ロンセスバリェス③

 ……でも!


 あたしは立ち止まる。手を引いていたヤイコさんが気付いて、不思議そうに顔をのぞき込む。

「チカちゃん?」

「あ、あの」

「ん?」

「……」

 言葉につまる。

 きっと、あたし自身にもまだ、今の自分の気持ちが整理しきれていないんだ。

「でも、やっぱり……!」

 自分の気持ちは分からない。でも、このまま彼女を放っておくことは……しちゃいけない気がする!

 ヤイコさんから離れて、あたしはアルベルゲに向かって歩き出していた。

「あれ? ちょっと? ……えー」

 背後から、ヤイコさんの声が聞こえてくる。

「あなた、正気なの? さっき私があれだけ言ったのに……私を置いて、あんな娘のところに行こうとしてるの?」

「だ、だって……このままじゃ、あの娘……」

「あーあ……私たちは、『同じカミーノ』を歩いていけると思ったのになあ」

 そんなことを言って恨めしそうにあたしを見るヤイコさんに、少しだけ心を揺さぶられたけれど……、

「……すみません」

 それだけ言ったあとは、もう彼女のほうを振り返ったりはせずに、あたしは目指す先に向かった。

「……ざーんねーん」



「あのー。申し訳ないんですけどおー、そろそろ門限の時間なんでー、受付閉めようと思うんですけどー……」

 全く申し訳なさそうにそう言って、奥に引っ込もうとする女主人さん。

「ま、待ちなさいよっ! 何でもいいから、さっさとワタシをここに泊めなさいよっ!」

 エルフの少女は、そんな女主人さんに乱暴につかみかかろうとする。そのギリギリのところで、二人の間に、あたしが割り込んだ。


「あーっ! あんた、ここにいたのーっ⁉ もおーうっ! 今までなにしてたのよー! 心配してたんだからねーっ⁉」

「は、はあっ⁉」

「……ん?」

 エルフの肩をわざとらしく小突いて、「友達アピール」する。不審そうな顔で振り返った女主人さんに反論の余地を与えずに、まくしたてる。

「あ、これ、あたしのツレですー! あれでしょー? この娘、わけわかんないことばっか言ってたでしょー? いやー。実はこの娘、人間の世界にきたばっかで、人間の言葉とか全然分かってないんですよーっ! いろいろ迷惑かけちゃったみたいで、すいませーんっ! ほーら、あんたもちゃんと謝んなさいよっ!」

「ア、アンタっ! さっきから何言って……ちょっ⁉」

 無理やりエルフ少女の頭を下げさせる。

「な、何よっ⁉ は、離しなさいよっ! いやしい人間のくせに、このワタシに……」

 当然彼女は、今にも嚙みつきそうなくらいに暴れ狂うけど……慌てずに冷静に対処する。昔、バルセロナの下町で、野良猫を捕まえるバイトをしたときのことなんかを思い出しながら。


「だいたいあんた……『先に行ってる』とか言ってたくせに、どうして今頃チェックインしてんのっ⁉ まさか、ピレネーで迷子になってたってこと⁉ そんなの、下手したら死んでたんだからねっ⁉ 全く、相変わらずおっちょこちょいのドジっ娘なんだからっ! え? しかも何? せっかくサン=ジャンで買ったクレデンシャルも、そのときになくしちゃったのっ⁉ あーもう……あんたって娘はあー! いいから、ほらっ! とりあえずここは、受付だけしちゃいなよっ! クレデンシャルは、次の町でゲットするって感じで、とりあえず勘弁してもらうってことで! ……つーわけなんで女主人さん、この娘の分のベッド一つ、確保してもらっちゃっていーっすか? あっ、ああーっ! もうこんな時間だし、シャワーとか夕食とかは無しで全然いーんで! ……いーよね⁉ 迷子になったあんたが悪いんだから、これ以上贅沢いわないでよねっ⁉」


 そんな風に、あたしは一方的に話を進めてしまう。

 相変わらずエルフ娘は罵詈雑言を喚き散らしている。アルベルゲの女主人さんも、あたしの下手な寸劇を見せられて、呆れて何も言えないという感じで立ち尽くしている。

 でも、結局は……。

「……ま、そういうことなら仕方ないですね。じゃあ、ちゃっちゃと受付しちゃいましょうか」

 観念したように小さくため息をつくと、女主人さんはエルフ娘の受付作業を始めてくれた。

 ……ふう、よかった。


 もちろん。

 そのときの女主人さんが、あたしの下手な演技に騙されたわけじゃない。だけど、彼女だって人間だ。いつまでも面倒くさい客の相手をしているよりも、さっさと仕事を切り上げて帰りたいに決まってる。

 あのエルフちゃんが、「巡礼なんてどうでもいいから自分をここに泊めろ」って言ってる限りは、立場上YESシィって言うわけにはいかない。アルベルゲは巡礼者を泊めるための施設で、彼女はそこを任されているわけだから。

