~ グラニョン

★8日目☆彡  ~ ナヘラ(29km)



 ログローニョを出発したところで、あたしたちは、少しだけ道に迷ってしまった。

 パンプローナとかでも少し感じたんだけど……このカミーノっていうのは、大都市になればなるほど巡礼者にとっては道が分かりにくくなる気がする。

 例えば……周りに障害物が何もなくて、巡礼路が一本ずうぅーっと伸びているだけの田舎とか。そこよりは少しはマシになって、カフェが一個あるかないかくらいの小さな村――っていうか、もはや限界集落――とかも、基本的には巡礼路の進行方向がすごく分かりやすくて、迷う心配がない。そういうところはほぼすべての分岐点に、進行方向を教えてくれる標石モホンもあるし。

 でも、集落が大きくなればなるほど、町が都会になればなるほど、そういうのは少なくなって不親切になる。分岐点にモホンが見当たらなくて、このまま進んでいいのかどうか不安になることはしょっちゅうだし。最悪、黄色い矢印があったから「ああよかった」なんて言ってその通りに進んだら……実はそれはカミーノの純正ルートじゃなくって、近くのバルの店主が自分の店に誘導するために描いたダミーだった、なんてことだってあるんだ。そういうの、本当にやめて欲しい……。


 ちなみに、純正のモホン以外が全部そういう嫌がらせなのかっていうと、そういうわけでもない。分岐点の近くの住人が、自分の家の壁とか道路に矢印を描いておいてくれたり。あたしたちより先に行った巡礼者が、あとに続く人のために小石とか木の枝とかを並べて、正しい方向の矢印を書いてくれたりしてるところも結構あるんだ。


 そんな心優しい人たちの力もあって、一度は迷ってしまったあたしたちも、それほど苦労せずに正しい道に戻ることが出来た。

 それから、先を進む途中で、ナバレテという小さめの町の教会に立ち寄った。



「この教会のスタンプは…………あ、あったわっ! チカ、チカっ! こっちよ! ここにスタンプあったわっ!」

「あ、うん……」


 巡礼者が必ず持ち歩くことになる巡礼手帳クレデンシャルは、アルベルゲや教会やバル、カフェとかでスタンプを押すことが出来て、今まで自分が歩いてきた道の証明になる。だから、あたしたちもルートの近くに教会があった場合は、なるべく立ち寄るようにしていたのだけど……。


「ここは、ワタシたちが勝手に自分でスタンプを押していいみたいね? ……えいっ! よし、綺麗に押せたわ! うふふ……こうやって見ると、スタンプも結構たまってきたわね? 別に、たくさん集めたから何かなるわけじゃないのかもしれないけど……でも、ちょっと楽しくなるのはなんでかしらっ⁉ ほらっ! チカのにも、スタンプ押してあげるわっ! 貸しなさいっ」

「ア、アキちゃん……。ここ、一応教会だから……なるべく静かにね?」

「……あっ⁉ やだ、ちょっと失敗しちゃったわっ! でも、どうせチカのスタンプカードだし……別にいいわよね!」

「アキちゃん、静かにしてってば。……あと、スタンプカードじゃなくて、クレデンシャルって言ってね?」


 もともとクレデンシャルの存在も知らなかったエルフのアキちゃんが、何故かスタンプを集めることにハマっちゃったらしくて……。今では、あたしよりもスタンプを押すことに熱心になってしまっていた。

 ただ……。

 一応このカミーノは、キリスト教の巡礼路なわけで……。教会でスタンプを押してくれるのも、そのカミーノを歩く巡礼者として認めてくれているってことなわけで……。最近だと、今のアキちゃんみたいにカミーノのことをただのスタンプラリーみたいに捉えちゃって、キリスト教とか教会への敬意に欠ける巡礼者が増えて困っている、なんて話もよく聞くわけで……。

 どうしても、昨日のヤイコさんの話も思い出したりしてしまって、厳かな教会の中で子供みたいにはしゃいでいるアキちゃんに、ヒヤヒヤしてしまうのだった。


 そのあと一応、形だけでもその教会に敬意を表すために、あたしたちはちょっとその中を見学したり、キリスト像のある祭壇に祈りをささげたりした。

 その教会の壁には、大きな世界地図が貼ってあって、訪れた巡礼者が自分の来た国に付箋を貼ることが出来るようになっていた。見てみると、近場のヨーロッパ諸国とか、オーストラリア、アメリカあたりが多いのはまあ予想の範囲内として。意外とアジア――特に、ヒジュちゃんの韓国とヤイコさんの日本――とか、アフリカのほうから来てる人も多いっぽいことに、少し驚いた。

