ログローニョ②
「かんぱぁーいっ!」
そのアルベルゲの
ただ、そのときの料金はなぜか全額あたしが出したし……。いまだに、洗濯機の分の三ユーロも、ワリカンにしてもらってないんだけど……。
「ほらほら! チカちゃん、魔法ビールがあるんだってさっ! 魔女っ娘なんだから、魔法ビール飲まなくちゃっ!」
「いやいや、ヤイコさん……それって、Mahouビールのことですよね? あれって、『魔法』じゃなくって『マオウ』って読むんです。人の名前なんですよ。……っていうか、魔女っ娘ってビールとか飲んでいいんすか? イメージ的に」
「なんだとー! 私の酒が飲めないって言うのかよー!」
「いや、そうじゃなくって……」
ロンセスバリェスから自転車に乗って巡礼しているはずのヤイコさんが、徒歩で進んでるあたしたちと、どうしてこのログローニョで一緒になっているのかは不思議だったけど……。
実は彼女、今から三日前くらいには、このログローニョに到着していたらしい。だけど、このラ・リオハ州で有名なリオハワインを全種類飲んでみたいとか言って連泊していろんなバルをハシゴしているうちに、あたしたちが追いついてしまったんだそうだ。もちろん、同じアルベルゲには基本的に一泊しかできないから、毎晩アルベルゲも変えていたらしい。
今日も、昼間っからずっといろんなバルで飲んでいたらしく、よく考えたらアルベルゲで会った時点でテンションがちょっとおかしかった。完全に、タチの悪いアル中だ。洗濯機と乾燥機の代金は、もうあきらめた方がよさそうだと思った。
あとそれから。
最初のうちは、あたしと一緒にそんなヤイコさんにドン引きしていたアキちゃんはと言えば……。
「ふ、ふーん、マッシュルームを油で炒めたのね? 中々美味しそうじゃない……ってっ⁉ ど、どうして、キノコの中にエビが入ってるのよっ⁉ 山の物と海の物を混ぜたりして、そんなものが合うわけが…………な⁉ キノコの旨味がエビを! エビの旨味がキノコを! お互いがお互いの味を引き立て合い、絶妙に異なるプリプリ食感がさらにそれを高め合って…………んんんんーっ!」
「おー、エルフの嬢ちゃん、いい食べっぷりだねー! そしたら、こっちも食ってみなよ?」
「だ、だからワタシは、人間の料理なんて食べないって言ってるでしょっ⁉ こ、こんな、豚肉とキノコを細かく刻んで丸くしたものを、衣をつけて揚げた料理なんて…………んーっ! んんーっ! 衣がサクサクしてるのに、中はお肉とクリーミーなソースの食感が……あああああんんんんーっ!」
相変わらず、さんざん食べない「振り」を入れてから、すぐにアッサリ食欲に負けて、あえぎ声をあげながら食べるという「緊張と緩和」を繰り返して、店中の爆笑をかっさらっていた。もちろん、本人は真面目にやってるんだろうけど……それだけに、恐ろしい娘だ。
……なんて。お笑い的な考察は、まあ置いといて。
タチの悪い酔っ払いのヤイコさんの相手をしながら、隙だらけで危なっかしいアキちゃんの面倒を見ているのにも、少し疲れてきたところだ。あたしはこっそり店の外に出て、夜風に当たることにした。
いつの間にか、太陽はすっかり沈んでいる。
でも、周囲にはさっきまで自分がいたのと同じようなバルがたくさんあって、その店内にも通路にはみ出したテラス席にも、たくさんのお客がいる。きっとその中には、あたしたちと同じような巡礼者もたくさんいるんだろう。店から漏れるオレンジ色の電灯の光と、どこの国の言葉かも分からないような騒がしい話し声のお陰で、夜の不安さは全然感じなかった。
「ふう……」
バル街から少し離れた、光の届かない古いレンガ造りの壁に静かにもたれかかる。特に意味はないけれど、そんな場所で一人っきりで深くため息なんか吐いたりしちゃったりしていると、なんとも言えない哀愁があって、まるで映画のワンシーンみたいだ。
ああ……。久しぶりに、あたしのポエム好きな恥ずかしい部分が出て来ちゃいそう。こんなとこ見られたら、またアキちゃんに笑われちゃうな……。
「チーカちゃん」
そこで突然、自分を呼ぶ声が聞こえて、振り返る。そこには、頬をピンク色に染めたヤイコさんがいた。
「私も、ちょっとクールダウンしよっかと思ってさー」
そんなことを言いながら、彼女もあたしのとなりの壁にもたれかかった。
「……」
そのまま、何も言わずに黙ってしまう。その横顔は、なんだかさっきまでのめんどくさい酔っぱらいとは、少し雰囲気が違って見えた。
自然と、しばらくの間二人とも無言になってしまう。
「……」
「……」
明るくて騒がしいバルと対称的で、まるであたしたちの周りだけ切り取られて、別の世界になってしまったみたいだった。
「アキちゃんって……どう?」
突然、ヤイコさんが口を開いた。
「え……ど、どう、って?」
一瞬、さっきのバルの続きで、からかわれているのかと思った。さっきまでの酔っ払いモードのヤイコさんは、「それでそれで? 二人は、どこまでヤったの?」なんて、コンプラ無視のセクハラオヤジみたいな発言を繰り返していたから。
でも、ちらりと横目に彼女を見て、真っ直ぐに前を向いたまま目を細めているだけだったのに気付いて、そうじゃなさそうだと分かった。
それからヤイコさんは苦笑いでもするように小さく鼻をならして、つぶやいた。
