ブルゴス⑤
結局その日は、当初の予定だったブルゴス観光はグダグダになってしまった。
でも、フェリシーさんはもちろん、実はその周囲のみんなも、口に直接は出さなくてもアミーナさんのことを心配してくれていたみたいで……。文句を言う人なんて誰もいなくて、むしろ、みんな嬉しそうだった。
昨日は大聖堂近くの大きくて綺麗なアルベルゲに泊まったあたしやフェリシーさんたち一行は、――同じアルベルゲに二泊は出来ないので――今日は、街の中心部から少し離れたところにある小さめの宿にチェックインしていた。昨日のところにはキッチンがなかったので、今日のところはキッチンがあるところを選んで、自炊をしようと思っていたんだ。
あれからいろいろと後始末をしているうちに時間も夕方くらいになっていたので、じゃあどんな料理を作ろうか、なんて話し合っていたところで……。
大聖堂でいつの間にかどこかに行ってしまったアミーナさんが、フェリシーさんと一緒に、あたしたちのアルベルゲにやって来た。
「なんか……これまでいろいろと迷惑かけた気がするからさ。今日は私から、みんなにご馳走させてもらえないかな?」
そう言って苦笑いをするアミーナさんの両手には、パンパンに膨らんだスーパーのビニール袋があった。そんな彼女の厚意を断る人なんて、もちろんいない。それどころか、あたしたちみんなで総出で彼女の料理を手伝って、アルベルゲの食堂でパーティーが開かれることになった。
アミーナさんが作ってくれたのは、彼女の故郷のドイツ料理らしい。
ニンニクとコショウで炒めたジャガイモにパセリをまぶして、サワークリームとマスタードを混ぜた酸味のあるソースを付けたものとか。味を付けた牛もも肉を、野菜とかキノコと一緒に赤ワインで作ったソースで煮込んだものとか。あとは、とにかくいろんな形のソーセージとか。基本的にどの料理にも、ザワークラウトっていう酸っぱいキャベツの漬物みたいなのを添えていたのが、ちょっと面白かった。
パーティーのとき、アミーナさんに味の感想を聞かれたので、
「なんか……全部ビール好きなオッサンが好きそうなメニューですね?」
って正直に言ったら、
「そ、それは、しょうがないだろっ⁉ ビール好きな両親から教わったレシピなんだからっ!」
なんて。
ちょっと照れながら、そんなことを言われてしまった。その仕草がすごく可愛らしくて、恥ずかしがるときの表情も今までの冷たい感じとは正反対で……きっと妹さんと一緒だったときのアミーナさんはいつもこんな感じだったんだろうな、なんて想像して、あたしも自然と笑顔になっていた。
割とガッツリ系で重めなメニューだったけど、普段からメチャクチャ歩いているあたしたちにとっては、ちょうどよかったと思う。アキちゃんも、いつも通り「こ、こんな肉々しい残酷な料理なんて、ワタシは絶対に食べないわよっ⁉ と、とくに、この酸っぱい漬物と一緒に食べたからって、肉の脂っぽさを中和してさっぱりジューシーな味わいになるなんてことは…………んんっ、んんんーっ!」というリアクションで、美味しさを表現していた。
料理が一区切りついたところでアミーナさんが立ち上がって、あたしたちみんなに向かって話をしてくれた。
それは、今まであたしとアキちゃんとフェリシーさんしか知らなかった、彼女の妹さんの話。それから、今日の大聖堂での出来事によって、その気持ちがどんなふうに変化したのかってことだった。
実は……アミーナさんは、あのときアキちゃんが言った「妹のエリーゼさんが精霊になってそばにいる」っていう話が嘘だってことに、もう気づいているみたいだった。
「エリーゼはいつも、自分のことを『エリザベト』って呼んでたんだ。そのほうが響きが上品で、おしとやかな自分にピッタリでしょう? なんて言ってさ。エリーゼって名前を呼んでいたのは、私たち家族も含めたあの娘の周りの人間だけ。あの娘が自分で自分のことをエリーゼなんて言うのは、おかしいんだ。だから……あのとき私の周りに『エリーゼ』って名前の精霊がいるって聞いたとき、それは多分嘘なんだろうなってのは、分かってたんだよね」
「じゃあ、なんで……」
「さあ、なんでかな……。もしかしたら……ちょっと、似ているって思ったからかもな」
「え?」
アミーナさんはアキちゃんのほうを見て、優しく微笑む。
「……な、何よ?」
「お前……アキって言ったっけ? エリーゼって、お前にちょっとだけ似てたんだよな。頑固で、素直じゃない性格とかがさ。そんなお前に怒られると、エリーゼに怒られてるような気がしちゃってさ」
「な、何よ……それ⁉」
