カスティーリャ・イ・レオン州(北東)

~ サン・ファン・デ・オルテガ①

★10日目☆彡  ~ サン・ファン・デ・オルテガ(39km)



 失敗した。

 完全に、失敗した。


 今朝はたまたまアキちゃんの目覚めも良くって、泊まっていたグラニョンを六時くらいに出発出来た。おかげで、太陽が出る前の涼しい時間をスイスイ進むことが出来て……。

 しかもしかも。日が昇ってからも、これまでずっと雲一つないカンカン照りの快晴だったのが、今日に限ってはとっても歩きやすい曇り空。その結果、これまでとは比べ物にならないほど楽々前に進めちゃって……当初は泊まるつもりだったビジャフランカ・モンテス・デ・オカっていう小さな町に、十二時前くらいには到着できちゃったんだよね。

 その時点で既にグラニョンから二十七キロも歩いていて、これまでの進捗しんちょくから考えると、じゅうぶん今日のノルマには到達している。でも、さすがに十二時っていうのはちょっと早すぎるよ。巡礼宿アルベルゲだって、普通は一時か二時くらいからチェックインが出来るようになるもんだし。

 これから一時間近くも、何もしないで待つのもなあ、とか思っちゃって……。


 いや、もちろんあたし、知ってたよ?

 そのビジャフランカ・モンテス・デ・オカから次の町のサン・ファン・デ・オルテガまでは、あと十二キロもあるってこと。しかも、そこには三百メートルくらいの高さを上る峠があって……しかもしかも、その間に休憩できるようなバルやカフェは一つもないらしいってこと。

 そんな大事なことは、どんなガイドブックにもネットにも、当然書いてあったし。今朝のグラニョンの主人オスピタレイラさんだって、「気を付けろ」って口を酸っぱくして言ってたし。

 でも、さあ……。

 それまでが順調すぎるくらいに順調だったもんで、「ま、行けるっしょ!」とか、思っちゃったんだよぉ……。



「はあ……。はあ……」

「ぜえ……。ぜえ……」

 殺人的な太陽に照らされながら、黙々と峠道を歩いていく、あたしとアキちゃん。歩きやすい曇り空なんてとっくにどこかに行ってしまって、いつの間にか、空はいつも通りの快晴だ。

 ピレネーのような、きつい上りの山道じゃない分まだマシだけど……そのかわりに、緩い上り坂で地味にダメージが蓄積されているような気がする。……っていうか、単純に長いんだよ!

 だって十二キロとか、初日にピレネー歩いたのの、半分の距離じゃん? そんな距離を、今日既に二十七キロ歩いてる状態から歩くとか、普通に考えてどうかしてるっていうか……。そもそも、カミーノ初日の元気いっぱいのときの二十四キロと、今まで十日近く毎日歩いてきた状態での十二キロだと、今のほうがよっぽどツラいっていうか……。

 とりあえず、今日から「精神の道」だとか言ったやつ、出て来いよ。一回ぶん殴ってやるから……。こんなもん、まだまだ余裕で「肉体の道」じゃんかよ……。


 ひたすら歩き続けているからか、あたしはそんな不毛な批判の言葉を、頭の中でひたすらに繰り返していた。でも、元をただせば二十七キロ地点で「行けるっしょ」とか言い出したのはあたし自身なので……結局最終的にその批判は、ただの自己批判になってしまうのだけど。


「ぜえ……。ぜえ……」

「…………」

 あたしの後ろには、苦しそうな表情をしながらついてきてくれている、アキちゃんがいる。モデルのように体が細い彼女だから当たり前と言えば当たり前だけど……多分彼女は、あたしなんかよりも全然スタミナがない。

 それでも、そんな彼女が文句も言わずにこの道を歩いてくれている。判断を間違ったあたしを責めずに、黙々と歩いてくれている。そのことに、申し訳なさと同時に……少し喜びのようなものを感じていた。

 きっと、あたしと出会ったころの彼女だったら、こんなふうに大人しくついてきてなんてくれなかっただろうから。口汚い言葉であたしの判断ミスを責めたてて、一人で一つ前の町ビジャフランカに戻ってしまっただろうから。

 でも、今そうなっていないってことは、あたしたちの間にも少しは信頼関係が生まれているってことなのかもしれない。あたしに気を遣ってくれるってことは、彼女にとってのあたしの重要性が、以前よりも増しているってことなのかもしれない。

 そう考えると、あたしは少しうれしかったんだ。


「……ぜえ……ぜえ。ねえ⁉ 今日の宿は、まだ着かないの⁉ これ以上ワタシ、歩ける気がしないんだけどっ⁉ どうしてさっき、『行ける』なんて言ったのよっ!」

 いや……普通に、文句は言ってるぞ?

