ロンセスバリェス②

 ここで突然、痛い自意識過剰人間みたいに、自分の身の上話なんか始めちゃうんだけど……。


 あたしは、バルセロナの端のさびれた田舎町で生まれた……っぽい。

 はっきり言い切ることが出来ないのは、生まれたときの記憶なんてないから……っていうこともある。だけどそれ以外にも、理由がある。実はあたしは物心つく前に、その田舎町の片隅で、カゴに入れて捨てられていたんだ。


 そのカゴには書置きも何もなくって、あたしを捨てたクソ親はもちろん、あたし自身のことを知れるような情報も、何もなかった。だから、あたしは本当は自分のことを何も知らない。生まれた場所も、名前も、何もかも。


 チカっていう名前を付けてくれたのも、スペイン語を教えてあたしをスペイン人として育ててくれたのも、あたしを拾った魔女のお師匠様だ。だからあたしは、そんなお師匠様に本当に感謝してるし、尊敬もしている。そんな尊敬するお師匠様に少しでも近づきたくて、ほとんど強引に、魔女の魔法だって教えてもらった。

 ……まあ、あたしにはその才能がなかったみたいで、コインを動かすくらいの弱々よわよわ魔法しか出来るようにならなかったけどね。

 そもそもお師匠様も、最初はカゴに入ったあたしのことを捨て猫だと思って拾ったらしくって、人間だって気づいてマジで焦ったって言ってたけどね……。




 なんであたしが今、そんなことを考えているのかって言うと…………なんでだろう? よく分かんない。

 そのときの、女主人オスピタレイラにバカみたいに突っかかっていたエルフの娘が、小さいころの自分に重なったのかもしれない。

 親に捨てられて一人ぼっちで、みじめで、かわいそうな自分の姿に……。



「んんー、どったの?」

 立ち止まっていたあたしを不思議に思ったのか、ヤイコさんがそばまで来てくれた。

 彼女は、エルフのほうをチラっと見て、それですべてを理解したらしくて、

「あー……あれか」

 と、呆れ顔で言った。

「え?」

「いや、最近多いんだよねー。ああいうのー」

 ギャーギャーとわめきたてるエルフの姿は、ヤイコさんの目には、別段変わったものとは映らなかったみたいだった。

「ほら、チカちゃんは当然知ってるだろうけどさー。私たちが今日から歩き始めたこのカミーノは……すくなくとも名目上は、キリスト教徒の巡礼の道。つまり、道を歩くこと自体が一種の宗教的儀式で、自己鍛練の旅なんだよ? もちろんそれは、あくまでも名目だけの話で……カトリック教会もスペイン政府も、どんな人がどんな理由でこの道を歩いてもいいって認めてるし、歓迎もしている。でも……だからと言って、本来のカミーノの意味を軽視していいってわけじゃないんだよ。たとえその人にキリスト教への信仰心なんてなかったとしても。カミーノを歩く限りは、この道を歩いてきた本当の巡礼者たちへ敬意を払わなくちゃいけない。この道の歴史や、この道がもつ意味を忘れちゃいけない。

……でも最近、この道もかなり有名になってきたせいか、それを理解しないで歩く人も少なくないんだよね。あの、エルフの娘みたいに」

「そう、なんですね……」

 ヤイコさんは、さっきまでのただの絡みづらい酔っ払いとは別人のように、冷めた視線をエルフに向けていた。

「アルベルゲに泊まりたいなら、巡礼者の証である『クレデンシャル』が必要……そんなことは、少しでもカミーノのことを調べれば、すぐに分かるはずだよね? きっとあのオスピタレイラさんだって、あの娘がクレデンシャルを見せさえすれば、口論なんかしてないで、すぐにベッドを用意してくれるはずなのにさ」

「え、ええ……」


 クレデンシャル……。

 そのことは、当然あたしも知っていた。


 別名『巡礼手帳』とも呼ばれるそれは、自分がこのカミーノを歩く巡礼者であることを証明する、いわばパスポートだ。本当のパスポートに、自分が行った国のスタンプを押す場所があるのと同じように。クレデンシャルにも、スタンプを押すスペースがある。そこに、泊まったアルベルゲやレストラン、教会なんかでスタンプを押してもらうことで、自分が通ってきた道を証明することができるんだ。

 カミーノを歩く人なら誰もがその紙の手帳を持っていて、最終目的地のサンティアゴの巡礼事務所でそれを見せることで、巡礼完了したという証明書がもらえたりする。とにかく、今のあたしたちにとっては本当のパスポートと同じくらいに重要なものだ。

 あたしも他の巡礼者たちも、既にそれをスタート地点のサン=ジャン=ピエ=ド=ポールの巡礼事務所で手に入れていたし。今日のアルベルゲでも、それを見せてスムーズにチェックインできた。


 つまり逆に言うと。

 今もまだアルベルゲにチェックインできずにいて、女主人オスピタレイラさんに「巡礼者じゃない」なんて言われているあのエルフの娘は……きっと、クレデンシャルを持っていないんだろう。巡礼者なら誰もが持っていて当然のパスポートを持たずに、ここまでやってきちゃったんだろう。


 ヤイコさんが、厳しい口調で言う。 

「つまりあの娘は……自分で下調べなんて一切しないで、『誰かに教えてもらえばいい』、『きっと誰かが手伝ってくれる』って思いながら、カミーノを歩こうとしてるってことでしょ? これまでにこの道を歩いてきたたくさんの人たちの想いや信仰心に敬意を払わないどころか、少しの興味も持ってないってことでしょ? そんなの、この道を行く巡礼者としては失格だし……正直、ふざけてるとしか思えないよ」

「……」

 あたしには……ヤイコさんのその言葉が自分にも言われているような気がして、少し耳が痛かった。


 あたしがここに来たのは、お師匠様に言われたからだ。

 自分を拾ってくれて、尊敬している魔女のお師匠様が、「チカちゃんさあ……ちょっと、カミーノ歩いてきなよ。多分、魔女の修行にもなるしさ」なんて言ったから。めんどくさかったけど、おとなしくそれに従っているだけだ。先人の巡礼者への敬意なんて、さっき言われるまでまともに考えもしなかった。

 そういう意味でも、あたしとあのエルフの娘は、似ているのかもしれない。


 でも……。


 元の明るい酔っ払いに戻ったヤイコさんが、駄々っ子みたいにあたしの手を引く。

「ほらチカちゃーん。もう、あんな娘ほうっておいて、早く飲みに行こうよー? ねえーえー?」

 あのエルフの娘は、まだ女主人さんと言い争いをしている。エルフも女主人さんも、どちらも相手に譲歩する様子はない。きっとあの討論はこのままずっと平行線をたどるのだろう。終わるとすればそれは、アルベルゲの門限になって女主人が扉を閉ざすときだ。

 そうなれば、あの娘ももう諦めるしかない。


「あ……はい」

 あたしはヤイコさんに手を引かれるまま、やっぱりアルベルゲには戻らずに、次の店に行くことにした。


 だってこれは、あたしには関係のないことなんだから。

 カミーノの途中で、変なエルフの女の子がいた。アルベルゲの女主人と口論していた。ただ、それだけなんだから。

 あの娘とあたしは、少し似ているかもしれない。

 でも……。

 あたしはちゃんと、クレデンシャルを手に入れている。最低限のことを調べて、この道を歩き始めている。だから、そんなことさえしていないあの娘とは、違う。

 だから、今のあの娘を見捨てたとしても、それは仕方のないことで……。


 自分に言い聞かせるように。自分を納得させるように。

 あたしは、そんなことを考え続けていた。

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