「あの娘がここにいること……この道を歩いてること……実は私、まだちょっとだけモヤっとしてるんだよね」
「え……」
思わず驚きの声を上げてしまった。ヤイコさんは、構わず先を続ける。
「あの娘は、まだカミーノを歩いていない。自分の力で、自分の責任で、自分のカミーノを歩いていない。そんな娘を、私は、同じ巡礼者として認めたくないんだと思う」
あまりにもはっきりとした、断言。それだけに、安易にそれに反論することが出来ないような凄みが、その言葉にはあった。
……確かに。
アキちゃんはまだ自分の力で、自分のカミーノを歩いていない。
その言葉を聞いた瞬間、あたしの頭の中にも、自動的にいくつかのイメージが浮かんできていた。その言葉について、思い当たることがあるような気がしてしまった。
アキちゃんはいつも、その日に歩くルートをあたし任せにして、彼女のほうからあたしを先導してくれるようなことはなかった。
ルートだけじゃなく、その日に食べるご飯も。泊まるアルベルゲも。さっきみたいに、汗をかいた服を洗濯することも。全部、あたしがアキちゃんに「こうしよう」って言って、それを彼女が受け入れるばっかりだった。
それは、初日にロンセスバリェスで何も知らずにアルベルゲに泊まろうとしていた時の彼女と、何も変わっていないようにも思える。あの日の、ヤイコさんが「ふざけている」と言って軽蔑の表情を向けていたときの彼女と……。
それでも、
「で、でも……!」
どうしてなのかは、自分でも全く分からなかったけど……無意識のうちに、あたしはヤイコさんのその言葉に反論しようとしていた。
「でもね」
でもヤイコさんも、アタシの言葉を待たずに、自分の言葉に自ら反論してしまった。
「でも、あの娘には『自分だけの目的』がある。どうしてもカミーノを歩かなくちゃいけない、理由がある。それは確かだよね? だとしたら……それはそれで、いいのかもしれない」
……そうだ。
「だって、『自分だけの目的』を持った人は、強いからね。きっとどんなことがあったって、誰に何を言われたって、その目的に向かって突き進んでいくことが出来るだろうから」
「ふふ……」と可愛らしく笑うヤイコさん。それは、今の言葉が、思いがけずこぼれてしまった彼女の本音だったことを証明しているような気がした。
……そう、なんだよ。
あたしも、それは分かっていたんだ。
アキちゃんには、自分だけの目的がある。道中で精霊と交信して点検するっていう、カミーノを歩かなくちゃいけない理由がある。
それをあたしが彼女から直接聞いたのは、三日前だった。でも、それよりももっと前……一番最初にアキちゃんに出会った時から、あたしは、彼女が「自分だけの目的」を持っているということを知っていた。自分にはやるべきことがあるから、帰るわけにはいかない。強い意志でそんなことを言った彼女のことを、ずっと覚えていた。
だから、あたしは彼女を助けたんだ。
ロンセスバリェスで、アキちゃんがアルベルゲに泊まれずにいたとき。
そしてパンプローナで、あたしがヒジュちゃんに誘われて、彼女を置いて行く決断を迫られたとき。
あたしは結局、彼女を見捨てることが出来なかった。カミーノを歩く「自分だけの目的」を持つ彼女を、助けたいと思ってしまった。
だって……だってそれは……。
「ねえ、チカちゃん」
ヤイコさんはそこで顔を動かして、あたしにニッコリと微笑む。
「多分だけどさ……ロンセスバリェスで、初めてチカちゃんと出会ったあの日。自己紹介をしてもらって、魔法を見せてもらったりしてた、あのとき。私は、本当はチカちゃんに、ちゃんと聞かなくちゃいけないことがあったんだと思う」
「え……」
「それはね」
微笑んだまま、静かにあたしを見つめているヤイコさん。その瞳には、何か特別な魔力でもこもっているような気がした。あたしは、彼女から目をそらすことが出来なくなっていた。
「……」
それから、やがて……。
ヤイコさんはその、果てしなく長く感じるような二人の間の沈黙を破って、ゆっくりとその言葉を言った。
「ねえ、チカちゃん……あなたは、どうしてカミーノを歩いているの?」
「え、と……だ、だから、それは……」
あのとき説明したのと同じ言葉を、もう一度説明しようとする。
えー? もう忘れちゃったんですかー?
だからそれは、あたしの魔女のお師匠様が、「カミーノ行ってこい」って言ったから……。
でも、その言葉は出てこなかった。
だって……あたしにはもう、ヤイコさんが本当に言いたいことが分かっていたのだから。
「チカちゃん。私が言っているのは……『あなた』が、どうしてカミーノを歩いているのか、ってことだよ。他の誰かじゃなく、あなた自身の中から生まれてきた……あなただけの、カミーノを歩く理由だよ」
「……」
あたしはもう、何も言うことが出来なくなっていた。
あたしには、カミーノを歩く「自分だけの理由」なんてない。
……ううん。そもそもあたしには、ここにいる理由なんて、何もないようなものだ。
だから、あたしはアキちゃんを助けた。
自分が持たないものを持っている彼女に、憧れてしまったから。
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