「もう、バッカじゃないのっ⁉ こんな道を無理やり行くくらいなら、さっきの町で一時間待った方がよっぽどマシだったわよっ! これ、完全にアナタの判断ミスだからね⁉ ちょっとチカっ! 聞いてるのっ⁉ さっきから、ワタシのこと無視するんじゃねーわよっ!」

 うん。全然、気を遣ってくれてねーや。あたしが聞えない振りしてただけで、さっきからずっと、あたしの判断ミスを責め立ててるわ。


 ……まあ。

 それでも、グチグチ文句を言いながらでも、ちゃんとあたしについてきてくれているってことは……やっぱりちょっとうれしかったけどね。




 ★☆★☆★☆★☆★☆




 ようやく……その峠道を上り切って、あとは下りだけってところまでやって来た。それでも、次の町までの道のりとしては、まだ三分の一くらい。あと八キロくらいは歩かないと、今日の目的地にはつかないのだけど……。

 とりあえず、焦っても疲れるだけなので、あたしたちはこの頂上地点で一旦休憩することにした。



 そこは、何か歴史的なイベントがあった場所らしくて、三メートルくらいの大きな石の記念碑が立っていた。その記念碑には、デフォルメされた鳩のような鳥のレリーフと、1936という年号が刻まれていた。


「あ、ちょっと待って……」

 その記念碑を見つけたアキちゃんが、何かに気付いたように近づいていく。

「あ……もしかして、例のやつ?」

 あたしはすぐに、ピンと来た。多分、例の「精霊との交信」ってやつだ。最初に見たのはパンプローナを過ぎたあとの、ペルドン峠だったけど……そのあとでも彼女はときどき立ち止まって、その土地の精霊たちと交信することがあったから。


 彼女はその記念碑の前に立つと、精神統一するように、じっとそれを見つめていた。何度か見てきていても、やっぱりまだ、この瞬間は少し緊張する。彼女の仕事を邪魔しないように、あたしは無言でそんなアキちゃんを見守っていた。

 それからやがて彼女は、その記念碑の上のほう……鳥のレリーフがある場所に手をかざして、静かに、つぶやくように、こう言った。


「ぷ、ぷぷ……。あの鳥のレリーフの形……ツイッターのマークに似てない?」

「…………は?」


 予想外すぎて、彼女の言葉を理解するのに、かなり時間がかかってしまった。

 は? は? 鳥のレリーフが……ツイッターに似てる?

 えーっと……? 精霊をどうこう、っていう話じゃなかったっけ?


 いや……確かにそう言われてみると、その記念碑についていたデフォルメされた鳥のレリーフは、SNSのツイッターのロゴの青い鳥に、ちょっと似ているような気がした。

「ね? ね? チカもそう思うでしょ? ほら、このロゴに……」

 アキちゃんは笑いをこらえながらそんなことを言って、懐から取り出した自分のスマホの画面を見せてくる。そこには、おなじみの青い鳥のロゴが表示されている、ツイッターのタイムライン画面が表示されていて……。

 あー、うん。そうだねー。確かに、そう言われてみると、似てるねー。あの鳥と、そのツイッターのロゴマークが…………っていうか。


「い、いやいやいやっ⁉ ア、アキちゃん、スマホ持ってたのっ⁉ っていうか、ツイッターやってたのっ⁉」

「は、はあっ⁉」

 ここまでの疲れが吹っ飛ぶような衝撃で、掴みかかるようにアキちゃんに尋ねる。でも、アキちゃんのほうも、そんな質問は予想外とばかりに、

「あ、当たり前でしょっ⁉ いまどき、スマホぐらい持ってるに決まってるでしょっ!」

 なんて言いやがった。


 は、はー⁉

 森の妖精のエルフのくせに……スマホ持ってんのかよ! しかも、ツイッターやってんのかよ⁉

「な、何よっ⁉ エルフのワタシが人間の機械使ってるのが、そ、そんなにおかしいのっ⁉」

「いや、どう考えてもおかしいでしょ! それだけは、絶対に違うでしょ⁉ この世界の他の誰がスマホ持ってても驚いたりはしないけど……エルフだけは、スマホ持ってちゃだめでしょ! ツイッターやってちゃだめでしょ⁉ そういう文明の利器的な物とは、無縁であって欲しい存在でしょ!」

