~ プエンテ・ラ・レイナ

★4日目☆彡  ~ プエンテ・ラ・レイナ(23km)



 アルベルゲを出発してから、約三時間。

 最初はずっとあたしに反発してなんかいろいろ言っていたアキちゃんも、疲れてしまったのか今は無言だ。とりあえず、隣に並んで歩いてくれているから、一緒に行くことは了解してくれたらしい。


 大都会のパンプローナを出発してしばらくは、人通りの多い大通りや、交通量の多い車道の横を通ることもあった。でも、次第に周囲の景色はピレネーを越えてロンセスバリェスを出たあたりのような、田舎の畑道に戻っていく。こういう道の方が断然カミーノっぽくって、歩きがいがあると言えばそうなんだけど……。でも、何か必要な物があったり、困ったときでも割とどうにでもなりそうだったパンプローナと比べると、ちょっと不安になっちゃうのは仕方がない。

 例えば、この辺で水も食料も尽きちゃって、おなかが空きすぎて動けなくなっちゃったらどうしよう……とか。突然野生の暴れ牛が現れて、襲われちゃったりしたら……とか。

 まあ、そうは言っても少し歩けばすぐに休憩できるくらいの小さな町が現れるし。そもそも世界的に有名なカミーノのルート上にいる限りは、前にも後ろにも途切れることなく自分と同じような巡礼者が歩いているんだ。何かあっても、最悪事情を話して助けを求めれば、何とかなりそうではあるんだけどね。



 パンプローナで別れたヒジュちゃんたちのこと……一度も考えなかったと言えば、嘘になる。

 実際のところは、彼女たちがあたしを必要としてくれたのは、スペイン語通訳としての役割が一番の理由だったのかもしれないけど。それでも、あたしはそんな彼女たちと別れて、アキちゃんと一緒に行くことを選んだ。パンプローナを先に出発してしまったヒジュちゃんたちとは、多分もう会うことはないだろう。元気があって、どんどん先に進んで行けそうな彼女たちのことだ。歩く速度はあたしたちよりもずっと速いだろうから。

 でも……。

 あたしは、あれから何度もあのときの自分の選択を思い返してしまうのに……不思議と、後悔のような気持ちはあまりなかった。



 見渡す限りの畑を両側に見ながら、黙々と進んでいく。強い日差しを遮るものは何もなくて、日焼け止めが意味ないんじゃないかってくらい、汗がドバドバ流れ出ている。これは、一か月くらいあとにサンティアゴにゴールするころには、肌が真っ黒になっていそうだ。まあ、スペイン人女子としては、健康的でそれもアリかな。

 っていうか、むしろ大変なのはエルフのアキちゃんのほうかも。いつもは森の中とかそんなに日差しが強くないところにいたから綺麗な美白を保てたんだろうけど……カミーノはそんなに甘くない。パンプローナまで何の対策もしてこなったせいで、実は初日の雪のように真っ白だった彼女の肌は、ちょっと赤く炎症を起こしかけていた。

 一応、あたしが持ってきていた軟膏を塗ったり、通気性のいい長袖シャツとタイツを着せてなるべく日陰で休むようにしていたから、そのうち改善するとは思うんだけど。


 やがて、カミーノは小高い丘に向かって登っていくような、坂道になった。久しぶりの長い上り坂なうえに、いたるところに巨大な風力発電用の風車があるくらいに風も結構強くて、ちょっとへこたれそうになる。

「ひいぃ……ひいぃ…………ん?」

 情けない声をあげながら、それでもなんとか進んでいくと……あたしたちの先を進んでいた巡礼者たちが、広場のような場所で集まっているのが見えた。


 だいぶ上ってきた分、そこはとても開けていて見晴らしがよかった。今まで上ってきた道も、これから進んでいく先に広がる平野も、ずっと先のほうまで見渡すことが出来るパノラマビューだ。でも、他の人たちがそこに集まっているのは、それだけが理由じゃなかった。


「あ、これ! ネットで見たやつだ!」

 巡礼者たちがいる場所に視線を向けたあたしは、思わずそんな言葉を叫んでしまっていた。


 そこはペルドン峠という場所で、峠のてっぺんの広場に、鉄製の巡礼者の像がたくさん作られている。巡礼者たちの中ではかなり有名な場所で、カミーノ巡礼の象徴みたいな感じで、ガイドブックの表紙とかにも使われたりする。

 鉄は風雨にさらされてすっかり黄土色に錆ついちゃってるんだけど、それが逆に、いい感じの味を出している。ヤイコさんの故郷の日本なら、「ワビサビ」なんて表現するんじゃないかな? 知らないけど。まあ要するに、なかなか写真フォト映えするジェニックな場所だったってわけ。

 像にはいくつか種類があって、徒歩でカミーノを歩いている姿だけじゃなく、馬とかロバに乗っている巡礼者の姿とか、犬を連れている人の姿もある。昔は、そういう巡礼者もいたってことらしい。先に到着していた何人かの巡礼者の人が、その像に並んで、同じポーズをして記念撮影とかしていた。

