レオン②

「いっやー、ホントお世話になりましたっ! 今日は、あたしがおごっちゃうんで、好きなだけワインでもビールでも飲んでくださいっ!」


 レオンの街の中心地にある、ちょっとおしゃれなレストラン。

 あたしとヤイコさんがいるテーブルには、豚の丸焼き、スモーク燻製チョリソソーセージなどの肉を中心にした豪華な料理と、無数のワインボトルが並んでいる。

 これまでなら、こんな感じの料理を前に際限なく飲み食いしようとするヤイコさんを、あたしたちが止める役目だった。でも今日に関しては、あたしのほうからヤイコさんを接待するためにやっていることだ。

 だって彼女は、あたしの恩人なんだから。



 ヤイコさんが連れて行ってくれた病院の診断結果は……。

 まず膝の痛みや熱は、単純に、毎日酷使し過ぎたことによる炎症らしい。治すのに一番いいのは、膝を使わないで安静にしておくことらしいけど……さすがレオンの病院だけあってカミーノへの理解もある。「これからも歩くつもりなら、せめて一日の移動距離は減らすこと。頻繁に休憩を入れながら、十キロ以下くらいが目安。三十キロ以上とかあり得ないからね」っていう話だった。

 それから、それ以外の体調不良や意識がもうろうとしたことについては、栄養不足からくる軽い風邪みたいな状態なんじゃないかって言われてしまった。

 確かに、最近レストランとかバルで外食することが少なくなって、食事を適当に済ませることが多かった。そんな状態で、毎日三十キロ以上歩いて疲労がたまっていて、しかも雨にもうたれちゃったりして、抵抗力が相当下がっていたみたいだ。

 病院で点滴を打ってもらって、処方してもらったビタミン剤を飲んだら、万全とは言えないけど結構楽になった。


「ホントに……これ以上、無理しないでよー? とりあえず、明日は絶対安静。明後日以降も、十キロ以上は歩いちゃダメだからね⁉」

「はい! それはもちろん! お医者様のいいつけは守ります!」

「ほんとに、頼むよ? ……まさかチカちゃんがこんな命知らずだとは、思わなかったよ! 私わ!」

「へへへー、すいませーん!」



 まさか、いつもいい加減なあのヤイコさんに説教される日がくるなんて思ってなかったけど……でも、彼女が言っているのは、完全に正論だ。

 このところのあたしは、どう考えても歩き過ぎていた。

 思い荷物を背負って、一日四十キロ近くを何日も……なんて。ただでさえ、今まで毎日長時間歩いてきて、膝へのダメージは蓄積されていただろうに。もっと致命的な故障をしちゃって、サンティアゴに着く前にここでリタイヤ、なんてことになっててもおかしくなかった。いつか聞いた、ヤイコさんの知り合いの人みたいに……。

 今回のあたしは、運が良かっただけだ。

 それが分かっているからこそ……あたしは、わざとバカみたいな態度でおどけて、この場の空気を悪くさせないようにつとめていた。

 そしてヤイコさんも多分、そんなあたしの本心に、気づいているみたいだった。



「それにしてもさ……」

 テーブルにあった無数のワインをあらかた空けてしまって、新しいものを同じ数くらい注文してから――おいマジか、この人……――、ヤイコさんは少し雰囲気を変えた。

「ほんとに……あのチカちゃんが、こんなに必死にカミーノを歩くようになるなんてね。ちょっと意外だよ」

「だ、だから明日からはもっとセーブして歩きますって!」

「いや、そうじゃなくって……」

 テーブルに肘をついて、からかうように上目遣いであたしを見ながら、ヤイコさんは続ける。

「これまでのチカちゃんってー……無難っていうか、用心深いっていうか。お調子者のくせに、変なところで優等生っていうかさ。失敗しないように失敗しないようにって、必要以上に慎重だった気がするんだよねー?」

「そ、そうかも……しれませんね」

「でも、こんな冒険とかする人だったんだね?」

「う……」


 確かに。

 今までのあたしは、あんまり考えなしに行動することって、少なかった気がする。

 このカミーノのことについて、ネットとかガイドブックとかで出来る限りいろいろと調べて、石橋を叩きまくってから来た。だから、ロンセスバリェスでも、その先でも。あたしは、あんまり戸惑ったりすることは少なかったんだ。