 だけど……あのエルフちゃんのことを巡礼者だと証言する人が現れちゃえば、その問題はなくなる。あのエルフちゃんが巡礼者だってことになれば、彼女を泊めても「アルベルゲに泊まれるのは巡礼者だけ」っていうルールを破ったことにはならない。女主人さんも、さっさと自分の仕事を切り上げることが出来る。だから、あたしが言っているのが明らかにウソだと分かっていても、それに乗っかったほうが楽だと思ってくれたんだ。

 まあこの辺は、バルセロナの大道芸通りでつちかった、スペイン人の扱い方のテクニックみたいなもんかな。


「ちょ、ちょっと……な、何よ、急に? え? 泊まって、いいの? ……な、何なのよ。いいならいいって、さっさと言いなさいよ!」

 あとは、このエルフの娘に適当に話を合わせるように言えば、それで全てがうまくいく。これであたしは、彼女を見捨てなくても済むんだ……。



 そして、女主人さんは手際よく受付のパソコンを操作して、チェックインの手続きに入ってくれた……んだけど。

「じゃあ、ここにその娘の名前をー…………あ」

 でも、彼女はそこで何かを思い出して、手を止めてしまった。

「ああー……ダメだー。これ、ダメですねえー」

「え……?」

 あ、あれ? うまくいったと、思ったのに……ダメ?

「あ、あの……ダメって、何が?」

 女主人さんは、あくまで淡々と、その理由を告げる。

「いえー……よく考えてみたんですけどー。そもそも今日って、もうベッドが余ってないのですよねー? ですからー、申し訳ないですけどー、そこのエルフさんをお泊めすることは、物理的に不可能なんですー」

「え? え? だ、だってこのアルベルゲって、ベッド数は二百人分くらいあるんですよね? 出発地点の近くってこともあって、カミーノの中でも相当大きいアルベルゲだって、ガイドブックにも書いてあったし……」

「それはそうなんですけどー。二百あったって三百あったって、満室になるときはなるんですー。シーズンとか、時間帯とか。まあ、理由はいろいろあるかもしれませんけどー……ダメなときはダメなんですー。こうなったらもう、どうにもなりませんのですよー。ごめんなさーい」

「そ、そんな……」

 雷で頭を打たれたようなショックを受けてしまうあたし。

 せっかく下手な芝居をうってまで、エルフ娘がアルベルゲに泊まれるようにしてあげたはずだったのに……そもそも、ベッドが空いてなかったなんて。

 それじゃあ結局、彼女はここを諦めるしかないの? あたしは、この娘を見捨てることしか出来ないの? あたしは、親に捨てられた自分と同じ気持ちを、この娘にも味あわせてしまうことに……。

 無力感に襲われて、押しつぶされそうになる。がっくりと、その場に膝をついてしまった。


 そこで……思わぬ第三者が、あたしたちの間に入ってきた。


「ちょっとちょっとー、女主人オスピタレイラさーん⁉ ちゃんと、チカちゃんの話、聞いてましたーっ⁉」

 それは、さっきあたしと別れたはずの、ヤイコさんだった。

「はーいー? 何言ってるんですかー、ヤイコちゃーん?」

「だ、か、ら。この娘たちの話をちゃんと聞いてたら、そういう言葉は出てこないでしょー、って言ってるんですってばー」

 相変わらずなれなれしいヤイコさんだったけど、今回のは、それだけでもないらしい。カミーノが三回目だって言ってた彼女は、どうやらその日の女主人さんと面識があるみたいだった。

「いやいやいやー。もちろん、話は聞いてましたよー? でもー、実際問題ベッドがないんだからあ、仕方がないでしょー? いくらヤイコちゃんの頼みでもー、こればっかりは……」

NONONO! だからさー、追加のベッドなんかいらないんだってばっ。女主人オスピタレイラさんは、受付だけしてくれればいーのっ!」

「ええー?」

「だって、だってさ……」

 そこでヤイコさんは言葉を切って、あたしの方を見る。


 そのときの彼女は、これまで見てきたどの表情とも違っていた。だらしなく緩んだ酔っ払いの表情でも。カミーノの本質について語った、厳しい表情でもない。

 それはまるで……観光地で旅行者相手にスリとかして小銭を稼いでる悪ガキのような。無邪気で単純で短絡的、だけど明らかに何か「良くないこと」を考えている人がするときの、タチの悪い笑顔だ。あたしは、ゾクゾクっと背すじが冷えるのを感じた。

 それから彼女は、そんなあたしの予想をはるかに超える「良くないこと」を言ったのだった。

「だってこの二人には、ベッドは一つでいーんだから! ほら、この二人って……そういう関係だからさ? 二人が一つのベッドで、一つの寝袋に入って…………ね? これ以上は、分かるでしょう?」



 は?



 彼女の言ったことが、よく分からない。

 いや……。言ったこと自体は分かるんだけど、その本意が分からない。

 っていうか、なんでこのタイミングでそんなことを言ったのかが、分からないっていうか……。


 そこのエルフちゃんとあたしが、一つのベッドで……?

