ロンセスバリェス④

 次の日の朝、あたしが目を覚ますと……目の前に、金髪の美少女が眠っていた。


 ……え?

 え? え? え?


 な、なんだこれ? どういうこと?

 朝起きたら、こんな、密着するくらいの近距離に眠れる美少女がいるとか……。え? もしかしてあたし、いつの間にかラブコメの主人公になっちゃったの?

 「血のつながらない妹」とか「近所に住む幼馴染」とかが、ひょんなことからあたしのベッドにもぐりこんじゃった……とか、そういう展開?

 い、いやあ……違うよね? だって確かあたし、今はカミーノを歩いている途中で…………あ。

 あー……。


 そこでやっと、思い出した。

 この意味不明の状態が、男子中高生向けラブコメのラッキーハプニングなどではないこと。むしろ、何の落ち度もない自分が突然巻き込まれてしまった、ある種の新感覚ホラーだったということを。


 あー、はいはいはい……。

 これ、あれかー。昨日の、人騒がせな美少女エルフちゃんかー……。

 そういやあたし、なぜかこの美少女エルフちゃんと、アルベルゲの同じベッドで寝ることになっちゃってたんだっけ……。

 最初はこのエルフちゃんも、「こんなところで寝られるわけないでしょっ!」とか言って、めちゃくちゃ怒ってたくせに。ピレネー越えで疲れがたまってたからか、さんざん言いたいこと言った後は、あたしの寝袋を強引に奪いとったかと思ったら、あっという間に眠っちゃったんだよね。

 アルベルゲのベッドって基本的に掛け布団とか毛布はついてないから、巡礼者は各自、自分が持ってきた寝袋で寝るのがルール。だけど、このエルフちゃんに寝袋を取られちゃったあたしは、そのままだと身を包むものがなかったわけで……。ロンセスバリェスは標高も高くて、夜なんかは相当冷えるわけで……。


 で、しょうがなく。

 あくまでも、しょうがなく。

 彼女が入っている寝袋に体を密着させてもらって、昨晩はなんとか寒さをしのいだという…………ね。


 ま、それはもう終わったことだから、特に気にしてないんだけどね。

 幸い、彼女が起きる前にあたしの方が先に起きられたし。あとは、このままこの美少女エルフちゃんに気付かれないようにこっそりあたしがベッドから出れば、完全犯罪成立……じゃなくって。このあり得ない状況を、何事もなくやり過ごすことができるってわけです。

 そんなことを考えてからあたしは、眠っているエルフちゃんに気付かれないようにそうっと体を動かして、ベッドから移動しようとした。

 でも、その途中で……。


 あれ……?

 そこであたしはあることに気づいてしまって、動きを止めてしまった。


 えーっと……あれ?

 あたしの記憶が間違いじゃないなら、たしか彼女って、昨日このアルベルゲについたあとすぐに眠っちゃったよね? シャワーとか、浴びてなかったよね?

 つまり今の彼女の体には、昨日一日分の汗とか汚れ的なものが、残ってるはずなんだよね……?


 でも、あれ?

 イベリコ豚のようにヒクヒクと動かした鼻を、彼女の方に近づけてみる。

 ど、どうしてだろう? 今の彼女の方からは、全然嫌な臭いとかしないよ? それどころか、まるで高い柔軟剤をまるまる一本つかった毛布にくるまれてるみたいな、暴力的なほどのいい香りがしてくるわけで……。

 え? エルフって、体が臭くならない生き物なの?

 それか、彼女が美少女だから臭くないの?

 むしろ、美少女エルフだから?


 もしかしたら自分の鼻のほうに原因があるのかもと思って、試しに自分の体の匂いを嗅いでみる。

 ……うん。普通にクサい。

 っていうか、ちゃんと昨日シャワーを浴びたはずの自分の方が、明らかにエルフちゃんよりも臭い。


 う、嘘でしょ……? で、でも、まさか……。

 ぐっすり眠っている彼女を見ていると、更なる興味が湧いてくるのを、止めることが出来ない。


 ……ち、違うよ? これはあくまでも、知的好奇心による、未知への探求的なアレだよ? エルフと人間の匂いの違いを探るという、学術的にすごく深い意味のある実験というか……。ほ、本当は、あたしだってこんなことしたくないんだから……。