 でも、このところのあたしは、そうじゃなかった。

 一日の移動距離の目安とか。アルベルゲの場所とか。道中の栄養補給とか。そういう、ちゃんと事前に調べてきたことを、完全に無視してしまっていた。

  むしろそれどころか……それらが忠告していたことをあえて破ってでも、とにかく距離を稼ごうとしてきた気がする。それが、どれだけ無茶なことだとしても。


「どういう風の吹き回し? 何か、心境の変化があったん?」

「……」

 今、彼女が思っていることは、言われなくても分かる。

 だって、明らかに今のあたしには、これまでと違うことがあるんだから。

「もしかしてそれって……ここにアキちゃんがいないことと、何か関係ある?」

「……はい」

 やっぱりヤイコさんは、アキちゃんのことに気付いていたようだ。この人、いつもはただの酔っ払いにしか見えないのに、いざってところで勘が鋭いんだよね。

「実は……」

 隠していても、きっとほとんどのことはお見通しなんだろう。

 あたしは、ヤイコさんにここまでにあったことを話した。


 ブルゴスで会った、アミーナさんのこと。

 彼女の自殺を止めようとして、あたしには何も出来なったこと。そこを、アキちゃんに助けてもらったこと。

 ……そして、その彼女が別の道を進むと言って、それが無性にイライラして、あたり散らしてしまったこと。そのせいで、彼女と別行動になってしまったことを。


 アキちゃんと別れてから、レオンの近くで倒れるまで。たった一人で、周囲に何もない乾燥の台地メセタの道を歩いている間、あたしはずっとそのことを考えてしまっていた。


 カミーノでは、ブルゴスのあたりからこのレオンまでの道のことを、別名「精神の道」と呼ぶ。

 起伏がなくて、つまらない道を歩いている間、巡礼者は自分の頭の中でもう一つの旅をする。抱えている悩みに向き合ったり、あるいは、まだ自分自身でも気づいていなかったような精神的な発見をする。

 だから……あたしも歩いている間ずっと、アキちゃんとのことを考えていた。

 考えないつもりだったけど。別のことを考えて、誤魔化していたつもりだったけど。それでも、心の奥で考えてしまっていた。


「多分あたし……アキちゃんに、嫉妬してたんだと思います」

 何日かをかけて考え事を繰り返した結果、あたしの頭はスッキリと整理されていて、あのときの自分の気持ちをちゃんと言語化することが出来るようになっていた。


「ほら、いつかヤイコさん言ってたじゃないですか? アキちゃんには、カミーノを歩く『自分だけの理由』があるのに、あたしにはない、って。……あれ、結構図星だったんですよね。あたしは、魔女の師匠様に言われてこのカミーノに来ただけで、『自分だけの理由』なんてないんです。だから、それを持ってるアキちゃんがうらやましくて、憧れて…………でも同時に、嫉妬してたんです。カミーノのこと何も知らなくて、全部あたし任せのくせに……。その割に、あたしよりもいろいろなことがうまくできて、『自分だけの理由』を持っている、彼女に……」

「なるほどね」


 あたしは、カミーノに来る前にいろいろと準備をして、下調べもしてきた。でも……『自分だけの理由』は持っていなかった。

 反対にアキちゃんは、何にも知らない世間知らずのくせに……カミーノを歩く理由だけは、あたしよりもしっかりと持っていた。

 それが、あのときあたしがイライラした理由だ。


 最初に、ロンセスバリェスで困っていた彼女を助けたとき。

 あたしは、彼女に憧れを持っていた。カミーノを歩く理由を持っているらしい彼女に憧れて……そんな彼女を、何も持たない自分なんかが助けられるかもしれない。助けられたらいいな、って。そう思ったら、体が勝手に動いていた。

 ヒジュちゃんに誘われたときに、彼女について行かずにアキちゃんを選んだのも、同じ理由だ。自分の持っていないものを持っているけど、どっか抜けてて世間知らずな彼女だったら、こんな自分でも助けてあげることができる。彼女の隣なら、自分の居場所があるって思ったんだ。


 だから……。

 アキちゃんが、だんだんフェリシーさんやアミーナさんと親しくなっていったとき。彼女が、今までとは違う道を進むことを自分一人で決めてしまったとき。あたしは、彼女に見捨てられたような気がしてしまったんだ。

 今まで、自分では何もできなかったはずの彼女が、ついに一人で進む道を選ぶことが出来るようになってしまった。もう、あたしの手を必要としなくなってしまった。あたしじゃなくて、彼女と同じようにしっかりと『理由』を持ったフェリシーさんと行くことを選んだんだと思った。『歩く理由』を持たないあたしなんか切り捨てて、彼女が別の人を選んでしまったと思ったんだ。

 幼いあたしを捨てた、あたしの両親のように。

 それがまた、あのときのあたしをイライラさせて……。


 そこで、

「チカちゃんは、頭のいい娘だね」

 ヤイコさんがそう言って、テーブルの上のカヴァスパークリングワインを一気飲みした。

 そして、しっかりとあたしの目を見つめてから、さらにこう続けた。

「頭が良くて……ずるい娘だね」

「え……」

 思っても見なかった言葉を言われて、絶句してしまう。

 だから、ヤイコさんが立ち上がってレストランの出口に向かって行ったことにも、すぐに反応できなかった。


「ちょ、ちょっと……ヤイコさん?」

 彼女は、追いかけようとするあたしに、振り向かずに軽く手を振りながら、

「明日は丸一日、足を休ませるためにレオン観光でしょ? その間……もうちょっとだけそのことについて考えてみたら? ここはまだ、『精神の道』の上なんだからさ」

 と言って、そのままそのレストランを出て行ってしまった。

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