「そ、そんなこと言ったら、アンタだって時代遅れの魔女のくせに、スマホ持ってるじゃないのっ⁉」

「いやいや……確かに今どき魔女なんて時代遅れだけどさ……。人間のあたしがスマホ持ってるのと、エルフのアキちゃんが持ってるのは、全然違うよ……」

「な、何が違うのよっ⁉ ワタシだって、スマホくらい持っててもいいじゃないのっ⁉ そ、そんなの当たり前でしょっ⁉ そりゃ、人間がやってる電機店とかに直接行って買うのは、エルフのワタシにはちょっとハードル高いけど……。で、でも、アマゾンで通販すれば、ワタシだって本体もシムも簡単に買えるし、使い方だってググれば簡単に分かるんだから……」

「おい、やめろやめろやめろ……。これ以上、エルフのイメージが壊れるようなことを軽率に口走るんじゃないよ……。エルフっていうのは、『アマゾン』とか『ググる』とか絶対使っちゃだめなんだよ。森の妖精のエルフは、『精霊』とかそういうファンシーな力で、たいがいのことを何とかしちゃうもんなんだよ……」

「な、何よそれっ! アンタたち人間の勝手なイメージを、エルフに押し付けるんじゃねーですわよっ!」


 ああ……そういえば。

 確かにアキちゃん、エステーリャであたしがヒジュちゃんのユーチューブチャンネル見ながら料理作ってたとき、結構普通にリアクションしてたような気がする……。「動画」とか「再生数」とか、普通に言ってた気がする……。

 世間知らずで、俗っぽいこととは無縁のエルフなんだから、「ええ⁉ この小さな板キレの中に、小人が入ってるんですの⁉」とか、言って欲しかったのに……。スマホのこともユーチューブのことも、普通に理解してるっぽいリアクションしてたっけ……。


 うっわー……。なんだよそれー……。

 完全に、あたしの中のエルフ像が崩れたわー……。アイドルがゲロもウ○コもするって気づいてしまったときくらい、ショックだわー……。

「チカは、エルフやワタシのことを、バカにしすぎですわっ! ワタシだって、千年近く生きてるんだから、人間の文明だって、それなりに知ってて当然でしょーがっ!」

「……ごめん、ちょっと静かにしてもらっていいかな? ショックが大きすぎて、しばらく何も考えられそうもないんだ……」

「ちょ、ちょっとチカっ! ああ、もおうっ! 人間どもは、これだからーっ!」


 それから、あたしがそのときの衝撃から立ち直るには、結構な時間が必要だった。

 結果として体力的にはいい休憩にはなったんだけど……その分、精神的にはかなりのダメージを受けてしまったような気がする。

 そういう意味で、この道は本当にまぎれもなく「精神の道」だったのかもしれない。




 ★☆★☆★☆★☆★☆




 そんなこんなで。

 なんとか、これまでの最長距離、最長時間の歩きを終えて、あたしたちは次の町、サン・ファン・デ・オルテガに到着した。


 時間は、既に午後の五時過ぎ。一番太陽が強くて暑い時間を休み休み進んできたとはいえ……歩き巡礼者としては、ありないくらいに遅い到着時間だ。

 そのせいで、二軒しかないらしいこの町のアルベルゲの一軒目は、既に満員と言われてしまった。そこで、あたしたちは仕方なくもう一軒のほうに向かった。

 まあ……。たとえもう一軒も満員だったとしても、もう次の町まで歩く体力も精神力も、残ってないんだけど……。



オラこんにちわー!」

 疲れすぎて、無駄にハイテンションで、そのアルベルゲのドアを開く。

 すると、そんなあたしを出迎えてくれたのは……。


「まあ? マリア様がまた、素晴らしい出会いを運んできてくださったようでございますね?」


 きれいな赤毛のロングヘアーの、修道女シスターさんだった。

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