 はあ、はあ……。

 頭の中で延々と自分自身に言い訳をするあたし。

 目はギラつき、鼻息もそうとう荒くなっている自覚はあったけど、あえて気づいていない振りをして……。そうっと、そのエルフちゃんの金髪に自分の鼻をうずめて、思いっきり匂いを嗅いでみた。


 すうううぅぅぅ……。

 あ、ああ……やっぱり、すごくいい匂い……。


 っていうか……っていうか……な、な、な……何、これぇっ⁉ ヤバっ! エルフの体臭、ヤバすぎっ! こんないい匂い、あたし今まで、嗅いだことないよっ⁉ もしこの匂いの香水売り出したら、女子中高生を中心にヒット間違いなしっていうか! この匂い嗅ぎながらだったらあたし、パエリア何皿でも食べられそうっていうか! む、むしろ……このエルフちゃんが浴びたシャワーの水で作ったパエリアが食べたいっていうか……。

 と、とにかく、これは……これは……これは…………たまらんでぇーっ!


 ……なんて、恥ずかしい妄想を膨らませているところで。

「あ……」

 自分に向けられた強烈な視線を感じて、やっと我に返った。

 目線を落として、ようやく気付く。既に完全に目を覚ましたエルフちゃんが、ものすごい形相であたしをにらんでいることに。

「あー……あははは。お、おはよー……?」


 ばちぃーんっ!


 次の瞬間、アルベルゲ中にその音が響き渡るほどの痛烈な平手打ちが、あたしにクリティカルヒットした。




 ★☆★☆★☆★☆★☆




「あっはははーっ! やっぱ、チカちゃんは期待を裏切らないねーっ⁉ いやー、お姉さんもその場にいたかったなー!」

「のんきに笑ってますけど……これ、半分はヤイコさんのせいですからね?」

 アルベルゲを出たところにある広場のベンチに腰掛けて、トレッキングシューズの靴紐を結んでいるあたし。その左頬には、手の形に浮かび上がった赤いハレがある。


 時刻は、すでに九時過ぎ。

 既にほとんどの巡礼者はロンセスバリェスを出発していて、いまだにここに残っているのは、あたしたちを含めても十数人程度だ。


「ったく、冗談じゃないっすよ……。あたしはただ、昨日あのエルフの娘がかわいそうだと思ったから、善意で助けてあげようと思っただけなのに……。なぜかその娘と一緒のベッドで寝ることになって……。しかも、その娘から『痴漢えん罪容疑』をかけられて、頬っぺたひっぱたかれるとか……もう、さんざんでしたよ!」

 あたしの頬に赤いハレを作った張本人は、今は、昨晩行きそびれたシャワーに行っているみたいだ。これ以上彼女から暴力を振るわれないうちに、あたしはさっさとアルベルゲを逃げ出してきたのだった。

 ベンチのそばであたしのそんな様子をニヤニヤと笑っているヤイコさんが、いたずらっぽく人差し指でつつくようなポーズを作る。

「でも……実は本当は、『えん罪』じゃなかったりして? チカちゃんってば、マジであのエルフちゃんに……」

「そ、そんなわけないでしょっ! このあたしが、痴漢なんか、するわけないじゃないっすかっ⁉」

 当然、あたしは即答する。

「えー、もったいなーい! 私がチカちゃんなら、あんな可愛い娘と一緒のベッドで、大人しく眠ってられないけどなー?」

「こ、こんの……HENTAI日本人ハポネサっ! あ、あたしはヤイコさんと違って、『普通』なんですっ! だから隣にどんなに可愛い娘が眠ってても、寝込みを襲ったりなんか…………って、っていうか! あ、あたし、女の子には興味ないですからっ!」

「えー? そうなのー? それは私、勘違いしちゃってたなー」

「そ、そうなんですっ! あ、あたし、女の子好きだなんて、一度も言ってないでしょーがっ⁉ へ、変な言いがかりつけないで下さいっ!」

 含みのある笑いを浮かべて、「ざーんねん」とつぶやくヤイコさん。

 あたしはそこで、少し強引に靴紐を結び終えてしまって、立ち上がった。これ以上ここにいて、いつまでもヤイコさんにからかわれているのが、我慢できなくなったんだ。


 既にアルベルゲのチェックアウトは済ませていて、荷物の整理も出来ている。いつでも、今日のカミーノを歩き始める準備はできている状態だ。


 なのに、

「あ、もしかしてチカちゃん、もう出発しようとしてるー?」

 そんなあたしを、やっぱりヤイコさんが呼び止めた。

「は、はい? あ、当たり前じゃないっすか! 他の巡礼者なんて、日が昇る前から出発している人だっているんですよ? むしろ、こんな時間に出発するあたしたちが遅いくらいで……」

