の前に何人かでアストルガ観光をすることになった。


 ガウディが建築したのは、この街の司教館。曲面が多くて、他の建物とは明らかに違う感じ。レオンのカサ・ボティネスと比べても、なかなかの異質感は出ていて、普通の大聖堂とか教会とか見飽き気味になっていたあたしには、いい刺激になった気がする。ちなみに、せっかく作ったこの司教館が実際に司教様の家として使われることはなかったらしい。かわいそうに。今は、巡礼の博物館になっていて、十字架とかヤコブ様の像とかが展示されていた。

 そのあと、隣にある大聖堂を見て、チョコレートが有名らしいのでチョコレートカフェでチュロスのチョコレート掛けを食べた。普通に美味しかったけど……あたしにはちょっとおしゃれ過ぎて、落ち着かなかった。


 あたしをアストルガ観光に誘ってくれたパーティーの中心人物は二人いて、一人は、世界一周をしている日本人の学生。もう一人は、その彼とカミーノの途中で知り合って友達になったっていう、オーストラリア人の若い男の人だ。オーストラリア人のほうは、旅の途中途中の風景を写真に撮っていて、カミーノが終わったら日本人と一緒に旅行記と写真集を出版するんだと言っていた。なんだかやる気に満ちてて意識が高そうで……正直、ちょっと気が合わなそうだと思った。

 彼らは、同じ観光パーティーのメンバーたちに、「どうしてカミーノを歩いているのか」って聞きまわっていた。彼らがあたしにもその質問をしてきたときに、あたしが「さあ? 特に、理由はないのかも」なんて言ったら……完全に意味不明、って感じで目を丸くしてしまった。どうやら、つまらないジョークだと思われたらしい。



 夕食も済ませて、アルベルゲに戻って一人になったとき。ちょっとだけ、そのときのことを思い返した。


 誰かに「カミーノを歩く理由」を聞かれたとき、あたしはもう、自分に嘘をついて逃げるのをやめていた。今まで言っていた「お師匠様に言われたから」なんて、ただの誤魔化しだった。

 確かに、きっかけはお師匠様にカミーノで魔法の修行をするように言われたことだけど、それを受け入れて、今ここを歩いているのは自分自身だ。だから、それは「あたし自身」のカミーノを歩く理由じゃない。

 あたしには、「あたし自身の理由」……お師匠様の命令に従ってここにいる理由が、あっていいはずなんだ。でも……実際には、そんなものはない。あたしは何も考えずに、なんの理由も持たずに、ここにいる。

 あたしにとっては、自分が今カミーノを歩いていることには何の理由も意味もない。それが、誤魔化しのない、今のあたしの真実だった。


 普通の人にとっては、そんなふうに何の理由もあてもなく長いカミーノを歩くっていうのは、奇妙な行動なのかもしれない。今日の、あたしからそれを聞いたときに驚いていた男の子たちのリアクションが、普通なんだろう。

 でも、それが事実なんだから、しょうがないじゃん。


 あたしには、カミーノを歩く自分だけの理由は、ない。ログローニョでヤイコさんに言われてからも、ずっとそれは変わっていない。もしかしたら、このままゴールのサンティアゴまで、何も理由が見つからずに歩くことになるのかもしれない。

 あと、ゴールまで二百五十キロ弱。多分、何もなければ十日くらいでゴールについてしまうのだから。



 そう……。

 カミーノは……この旅は……いつか終わるんだ。


 これまであまりにも長い間、歩いてきたせいで、その感覚がどこかに行ってしまっていた。もしかしたら、こんなふうにただただ毎日歩くだけの生活が、ずっと続くのかもしれないとさえ思ってしまっていた。

 でも、違うんだ。

 この旅は、あと十日くらいで終わる。


 そのときに、あたしの中で何かが変わったりするんだろうか……?

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