 あたしも背負っていた登山バッグをその辺に投げ出しちゃって、その鉄の像に駆け寄る。

「いいじゃん、いいじゃん! いかにも、カミーノって感じ! アキちゃん、写真とってー⁉」

 でも……。

「……って、あれ?」

 アキちゃんには、そのときのあたしの声は聞こえなかったみたいだ。あたしの後を歩いていたはずの彼女は、いつの間にかその鉄の像の一つの隣にいて、難しい顔をしていた。

「…………」

「え、えーっと……どうしたの? アキちゃん?」

「……ちょっと、静かに」

「え? あ、う、うん」

 その鉄の像に触って、ゆっくりと目を閉じるアキちゃん。すると、それまでも割と強かった峠の風が、その瞬間にひときわ強く吹き抜けていった。

「う、うわっ!」

 吹き飛ばされそうになって、思わず声をあげしまう。

 周囲の巡礼者たちがバッグに縛り付けていたキーホルダーや、聖ヤコブを象徴するホタテ貝が、音を立てて揺れている。かぶっていた帽子を落としてしまった人もいたみたいだ。


「ふう……」

 そんな中、小さくため息をついてから、アキちゃんは目を開ける。どうやら、彼女は目的を果たしたってことらしい。

「えっと……今のは、何をしたの?」

「別に……」

 と、一旦はあたしの質問をはぐらかそうとするアキちゃん。でも、途中で思い直したのか、

「まあ……チカには言っておいてもいいかもしれないわね」

 と言って、説明をしてくれた。


「今のは、この土地の風の精霊と、交信をしていたの」

「え? 風の……精霊?」

「ええ。ワタシたちハイエルフは、人間たちからは森の妖精なんて呼ばれているみたいだけど……その実態は、この世界の自然を管理する責任者……あるいは、この世界を構成する精霊という無数の部品の、保守点検係のような役割をしているのよ」

「そう言われちゃうと、だいぶ事務的な感じだね……」

「自然システムの一部品である精霊は、寿命とかいろいろな原因で、ときどき不具合を起こすことがあるわ。もしもそうなると、その地域では異常気象とか天変地異とかが起こったりして、問題が発生する。だから、そうなる前に各地の精霊を点検して不具合がある場合には対処する必要があるの。だいたい百年に一度くらいにハイエルフの担当者がこの世界にやってきて、直接その土地に住む精霊たちから聞き取り調査をして、不具合がないか調べないといけないのよ」

「それが、さっきアキちゃんがやってたこと……ってこと? つまりアキちゃんは、この世界の精霊に不具合がないか確かめるために、カミーノを歩いているってこと?」

「そうよ」

 淡々と語るアキちゃん。その表情は真剣そのもので、重大な仕事を任されている一人の職人のような、責任感を感じた。

「このカミーノっていう道は、人間の世界の中でも特に大きな意味を持った道だと聞いているわ。そのせいで、一年中常にたくさんの人間が行き来していて、思いのエネルギーが滞留しやすくなっているの。しかも、その割には自然もそれほど破壊されずに多く残っていて、道の途中にいろいろな精霊が集まりやすい構造になっているのね」

「そっ、か……」


 どうして、カミーノを歩いているの?


 それは、この道を歩く巡礼者たちにとって、「よい旅を!ブエン・カミーノ」と同じくらいにポピュラーな、挨拶みたいな言葉だ。今までも、アルベルゲで隣のベッドになった人とか、レストランで同じテーブルを囲んだ巡礼者たちが、あたしにその質問をしてきた。この前のヒジュちゃんだって、アキちゃんにカメラを向けたインタビューの中で、真っ先にそれを聞いていた。もちろん、あのあと彼女は、あたしにもその質問をした。

 その質問を向けられるたびに、あたしは最初のロンセスバリェスの夕食のときのように、「魔女の修行で……」という話をしていたわけだけど……。


 でも、今考えてみると、逆にあたしのほうからアキちゃんにカミーノを歩いている理由を聞くことはなかったと思う。多分それは、あたしとまともに会話をしてくれない彼女にそんなことを聞いても、意味がないと思っていたから、ではあるんだけど……。

 と、とにかく。あたしは今日ようやく、その、カミーノを歩くうえであまりにも基本的な質問の答えをアキちゃんから聞くことが出来たのだった。


「まあ別に、それを話したからと言って、チカに手伝えなんて言うつもりはないわよ? 基本的には、アナタたち人間が『フランス人の道』と呼んでいるこのルートが一番歩きやすいらしいから、ワタシもその道を行くことにはなると思うけれど……。アナタはアナタで、この道を歩く理由があるわけなのでしょう? だったら、アナタは別にワタシを気にせずに置いて先に進んでも……」

 突然、気まずそうな表情で、いつもとは別人のようにそんな殊勝なことを言うアキちゃん。そんな彼女の気持ちが嬉しくて、彼女を励ますように、あたしは言ってあげた。


 安心して。別にあたし、アキちゃんの仕事を面倒だなんて思わないよ? むしろ、せっかく一緒に歩くんだから、あたしに手伝えることがあるなら遠慮なく言ってね⁉

「普段さんざん面倒くさいこと言ってるくせに、何言ってるの? 面倒くさい性格のアキちゃんの相手することに比べたら、その仕事手伝ってた方が、五百倍楽だよ?」

「な、なんですってっ⁉」

「あ、本音と建て前間違えた」

「ちょ、ちょっとチカっ! 今の、聞き捨てならないわよっ⁉ このワタシを捕まえて、面倒くさい性格って、どういうことなのよっ⁉」

「いや、どういうことも何も……その言葉の通りなんですけど? っていうか、今まさに、面倒くさい性格が存分に発揮されてると思うんですけど?」

「ふ、ふざけんじゃねーですわよっ! せ、せっかくこの高貴で気高いハイエルフのが、人間ごときのアナタに、歩みよってあげたっていうのに……!」

「へー。それはそれは、どうもありがとう。……でも、本当に高貴で気高い人は、多分自分からウ○コとか言わないと思うけどなー?」

「そ、それは昨日、チカたちが下品な話題を振るから、仕方なくでしょうがーっ!」



 そんなふうに、有名スポットでも通常運転でバカ騒ぎしていたあたしたちは……それからペルドン峠を出発して、その日の目的地のプエンテ・ラ・レイナという町に到着した。

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