「あー、違う違うー。そうじゃなくってさ。まさか、あの『エルフちゃん』を置いて行くつもりじゃないよねー? って話ー」

「え……? え……? な、何言ってるんですか……? ちょっと、よく意味が分からないんですけど……」

 またしても予想外のヤイコさんの言葉に、頭が真っ白になる。

 え? あの「エルフちゃん」を置いて行く、って……。

 だ、だって、あたしとあの娘は、別に友達でも何でもないし……。たまたま昨日は一緒のベッドに寝たけど、それは、空きベッドがなかったからってだけで……。むしろ、さっき思いっきりビンタされてるくらいだし……。

「チーカちゃん」

 昨日と同じような、悪い笑顔を浮かべるヤイコさん。

 あたしは恐怖のあまり、今すぐ走り出したい気持ちになった。

「チカちゃんだって……昨日のエルフちゃんを見て、気づいてたんじゃない? 彼女が、カミーノを続けるのに必要な物を、何も持ってないってこと」

「う……」


 昨日のエルフちゃんは、巡礼者の証明書の「クレデンシャル」を持ってなかった。

 ううん、それだけじゃない。

 アルベルゲに泊まるなら必須の、寝袋も。長い道のりを歩いていくためのシューズも。雨具も。それらを入れるバッグも。何も持っていなかった。

 あたしは、昨日彼女と「追いかけっこ」したときから、実はそれに気づいていた。

「彼女があのまま、カミーノを歩き続けられると思う?」

「うう……」

 ヤイコさんが、痛い所をつくように言う。

「うーん、きっと無理だと思うなあー。あんな装備じゃあ、きっとすぐに歩けなくなっちゃうのがオチだよー。だーかーらー……」

 こっそりあとずさりを始めていたあたしの腕が、そこでヤイコさんにガシィッと掴まれる。

「誰かが、あの娘をサポートしてあげなくちゃっ! 少なくとも、必要な道具類を買い揃えて、一人でもカミーノを続けられるようになるまで……。つまり、ここから五十キロくらい先の大都市、『パンプローナ』まで、あの娘を連れて行ってあげなくちゃっ!」

「な、なんでそれが、あたしってことになるんですか⁉」

 それは、とても正当な反論だと思う。

「そ、そりゃ確かに昨日は、あたしは彼女をアルベルゲに泊めてあげるためにいろいろと頑張りましたけど……。でも、だからって、このあとのことまで面倒見なくちゃいけない理由はないですよね? あたしには、関係ないっていうか……正直、あのキツそうな性格の娘と、これ以上あんまり一緒にいたくないっていうか……」

 でも、自分勝手なヤイコさんには、あたしの反論なんて届かない。

「そんなに難しく考えないでよ、チカちゃん? 私だって何も、あの娘をサンティアゴまで連れてけって言ってるわけじゃないんだよ? 私が言ってるのは、彼女が自分の足でちゃんとカミーノを歩けるようになるための、お手伝いをしてあげて欲しいってこと。彼女が、『自分の道』を歩くためのさ……」

「じ、『自分の道』ぃ⁉」


 そのときあたしの頭には、エルフちゃんとの今朝の出来事が蘇っていた。

 「不幸な偶然」によって、彼女はあたしのことを、「寝ている間に頭の匂いを嗅ぐ変態」だと思ってる。ただでさえあの娘、結構難しい性格っぽいのに……多分あたし、あの娘に嫌われちゃってるよね?

 そんな娘とあたしが、たとえ五十キロ先のパンプローナまでだとしても……一緒に歩くっていうのは、ちょっと気まずいっていうか……。

 単純に、めんどくさいっていうか……。


「そ、そうだ!」

 そこであたしは、この危機的状況を打開する、革新的な方法を思いついた。

「そ、それって、必ずしもあたしがやる必要ってないですよね? あの娘をパンプローナまで連れていける人なら、誰でもいいはずですよね? だったら、今もまだこのアルベルゲに残ってる誰か……例えば、ヤイコさんがその役目をやってくれたって、いいわけじゃないですかっ⁉ うん、それがいいですよっ! ヤイコさんなら、あたしなんかよりもずっとカミーノのこと詳しそうだしっ! いろいろと、彼女をサポートしてあげられますもんね⁉ 彼女だって、きっと不慣れなあたしが連れて行くよりも、ヤイコさんに連れて行ってもらったほうがいいに決まってるし! そうしましょうっ! もう決まりだっ!」

