ログローニョ③

 ヤイコさんはそれから、しばらくの間あたしを見つめ続けていた。

 けど、あたしが何も答えないことにしびれを切らしたみたいに、やがてこんな言葉を続けた。


「実はさ……私がチカちゃんたちと別れて二日後の、エステーリャのあたりかな? 一緒に自転車で巡礼してた仲間がうっかり事故っちゃって……病院に行って、診てもらわなくちゃいけなくなったんだ」

「え……」

「怪我は、まあそれほど大きなものでもなかったんだけど……でも、『しばらくは自転車に乗ったり、長時間歩くなんてことは出来ない』って言われちゃってさ。それでもその娘、他の医者とかにも聞いたりして、もしかしたら奇跡的に回復するかもしれない、とか言って……今日の朝までは粘ってたんだけどさ。結局、状況は変わんなくて……巡礼を続けることを諦めて、帰ることになっちゃったんだ」

「そ、そんな……」

「その娘、最後まで言ってたよ。『まだやめたくない』、『カミーノを続けたい』って……。でも、出来なかった。帰るしかなかった。悔しくて、不甲斐なくて、ギャンギャン泣いてた。もう、いい大人なのにさ……」

 その人のことを思い出しているのか、「ふふ」って笑うヤイコさん。でも、横顔に浮かぶその瞳には、ウルウルと涙がうかんでいた。


 やがて、そんな自分に照れるみたいに、

「……よっと。そろそろ、アルコールが切れてきちゃったみたいだから、補充しないとね」

 なんて言って、壁にもたれかかっていた体を動かして、あたしに背中を向ける。

 それから……つぶやくように、こんなことを言った。

「チカちゃん。カミーノは、とても長い旅だよ。歩きなら、一か月以上。たとえ自転車に乗っていても、二週間くらいは必要になる。そんな長い道のりの中には、楽しいこともたくさんあるけど……でも、その逆もある。私の仲間みたいに、どうしても続けたいと思っているのに、途中で諦めなくちゃいけなくなるときだってあるかもしれない。そんな、理不尽な道でもあるんだよ。ある意味では、人生みたいにね……。そんな道を、『誰かに言われたから』って理由だけで歩いてしまうのは、もったいないと思わない? 長くて、ときには辛くて苦しいことだってある道のりだからこそ……『自分のため』の、『自分だけの理由』で歩いて欲しい。そんな理由を、見つけて欲しい。私は、そう思うんだよ」

「……」

 それだけ言うと、ヤイコさんはもう、すっかり元のよっぱらいの雰囲気に戻ってしまったみたいで、

「すいませーん! このロサードロゼワインもう一瓶……っていうか、もういっそ、樽で下さぁーい!」

 なんて言いながら、バルの中に戻っていってしまった。




 ★☆★☆★☆★☆★☆




 結局、そのあとあたしがバルに戻ってからも、ヤイコさんの調子はただの酔っぱらいになってままだった。あたしの前で、さっきみたいに静かに語った彼女が出てくることは、二度となかった。

 そのまま夕食会が終わると、思っていたよりも疲れがたまっていたらしく、あたしはアルベルゲに戻ってすぐに、眠りについてしまった。



 そして、次の日の朝。


「そんじゃあねー、二人ともー。私はまだしばらくこの街で、ワイン飲んで楽しむつもりだから、ここで見送るだけにしとくよー」

「ふんっ」

「……あ、はい」

 アルベルゲの玄関前。

 ヤイコさんは、あたしたちの出発を見送ってくれた。


「こ、これからヤイコさんは、どういう日程で進むつもりなんですか?」

 昨日のことが頭にあるから、どうしてもあたしのヤイコさんに対する態度は、ぎこちなくなってしまう。でも彼女のほうは、全然いつも通りだ。

「ええー?」

「も、もしも……これから先のどこかでも、バル巡りとかするつもりなら、都合がつけばあたしたちとまた合流して……」

「んんー……」

 しばらく考えるようなポーズをとってから、急にいたずらっぽい笑みを浮かべて、

「それは、まだわっかんないなー。ほら私、予定とか決めるの苦手だから!」

 なんて言った。

「あ、そ、そっすか……」

「うん。ごめんねー?」

 気持ちのいい笑顔で頷く、ヤイコさん。

「誰も何にもしばられずに、ただただカミーノを自由に走る。自由に走って、そこで偶然出会った人とか、偶然見た景色を、ただただ心に焼き付ける。それが、私のカミーノだから」

「……」

 はっきりとそう言い切ってから、彼女はあたしたちに大きくに手を振って、

「ブエン・カミーノ!」

 と叫んだ。


「は、はい! ブ、ブわ……ブエン・カミーノ!」

「ふん…………ブエン……カミーノっ」

 思わず噛んじゃったあたしの言葉にかぶさる形で、小さくアキちゃんもその挨拶を返していたのに気づいて……あたしは少し驚いてしまった。

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