「……ふーん」

「あ」

 そんなことを思っているところで、隣で、その世界地図をアキちゃんも見ているのに気づいた。

 教会に貼ってあったのは、人間の世界の地図だ。そこにエルフの世界からやって来たアキちゃんの国が載ってるはずはないから、ずっとその地図を見ているのは、彼女に対してちょっと無神経だったかな、なんて思っていると……、

「ワタシも、貼っておこうかしら」

 とか言って彼女は付箋を一枚取って……北極のさらに上、その世界地図を飛び出して、地図の外側の壁にその付箋を貼っていた。

「へ、へー……そのへんが、エルフの国なんだ?」

 そのときのあたしは、どうリアクションしていいか分からなくて、その場は適当に流してしまったのだけど……。

 その晩、ナヘラという、真ん中に川が流れている町の公営アルベルゲで、改めてそのことを聞いてみたら……それは、アキちゃんなりのジョークだったらしい。


 いや、エルフジョーク分かりにくいなっ⁉




★9日目☆彡  ~ グラニョン(27km)



 相変わらず、左右を畑に囲まれた以外は何もない果てしない道を歩いていく、あたしたち。あんまり何もなさ過ぎて、自分たちが本当に前に進んでいるのか不安になってくるくらいだ。途中で、真っすぐな道が延々とのびていて、そのまま地平線まで行って先が見えなくなっている場所さえあった。

 ……え? これ、地の果てまで来ちゃったとかじゃないよね?



 そのあとも黙々と進み続けて、ようやく到着したのはサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダという町。ガイドブックによるとそこは、なんでも鶏にまつわる伝説があるらしくて、それにちなんで教会でオスメス一対の鶏を飼っているのが有名らしかった。でも、そんなことはまったく関係なく、単純にクレデンシャルにスタンプを押したくて仕方がないアキちゃんに連れられて、あたしたちは教会に入った。


「えーっと……なんか、昔この町で無実の罪で処刑されちゃった人がいたんだけど、そのときに神様の奇跡的な力が働いたおかげで、生き返ることが出来たんだって。で、そのときに一緒に、ローストチキンにされてた鶏も生き返ったので、それを記念して教会では今でも鶏を飼っていると…………ん? なんだ、この伝説?」

 教会の中にあった説明文をアキちゃんに説明して、少しでも宗教的な意味を理解してもらおうとしたのだけど……。でも、説明してるはずのあたしもよく分かんなくなっちゃって、結局グダグダになっちゃった。

 もちろん、アキちゃんはそんなあたしの説明なんてほとんど聞いてなくて、ただ、

「ええ、それは良かったわね……ローストチキン……」

 食べ物の名前にだけ反応して、教会の聖堂の中に飼われていた鶏たちを見ながら、小さくツバを飲み込んでいた。

 ああ、お腹空いてたんだね……。



 その町を出て、その日に泊まったグラニョンという町までが、ラ・リオハ州。そこから先、明日からは、カスティーリャ・イ・レオン州という大きな州に入る。

 ちなみに……あたしたちが今歩いている「フランス人の道」というルートを、ざっくり三つに分類する言い方があるんだけど……。その場合、スタート地点のサン=ジャンからこのグラニョンまでを、「肉体の道」と呼ぶらしい。

 つまり、初日のピレネー山脈とか、そのあともちょくちょく上り坂下り坂があったりして、しょっぱなから肉体的にすごくツラい思いをするから「肉体の道」。

 そして、グラニョンからステンドグラスで有名な大聖堂があるレオンという都市までが、「精神の道」。これは、道が平坦すぎて肉体的な苦労が少ない分、いろいろと考えちゃって精神的に疲れるから。

 あと、レオンから先の最後の部分は「魂の道」って言うんだけど……これはまあ多分、宗教的なスピリチュアルな意味だと思う。正直、ネットとか見ても意味はよく分かんなかった。

 


 まあ、そんなわけで。

 「肉体の道」を無事に歩き終えたあたしたちは、次の日から「精神の道」に入ったわけなのだけど……。その日の夜泊まったアルベルゲで、忘れることの出来ない、ある二人の巡礼者と出会うことになった。

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