 二人なのに、ベッドは一つ? え、計算が合わないけど……?

 あたし、算数できなくなっちゃったのかな……?


「いやいやいや、ヤイコちゃーん……。それこそ、まずいですよー……」

 ヤイコさんのわけの分からない発言にも、冷静に答える女主人。

「ここのアルベルゲは、大部屋にベッドを並べてるだけなんですよー? そんな不特定多数の人がいる場所で『そういうこと』なんかしちゃうのはー、ちょっと非常識というかー……。さすがに私たちだって、見逃せないっていうかー……」

女主人オスピタレイラさーん……」

 やれやれ、という顔で割り込みを入れるヤイコさん。それから、十分すぎるくらいに十分にタメを作ってから、

「……愛する二人の前には、常識なんて何の意味もないんだよ?」

 と、キメ顔で断言しやがった。


 ア、アイ……?

 あい……?

 ……愛?


 は、は、は……はあーっ⁉

 あ、愛ーっ⁉

 な、何バカなこと言っちゃってんのこの人っ⁉


 ようやく状況を理解して、今さらながらにあたしは大慌てする。

「ちょ、ちょっとヤイコさんっ⁉ な、な、な、何言ってるんすかっ! この娘とあたし、今日初めて会ったんですよっ⁉ それなのに愛とかそういう関係なわけ……っていうか、そうじゃなくって! その前にあたしたち、女同士だし……」

 でも、ヤイコさんはまたイタズラっぽく笑いながら、あたしの耳元に口を近づけて、

「いいの……? こうする以外にはもう、そのエルフちゃんを宿に泊める方法なんてないんだよ? チカちゃんはこの娘を、寒空の下で野宿させるつもりなの……?」

 なんて、ささやく。

「いやいやいや! で、でもっ! さすがにいくらなんでも、これはおかしいですってっ! 二人で一つのベッドとか、一つの寝袋とか、そ、そ、そ……そんなの、あり得ないでしょーがっ!」

「あり得ない……。そう。いつだって若い冒険者たちは、古い人間が作った常識を壊して、今まであり得なかった新しい世界を作っていくんだよね……」

「いい感じに言ってもダメーっ! 無理無理無理無理無理っ! あ、あ、あたし、そんなの絶対無理ですからっ! っていうか、アルベルゲ的にもこんなの無しでしょっ⁉ 二人で一つのベッドとか、ルール的に絶対アウトでしょっ⁉」

 さっきまで厳しくエルフ少女を突っぱねていた女主人に、助けを求める。

 でも彼女は、

「んんー……」

 と、ひとしきり悩むような振りをしてから、

「……ま、今回は仕方ないですかねえー」

 真顔でそんなことを言って、普通に受付業務を再開してしまった。


 うぉーいっ! さっきの厳しさはドコ行ったんだよっ⁉ 実はこの人、思ってたよりもずっと「ノリが分かる」タイプだったの⁉


「ちょ、ちょっとちょっとちょっとーっ! 意味わかんないからっ! 話が、おかしなことになってるからっ!」

「ん?」

「い、いい加減にしてよっ! あたし、もともとこんなつもりじゃなくって……」

「何をそんなところで、いつまでもくっちゃべってるのよ? ワタシは泊まっていいんでしょ? だったら、さっさとベッドに案内しなさいよ」

「ってこのエルフ、今までの話、何も聞いてねーしーっ! 今、あんたのせいでとんでもないことになってるんだよっ!」

「はあ? アンタ、何言ってるの? ……まあ、なんでもいいですわよ。ワタシ、今日はもう疲れたのよ。とりあえず、ベッドに行かせてもらいますからね」

「待て待て待て! 一旦、ちょっと待てっ! 勝手に話を進めるんじゃないよ!」

「じゃあ、あなたのベッドはそこのチカちゃんと同じ、二階の……」

「はいはい」

「だ、だから、ちょっと待ってってばーっ!」

 淡々と業務をこなす女主人。

 状況を全く理解していないエルフちゃん。

 あたしは、そんな二人が勝手に話を進めるのをなんとかやめさせようとするけど……悪ふざけしたヤイコさんに邪魔されて、結局無駄な抵抗に終わるわけで……。



 その後。

 大量の人間が押し込まれた大部屋の中の、狭いベッドの一つに案内されたエルフちゃんが、当然のように、

「な、な、な、なによこれっ! なんで気高いハイエルフのワタシが、こんな汚ねー人間どもと、同じ空間で寝なきゃいけねーのよっ⁉ し、しかも、この野蛮な猿と一緒のベッドですってっ⁉ ふ、ふざけんじゃねーですわっ! アンタたち、全員今すぐここから出て行きなさいっ!」

 なんて叫び散らして、部屋中から大ヒンシュクを買ったりしたんだけど……。

 いろんなショックが山積みで感情が死にかけていたあたしは、意識がもうろうとしていて、そのあとのことをほとんど覚えていないのだった。

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