~ スビリ
★2日目☆彡 ~ スビリ(21km)
初日のピレネーの峠道に比べると、ロンセスバリェスからパンプローナまでの道のりは、だいぶ優しくなる。
道は基本的に下りで、厳しい上り坂はない。途中途中で小さな町が点在しているから、水や食料の心配もいらない。一日でパンプローナまで歩き切るのは距離的に厳しいから、途中のスビリっていう町あたりで一泊するのが一般的な行程だ。結果的に、一日当たりの移動距離も少なくてすむ。
それはまるで、初日のピレネー越えで疲弊した巡礼者たちに、カミーノに宿る何か大きな存在が気を遣ってくれているような……そんな地理構成に思えた。
そんな中を……、
「…………」
「ア、アキちゃんって、どうしてカミーノに来たの? あたしは、魔法使いの修行で、お師匠様に言われて来たんだけど……」
「…………」
「あ、朝ごはん食べてないよね? 非常用に何個かスナック買ってあるんだけど、良かったら……」
「…………」
「うう……」
あたしは、無言のアキちゃんと一緒に歩いていた。
今は集落と集落の間。左右に牛が放し飼いされている牧草地が広がり、その真ん中を白い砂利道が伸びている。周囲には大きな建物はなくて、爽やかな快晴の青空が、ひと際大きく見える。本当なら、駆け出したくなるような気持ちのよさを感じる牧歌的な風景……なのに。
「はあ……」
ロンセスバリェスを出発してから、ずっとあたしを敵視して無言で睨んでいるアキちゃんのせいで、あたしの気持ちは秋の曇り空のようにどんよりとしていた。
ったく……ヤイコさんもひどいよね。
こんなめんどくさい娘をあたしに押し付けて、勝手に行っちゃうんだもん。
なーにが、「私たちは、同じ道を歩いていけると思ったのになあ」……だよ! 自分は自転車巡礼なんだから、もとから歩きのあたしと一緒になんか、行けっこないじゃんっ! 最初からそんなの分かってたはずなのに、調子いいこと言っちゃってさっ!
し、し、し、しかも、あたしとこの娘が、「お似合いのカップル」とか……。
バ、バッカじゃねーのっ⁉ 全然、お似合いじゃねーよっ! 微塵もお似合いじゃねーよっ! むしろ相性最悪の、犬猿の仲だよっ!
相性悪すぎて……マンガとかアニメだと逆に、最終的に親友になっちゃうくらいの仲だよっ! 十年くらいたったあとに夜のバーとかで偶然再会して、「ま、あのころはお互いいろいろ言っちゃったけどさ……今思うと、いい思い出だよね?」とか言って、楽しくお酒が飲めちゃうくらいの……。
「……なーにニヤニヤしてますのよ? 気持ちわりーですわね!」
「う……」
そこであたしは、妄想の世界から現実に引き戻された。
「どうせまた、今朝みたいな変態じみたことを考えてたんですわ! まったく、これだから人間は……」
「へ、へ、変態じみたこととか、考えてないですーっ! これからの道順を、頭の中でおさらいしてたんですーっ!」
「絶対ウソですわ。……汚らわしいっ!」
きぃぃぃーっ! 無いわっ! やっぱ無いっ!
こんな、ようやく喋ったかと思ったら、バチバチに人間のこと見下してくる娘と一緒に行くなんて、あたし絶対無理だわっ! 十年後どころか、一生分かり合えるわけないよっ! 五十キロ先のパンプローナなんて待たずに、今すぐ置いていっちゃうんだからっ!
あたしは自分の妄想癖を棚に上げて、エルフのアキちゃんに対してそんなことを考えていた。
と、そのとき。
「ねえ……? ねえ、ちょっと?」
背後のアキちゃんがあたしに、何かを呼びかけてくる。さっきの口論が残っているあたしは、無駄に乱暴な態度で応える。
「な、何っ⁉ あたし、もう変なことなんか考えてないからねっ⁉」
振り返ってみるとアキちゃんは、彼女を睨みつけるあたしとは別の方向を向きながら、こんなことを言った。
「そっち……道、間違ってねーですの?」
「ああんっ⁉ ……え?」
アキちゃんの向いている先には……腰の高さくらいの、直方体の石のオブジェがあった。そのオブジェの側面には、黄色いホタテ貝のマークと、今あたしが進もうとしていた方向とは「逆」を指している、黄色い矢印が描いてあった。
「あ、あー……」
それは『モホン』と呼ばれるシンボルで、巡礼路に点々と配置されている道しるべみたいなものだ。基本的には最終目的地のサンティアゴまでずっと続いていて、そのモホンの矢印が指す方向に進んでいけば、あたしたち巡礼者は道に迷わずに先に進むことが出来る。これまでの道でも、あたしはそれと同じようなものをたくさん目にしてきた。
そのモホンが、今あたしが進もうとしている道とは、別の道を指している。ということは…………まあ、つまりそういうことだ。
アキちゃんは、考えごとをするように
「なんかよく分かんねーですけど……。今まではずっと、あの石の矢印が指してるのと同じほうの道を進んでた気がしますわ。あっちじゃなくっていーんですの?」
「あー……えとー……」
どうも、さっきの口論に没頭しているうちに、あたしはそのモホンを見過ごしちゃっていたらしい。何か誤魔化すことは出来ないかと思ったけど……結局は、間違いを認めるしかなかった。
「はい、あっちです……」
「やっぱりね!」
満足そうにうなづくアキちゃん。
カミーノのことを全然知らないっぽい彼女に、かなり基本的なことを指摘されて、そうとう気まずい気分になる。しかも、さっきなんてあたし、彼女のことを置いて行こうとか思ってたのに……。
「あ、ありが……」
でも、アキちゃんはそんなの全然気にしてなさそうで、