 でも、

「いやー、それはちょーっと無理かなー」

 ヤイコさんは、そんなことを言って、あたしの革新的なアイデアをあっさりと否定した。

「な、何でですかっ⁉ 人に押し付けといて、自分はできないなんてズルいですよっ⁉ 大人なんだから、そんな往生際悪いこと言わないで……」

「いやー、だってさー……」

「……え?」

「私って、『これ』だもん」

 そう言うとヤイコさんは、突然それまで羽織っていたナイロンジャケットを脱いで……ぴっちりと体にフィットしている、カラフルな薄手のジャージ姿になった。

 その服装は、巡礼者にしてはあまりにもスポーティで、むしろ……。

「え……え……?」

 唖然としているあたしをしりめに。

 さらに彼女は、無数の穴があいた独特な形のヘルメットをかぶって、近くの壁に立てかけてあったドロップハンドルのロードバイクにまたがって、言った。

「私、今回は自転車チャリでカミーノ走るつもりなんだ。だから、あのエルフの娘を連れていくのは、無理なんだよねー。……多分、こんな時間までアルベルゲに残ってる人たちも、ほとんどそうなんじゃないかなー?」

「え……え……え…………?」

 ヤイコさんが、言うとおり。

 周囲を見渡すと、アルベルゲに残っていた数少ない巡礼者たちも、次々とスポーティな「サイクルジャージ」姿になって、自転車にまたがり始めていた。

「えええええーーーー⁉」



 このカミーノでは。

 普通の徒歩の巡礼者の人たちは、日差しが強くなる時間帯を歩かなくて済むように、朝の六時とか七時とか、かなり早い時間から出発してしまう。だからこんな時間までアルベルゲに残っているのは、昨日ベッドを占領されてよく眠れなかったあたしをのぞけば……一日に百キロくらい進めて比較的時間の自由が利く、自転車巡礼者くらいだったらしい。


「ね? つまり、あのエルフちゃんを連れて行くのは、チカちゃんが適任ってことなんだよ。それに私、昨日見てて思ったんだけどさ……チカちゃんとあの娘って……すっごく『お似合いのカップル』だと思うよっ!」

「ちょ、ちょっと、ヤイコさん……」

「じゃ、そーゆーわけで。よろしくねー、チカちゃーん。よい旅をブエン・カミーノー!」

 その言葉を最後に。

 あたしが何か言おうとするのも聞かずに、ヤイコさんは自転車のペダルをこいで、風のように先に行ってしまった。

 唖然として、あたしはしばらくその場から動けなくなってしまった。




 それからやがて、完全に身支度を済ませたエルフちゃんが、アルベルゲから現れて……。

「ううーん……。今日も、気持ちのいい天気だわぁ……」

 あたしには気付かずに、太陽の光を浴びてのんきに背伸びなんかしたりして……。

「……さて、と。朝起きたあと、あの『馴れ馴れしい人間』が、『ワタシの旅を手助けしたいヤツがいる』なんて言ってたけど、それって一体誰のことかしら? 本当なら、小汚ねー人間の分際で、気高いハイエルフである、この『アキ様』をエスコートしたいだなんて百億万年早いのですけど……。ま、愚かな人間の考えることですものね? 自分たちには決して届かないワタシの神秘的な美しさに惹かれて、身の程を忘れてしまう気持ちも、分からなくはないですわ!

仕方ありませんから、この際、エスコートされてやってもいいですわよっ!」

 そういってエルフちゃんは、ぐるっと周囲を見回していって……。

「…………げっ⁉ 今朝の変態女っ!」

「は、はは……どうもー……」

 ヘラヘラと笑っているあたしを見つけて、気高くて神秘的で美しいそのお顔を、嫌悪感で不細工に歪めたのだった。

「な、なんでアンタなのよっ⁉ ふざけんじゃねーわよっ! このワタシが、変態女にエスコートなんてされるわけねーですわっ! チェンジ! チェンジですわっ!」

「ああーもうっ! こっちだって、好きでやるんじゃないんだからねっ⁉ っていうか、変態女って言うなーっ!」



 そんなこんなで……。

 魔女見習いのあたし、チカは、めんどくさいエルフのアキちゃんと巡礼旅カミーノを歩くことになってしまったみたいなのでした……。

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