アキちゃんは怒ったような表情で顔を伏せる。でも、それはきっと怒っているんじゃなくって、恥ずかしいだけなんだろう。
「それにさ……」
それからアミーナさんは、自分が命を絶つことをやめた、もう一つの理由を教えてくれた。
「あのとき私には本当に……感じたんだよ」
妹さんが精霊になっているのが、ただの嘘だと気づいたアミーナさん。でも、嘘だとは思っていながらも……彼女は、実際に自分の妹さんの存在を、感じていた。アキちゃんの息が緑色の風となって吹いたとき。確かに彼女には、妹さんの声が聞こえた気がした。エリーゼさんが、自分に話しかけたような気がしたんだそうだ。
そう思ったら、このまま自分が死んでしまうことは、間違っているような気がした。彼女を大好きな自分が、彼女を悲しませるようなことをするのは、違うと思うから……だそうだ。
「それに、私がこうやって観念しない限り……どうせお前らは、これからも付きまとってくる気だろ? 正直、これ以上お前らの下手な演技見せられるのは、しんどいよ」
そう言って、あたしとフェリシーさんに笑いかけるアミーナさん。結局彼女には、全部お見通しだったみたいだ。
それから彼女は、明日自分は故郷のドイツへ帰る、という話をした。
「え? じゃあ、サンティアゴまでは歩かないんですか?」
「ああ。もう私には、ゴールのサンティアゴまで行く理由がないからね」
「……」
「でも、妹の件とかいろいろが片付いたら……また絶対、このカミーノに戻ってくるよ。ゴールで死ぬためじゃなく……今度は、もう少しマシな理由を見つけて、この道を歩いてみる」
「そ、それは……良かったです!」
彼女がこのアルベルゲにきたときにフェリシーさんと一緒だったのは、いろんなところに顔が広いフェリシーさんに、帰りの飛行機とかを予約するのを手伝ってもらっていたかららしい。
まとまった休みが取れないとかで、カミーノを分割して少しずつ歩く人は結構いる。そうやって期間を分けて歩くときでも、クレデンシャルは同じ一つを使いまわすことが出来る。そのクレデンシャルをゴール地点のサンティアゴに持っていけば、ちゃんと巡礼証明書も発行してもらえる。
でもアミーナさんは、次にもう一度カミーノにやってくるときは、一番最初のサン=ジャン=ピエ=ド=ポールから歩きなおすつもりだ、と言っていた。今回の自分は、ちゃんとカミーノを歩いてきたとは言えないから、って。
フェリシーさんはそんなアミーナさんに、笑顔でこう提案する。
「もしもご都合がつくようでしたら……どうぞ次回のカミーノでは、フランスのル・ピュイから歩くこともご一考くださいね? フランス国内でしたら、わたくしがご案内することもできるかと思いますし」
「い、いやあ……でもル・ピュイからだと、サンティアゴまでの距離が二倍になるって聞いたよ? それはさすがに、ちょっとキツイかな」
「ああ、そういえばもともと本来のカミーノでは、巡礼者は自分の自宅からサンティアゴまで歩くことが一般的だったそうですよ? ですから、本当の意味でちゃんとカミーノを歩きたいということでしたら……アミーナさんのドイツのご自宅から歩いてもよいかもしれませんね?」
「フェリシー……お前って、結構ドSなとこあるよな?」
「さて? 一体、なんのことでございましょうか? うふふふ……」
「……ふっ」
そんな風に。
にぎやかに楽しく、そのパーティーは進んで行った。やがて、食事もほとんど食べ終わって終盤になると、例のナンパなイタリア人が、アルベルゲの談話室にピアノを見つけて、頼んでもいないのにロマンチックなバラードを弾き始めた。すると、ギターとか他の楽器を持って歩いていた巡礼者の人たちも、だんだんそれに加わってきて……いつの間にかその談話室が、小さなライブ会場みたいな状態になった。
途中、演奏がドイツの作曲家が作った有名な曲のジャズアレンジになると……それまでときどき鼻歌を歌うだけだったアミーナさんも立ち上がって、ボーカルとしてそのセッションに加わった。
それはとても優しい響きのする歌声で……気づくとみんな、静かにその曲に聞き入ってしまっていた。
明日アミーナさんがドイツに帰ってしまったら、もうこれから先であたしたちが彼女と会うことはない。これは、アミーナさんとあたしたちが一緒に過ごす、最後の晩餐だ。
それはとても楽しくて、とても騒がしくて……だけど、ちょっと切ない夜だった。
そして同時にその夜は……あたしにとって、このカミーノで最後の楽しくて騒がしい夜になってしまった。
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