~ レオン①

★17日目★彡  ~ レオン(38km?)



 昨日の雨は、あのあと途中でやんだり、また降り出したりして、結局アルベルゲにチェックインするまで防水ジャケットを脱ぐことは出来なかった。

 そして……どうも空を見る限り、今日の天気も引き続きそんな感じっぽい。

 相変わらず、朝は少し寒さを感じるくらいの気温で、アルベルゲのベッドにひいた寝袋から出るのが時間がかかってしまう。気圧がいつもよりも一層低いからか、膝の痛みも、ひどくなっている気がする。


 同じアルベルゲに泊まった人の中には、「今日は無理に歩かずに、この辺でもう一泊しようかな」なんて話している人もいた。でもあたしからしたら、今いるエル・ブルゴ・ラネロなんてド田舎にもう一泊するのは、正直あり得ない。そもそも、昨日も同じような天気で普通に歩けたのに、今日歩かない理由もない。

 なので、普通にいつも通り七時くらいには、防水ジャケットを着てアルベルゲを出発した。



 途中、同じように雨の中を強行している若い男の子の巡礼者が、あたしに話しかけてきた。アジア系の顔で、英語も上手だったからもしかして……と思ったけど、やっぱり韓国人だった。

 パンプローナで会ったヒジュちゃんと歳もそんなに変わらなそうだったので、彼女を知っているかと聞いてみたけど、名前を言ってもあんまりピンときてない感じだった。でも、動画をとってユーチューブに上げている二人組って言ったら、そこで分かったらしく、自分も彼女のチャンネルに登録している、と教えてくれた。


 あたしは、エステーリャで料理を作ったとき以来、彼女たちの動画は見ていない。でも毎日動画を見ているその韓国人の彼に聞いたところ、ヒジュちゃんたちは昨日カストロヘリスあたりを出発したので、あたしたちからは二、三日分くらい遅れたところを歩いているんじゃないかってことだった。

 パンプローナで別れたときは、彼女たちのほうが先に出発したはずなのに、どうしてそんなに差がついてしまったのか不思議だったけど……。ヒジュちゃんたちは、カミーノの途中で面白い物を見つけると、それを動画内で掘り下げたり、近くの人にインタビューをとったりしているそうなので、そのせいで、あんまり一日の距離が稼げていないんだろう。

 ちなみに、ヒジュちゃんたちが動画で紹介してる「面白い物」って何? って聞いたら、それは例えば……。

 道端の何もない草原に突然現れる、枯れ木を組み合わせて作られた無数の十字架とか。道標モホンを模して作られた、近くのバルへと誘導するダミーモホンの、茶目っ気のある文面とか。道の真ん中に小石を使って書いてある進行方向の矢印……と見せかけた、後ろを歩く巡礼者に向けたラブレターとか、そういうのらしい。


 確かに、そういうカミーノ特有の面白い光景は、あたしもここまでにときどき見てきた。そういうのを探して動画にするっていうのも、面白そうだ。


 ……それなら。

 例えばあたしが、今日からこの辺のどこかで二、三日泊まってしまって……後からきたヒジュちゃんたちと合流したりしたら?

 あのときのヒジュちゃんの誘いは、まだ生きているんだろうか?

 あたしが「やっぱり一緒に行っていい?」って言ったら、彼女はあたしを仲間にいれてくれるだろうか?



 いや……。

 そこで、あたしは続きを考えるのをやめた。

 

 もしかしたら……というか、ほぼ間違いなく。ヒジュちゃんは、あたしを歓迎してくれるだろう。明るくて、細かいことを気にしなそうな彼女なら、あたしが一度誘いを断ったことを、恨んでいたりはしないだろう。


 でも……。

 それじゃあ、今のあたし……寂しいみたいじゃん。一人でいるのが寂しくて……誰でもいいから仲間を探してるみたいじゃん。


 それに気づいてしまったから、それ以降はヒジュちゃんのことを考えるのはやめにした。

 その韓国人の彼とも、適当な理由をつけて別れてしまって、あたしはまた一人に戻ってカミーノを歩いた。




 ★★★★★★★★★★




 そして……それは、とうとうやってきてしまった。


「う……っ!」

 膝に、激痛が走る。


 その痛みは、今突然なったものじゃない。

 急にひどくなったり、一瞬収まったりしていたけれど……あたしは今までずっと、その痛みを感じていた。でも、自分で自分を誤魔化して、気づかない振りをしてきたんだ。

 その慢性的な膝の痛みが、ついに限界を迎えてしまった。


 歩くどころか、立っているのもツラい。

 さすろうとして膝を手で触ると、ものすごい熱を持っているのが分かる。改めて見ると、少し腫れているようだ。


 ど、どうしよう……。


 レオンまではあと数キロだけど、もうとてもそこまで歩けそうもない。

 とりあえず、十メートルくらい先にある木の下まで移動して、休憩したい。でも、そこまで足を動かすことすら出来ない。

 疲れているわけじゃないのに、マラソンを走ったあとのように呼吸が荒くなっている。寒気もする。


 あたしは我慢できなくなって、道の真ん中に座り込んでしまった。


 ゆっくりと膝を伸ばすと、それでも少しは楽になる気がする。このままもう少し待っていれば、この痛みが引くかもしれない。その瞬間を狙って、近くの町まで移動できれば……。

 幸い、ここは巡礼者しか通らない歩道。今は午後の四時を回っていて、普通の巡礼者なら、もうどこかのアルベルゲにチェックインしている時間だ。だから、ここでしばらくこうしていても、誰にも迷惑はかからないはず……。


 いや……。

 最悪なことに、さっきまで止んでいた雨が、そこでまたポツポツと降り始めた。

 

 防水ジャケットは朝からずっと脱がずにいたけれど、それでも、降り注ぐ水分が体温を奪っていくのまでは防げない。しかも、今は地面に座り込んでいるせいで、体の下からもどんどん水がしみ込んでくる。

 やっぱり、せめて木の下に……。

 手を使って這うようにして、体を移動させる。雨はどんどん強くなってきて、あたしを上から押さえつけているような気さえしてくる。もう、荷物を持つ力さえ残っていない。バッグはその場に置いてしまって、少しでも身軽になって進む。


 あと、もう少し……もう少しで、木の下に行ける。そうすれば、雨宿り出来るし……雨が止んだら、また歩き出して……。



 でも、何のために……?

 あたしには、カミーノを歩かなくちゃいけない理由なんて、ないのに……。

 心の中で、そんなネガティブな言葉が聞こえてくる。

 それは、数日前に他人から言われた言葉。そして、そのときから今までずっと、反論出来ずにいる言葉だ。


 だったら、ここで諦めても……。


 心が折れかけているから、それが体にも表れてきてしまったのか……そのうち、体を動かす手の力まで無くなってくる。

 全身が脱力して、視界がおぼつかなくなってくる。


 もう、いっか……。

 どうせ、あたしが歩いても歩かなくても、何も変わらないんだから……。


 そしてあたしは、その場に横になってしまった。あたしの体に、雨は遠慮なく降り続けていく。それがまるで、温かい毛布に包まれているような気がして……あたしは目をつむって、意識を手放し始めていた。


 



 それからしばらくして……あいまいになった意識に、聞きおぼえのある声が届いてきた。

「……チカちゃん⁉ こ、こんなところで、何してるのっ⁉ ……ね、熱があるじゃないっ! ああもう、信じられないっ! こんな状態で歩くなんて!」


 それから。


 偶然その道を通りかかった自転車巡礼のヤイコさんに連絡してもらって、あたしはタクシーでレオンの病院に運ばれていた。

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