「それにしても……ふんっ。だっせーデザインですわね!」
なんて言って、いつものバカにするような態度になった。
「道しるべのマークとして、黄色いホタテ貝を選ぶなんて! ワタシには、とても理解できない感性ですわ! まあ、醜い人間にはお似合いですけれどね!」
「は、はは……」
大昔のカミーノ巡礼者は、道中の湧き水を飲むための容器としてよくホタテ貝の貝殻を使っていたらしく、それにちなんでホタテ貝はサンティアゴを目指す巡礼者にとってのトレードマークみたいなものになっている。あたしも含めたカミーノを歩く人のほとんどが、本物のホタテ貝を使った飾りとか、そのマークが入ったグッズを持ち歩いているくらいだ。
そんな歴史と実績のあるホタテ貝のマークを、「だっせー」と切り捨てるアキちゃんに、ヒヤヒヤせずにはいられないあたしだった。
やがてあたしたちは牧草地を抜け一面の小麦畑を通って、ビスカレトという町に到着した。トイレ休憩がてら、小さな町の
「わー、『
店の前にパラソルとイスとテーブルを並べただけの、簡易なテラス席。
あたしの方はすぐに注文を即決しちゃったけど、一方のアキちゃんは、メニュー表も見ずにそっぽを向いてしまっている。
「……べつに。ワタシは、要らないわ。勝手にアンタだけ食べれば?」
「あ、あれ? もしかしてアキちゃん、まだお腹空いてなかった? あたしが勧めたスナックも食べてなかったけど……いつの間にか、何か食べちゃってたり?」
「べ、別に……ちげーですわっ!」
「え、じゃあなんで……」
「だ、だってフライドポークって……豚のことでしょうっ⁉ 動物を殺してその肉を食うだなんて……そんなの、いやしいケダモノの発想ですわっ! 気高いハイエルフのワタシは、そんな残酷で汚らわしい料理なんか、絶対に……」
「あ、そっか」
めんどくさい性格が強すぎて忘れがちだったけど、アキちゃんは、森の妖精のエルフちゃんだったんだ。あたしはエルフのことをそんなに詳しいわけじゃないけど、よく聞く話だと、エルフって確かベジタリアンなんだよね?
そりゃあ、あたしがジャンクなスナック勧めても、食べないはずだよ。
「そうだよね、気づかなくってゴメン。じゃあ、お肉を使わない料理があるか聞いてみるね? 多分、いろんな国の巡礼者が来てるはずだから、ベジタリアンメニューだって普通にあるはずで…………って、あれ?」
そこであたしは、不平を言っていたはずのアキちゃんの視線が向いてる方向に気づいて、絶句してしまった。「動物の肉なんて食べない」って言ってるベジタリアンのはずの彼女がずっと見ていたのは…………隣の席の客が食べている巡礼者定食の肉料理だったんだから。
「え、えーっと、アキちゃん……?」
「や、野蛮だわっ! あ、あんな風に……豚の死骸をニンニクと一緒に火炙りにして、さまざまな香辛料で香ばしく味付けするなんて! そのうえあろうことか……レモン汁とみじん切りのパセリで臭みをとって、爽やかさまで演出するなんて! ああ、ほら! 見てごらんなさいなっ⁉ 高温で手際よく調理することで、外はカリカリなのに中は柔らかくて、噛みついた途端にあんなにジューシーな肉汁がしみだしてきて……。ま、まったく! 人間って生き物は、どうしてこんなにも残酷なことが出来るのかしらっ⁉ これじゃあ、あの豚があまりにも美味しそ……い、いえ! かわいそうじゃないのっ! ワタシは絶対にあんな料理、食べませんわっ! ぜ、絶対に、絶対に、た、食べるわけがねーですわっ!」
そう言った直後、小さくアキちゃんのお腹の音が鳴った。
「は、ははは……」
相変わらずのめんどくささを爆発させている彼女に、「もういっそこのまま放っとこうかな」とも思ったけど……このあとの道で空腹で倒れられても困るし。結局は、彼女と自分の分の巡礼者定食二つを注文した。
「だ、だからワタシは、人間の作ったもんなんて食べねーってさっきから言って…………で、でも、残すのはもっとかわいそうですものねっ⁉ こんな残酷な料理にされてしまった豚さんが、浮かばれませんものね⁉ し、仕方ありませんわねっ! 嫌々ですけど……本当は無理なんですけど……と、特別に、食べてあげなくもなく……パクッ……んんんーっ!」
それまでグチグチと文句を言い続けていたのに、運ばれてきたフライドポークを一かけら口にするなり、綺麗な顔をクシャクシャにして、声にならない歓喜の悲鳴をあげるアキちゃん。相当美味しかったってことらしい。……だったら、最初から普通に食べればいいのに。結局彼女はポークはもちろん、デザートのチョコレートケーキと一緒についてきたワイン一瓶も含めて、完璧に完食していた。
本やネットで得た知識とは違って、最近はエルフの食べ物の嗜好も変わってきているらしいことを知って、あたしは少し驚いていた。
真っ白な壁に赤い屋根の家。それぞれの家の木製のバルコニーには、真っ赤な花を咲かせたプランターが並んでいて、白、黄色、青なんかのカラフルな蝶々がとまっている。さんさんと降り注ぐスペインらしい明るい日差しが、それらの色味をさらに強くして、コントラストを上げている。まるで、絵本の中みたいだ。
そんな現実離れしたほどに可愛らしい風景を見ながら、のんびりと食事にありついている今のあたしたちは……巡礼者という言葉が持つストイックな雰囲気からは、だいぶ遠いところにいる気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます